【歌詞解釈】宇多田ヒカル*誰かの願いが叶うころ

歌詞を先行して書いたらしいこの歌。

わたしも同じく歌詞からこの歌を知りました。世の常を言い表したような残酷にも美しく、人生の要約のような壮大さや、報われない恋をしている女性を歌ったような、恋愛を通して人生を俯瞰してるような一曲。

メロディーもシンプルな構成なので、より歌詞が強く響いてきます。

2004年にリリースされたこの歌は、当時の旦那さん紀里谷和明さんが監督を務める「CASSHERN」のテーマソングです。

映画は見たことは無いけど、脚本に沿った歌詞展開になってるみたいなので、映画を知っている人はリンクさせて聞いてみるのも◎


”小さなことで大事なものを失った
冷たい指輪が光ってみせた
「今さえあればいい」と言ったけど そうじゃなかった
貴方へと続くドアが音も無く消えた”

小さなこと=ちょっとした好奇心や、軽はずみな気持ちでしょうか。
そのせいで大事なもの=貴方、もしくは私と貴方のこれまでの関係性を失ったと語っています。

道ならぬ恋が始まる時は、いつもいつもこんなはずじゃなかったと思う程に人は軽率な行動をとります。

冷たい指はとは貴方と他の誰かを繋ぐもの。
それが皮肉のようにわたしに存在感を示しています。

今さえあればいいと思っていたけどそうじゃなかった。
やはりここでも自分の行動の軽率さを後悔しています。

貴方へと続くドア=私と貴方との未来ある関係が途絶えてしまったこと。
或いは、落ち合った私達は誰にも見つからないようなところへ息をひそめたという現実的描写とも取れます。


”貴方の幸せを願う程 わがままが増えていくよ
それでも貴方を引き止めたい いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いているよ
そのまま扉の音はならない”

本来ならば誰しも好きな人の幸せを願いたいはず。
でも、貴方の幸せの中に私はきっといません。

だから貴方の幸せを願えば願う程、貴方と一緒にいたい、この関係を終わりにしたくない、というわたしのわがままが日増しに大きくなっていきます。

それでも貴方を失いたくないのです。

「誰か(私)の願い=貴方と一緒にいる事」が叶うころ、
先程の指輪で繋がれている’あの子’が泣いていることでしょう。

そうだとしても、私と貴方がいる部屋の扉は開かないのです。
だってあの子の願いが叶うころ、私も泣いているのだから。


”みんなに必要とされる君を癒せるたった一人に
なりたくて少し我慢しすぎたな”

色んな人に頼りにされている人気者の貴方。
そんなあなたが心休める時にそばにいられる私でありたかった。

でも、理解のある女でいるために我慢しすぎたのでしょうか。
少し苦しくなっている様子がうかがえます。


”自分の幸せを願うこと わがままではないでしょ
それなら貴方を抱き寄せたい 出来るだけぎゅっと
私の涙が乾くころ あの子が泣いているよ
​このまま僕らの地面は乾かない”

今回は打って変わって強気に出ていますね。我慢の限界が来たのかな??

自分の幸せを祈ることがそんなに悪いこと?
誰もが幸せになりたいと願っているのなら、別にわがままではないよね。

だったら私は貴方を抱き締めていたい。出来るだけ強く。
貴方の存在をより近くでより強く感じたいから。独り占めしたいから。

私の涙が乾く=幸せを感じているとき、きっとまたあの子が泣いている。

こんなことを繰り返している限り、僕たちが同じ人を想い続けている限り、
涙は流れ続け、僕らの地面は乾くとことを知りません。

この「僕らの地面」という表現が、私と貴方とあの子が同じ場所、時間を生きていて、そこから逃れられないようなリアルを演出している気がします。


”貴方の幸せを願うほど わがままが増えていくよ
貴方は私を引き止めない いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない”

貴方の幸せを願いたいけど、それをさせてくれない自分の願いとの間で葛藤する私。

何としても貴方を繋ぎとめたい私だけど、貴方はそうは思ってないみたい。

この恋が私だけの一方通行であることが痛切に感じられるフレーズです。

誰かの願いが叶った一方で、他の誰かが涙を流す。
恋愛だけに限らず、仕事や勉強、人生全てに通ずることだと思います。

誰かの幸せは時に誰かの不幸の上に成り立つ。
みんながいっぺんに幸せになれる、そんなことは夢幻なのです。


”小さな地球が回るほど 優しさが身に付くよ
もう一度抱きしめたい できるだけそっと”

小さな地球=私とあの子が貴方を想っているこの構図。
世の中男の人なんて星の数ほどいるのに私もあの子も貴方がいい。
他の人が傷ついたとしても僕らが幸せを掴みたい世界戦。

そんな地球が回る=私とあの子の貴方を巡る今の状況が繰り返されること
によって自分が傷つき、痛みを感じて初めて、人にやさしくなれます。

そのやさしさが身に付いた上で私はもう一度、貴方のことを抱き締めたいと願っています。心底彼のことが好きなんでしょうね。

でも、今度は「そっと」。
その前の歌詞にはぎゅっと抱きしめて誰にも渡したくない!貴方を独占したい!という気持ちが強いように感じられましたが、今の私はそっと抱き締めることができるやさしさと強さがあります。

私の幸せによって誰かを傷つけてしまうかもしれない。
でも幸せを追い求める事はやめられない。
だけどせめて私の幸せの裏で涙を流す君へも思いを馳せられるなら――

私の成長を感じることが出来て歌は終わりとなります。



いかがだったでしょうか。

さんざん考察した後に思ったんですけど、
これ私とあの子が友達とか知り合いとかだったら
もっと歌詞が鬼気迫ったものにかんじるなあと思い震えました、(笑)

でもほんとに生きてく上で避けられない現象ですよね。
誰かの笑顔の裏で傷つく誰かがいること、それを知ることで、
今ある幸せは当たり前ではなく、とても脆くて儚いものであると
感じることが出来るのかもしれません。

当たり前だと思っている事に感謝して見つめなおさねばと
考察中に強く思わされた一曲でした。

機会があればぜひご視聴ください。

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