5月17日 大好きなおじいちゃんが死んだ日


17日
祖父が危篤だと父親から職場に連絡があって、電車に揺られている。落ち着かないからnoteを書いている。
思ったより辛いかもしれない。涙が出そうになる。
初めて身内の死を看取りに行っている。
幸い上司がまだ居たので相談して月曜日まで休みを貰った。
3日前から意識が無くなりもう飲み物も飲めないと連絡があったばかりだった。
先週の土曜日に見舞いに行った際、「おじいちゃんもうあかんねや」と言っていた。
最後別れの際に「ありがとう」と言いあって病室を出た。ありがとうと言えて良かった。
電話口の父親の声が涙声で、父親の事が心配になっている。もうすぐ最寄り駅。嗚呼、寂しい。

***
看取った帰りの電車の中。
走って病院に向かって、病室に入ってすぐにおじいちゃんがゆっくりとこちらを向いた。
目があった。
リュックサックも背負ったまま、すぐに「おじいちゃん来たよ」と声をかけて手に触れた。その手が冷たくて、びっくりして、一緒に手に触れた祖母が脈を測った。

止まっていた。

こんな事、本当にあるんだと思った。
私を待っていたかの様に祖父は息を引き取った。
ずっと堪えていた涙が溢れて子供の様に泣きじゃくった。おじいちゃん、おじいちゃんと子供の様に泣きじゃくり、おじいちゃんを呼んだ。
隣で祖母もありがとうと泣いてたし、後ろで父親が「〇〇(私)の事待ってたんかいな」と泣いていた。
だって、目が合ったのだ。確かにこっちを見ていたのだ。私が手を触れた時におじいちゃんは天国へ旅立った。

とにかく難しい人だった。
好き嫌いは激しいし、こだわりも強い。
でも私と妹には兎に角優しかった。

幼稚園から小学生の頃、共働きの両親に代わり夏休みなどの長期休みになると祖父母が面倒を見てくれていた。
昼になると祖母が作るおかずと一緒に祖父が作った赤だしの味噌汁が必ず出た。具はほうれん草か豆腐とわかめ。
それを祖母の部屋で2人で並んで食べていると必ずニコニコしながら「美味いか?」と聞きに来た。
夕方は必ず家の近くまで送ってくれた。

私が高校に行けなくなった最初の日、登校出来ずに祖父母の家に逃げた。
祖母が父親に連絡している間、泣いている私に祖父は何かあったのか?と優しく聞いてくれた。
「頑張って学校行きよ、学校は行ったほうがいいで、頑張れるか?」と怒らず優しく諭す様に
言って祖母はなんと一緒に学校に行ってくれた。

辞めてから定時制高校に通い、卒業式の日の夜、祖父が1通メールをくれた。

「卒業おめでとう。頑張ったね、偉いよ。」

メールにはそう書かれていた。
両親はかけてくれなかった言葉を祖父だけが、祖父だけがくれた。
私はこのメールを一生忘れない。

祖父は特に妹に甘かったので祖父は私より妹の方が好きだとずっと思っていたけれど、祖父はきっと子供じゃなく1人の人間として私を見ていたのだと思うし、ちゃんと愛して許してくれていたと心から思う。

たくさんたくさん迷惑かけて心配かけて、本当にごめん。でも、もう大丈夫だから!
おじいちゃんが作ってくれた味噌汁、おばあちゃんから作り方聞いたから、これから作るね。
おじいちゃん本当にありがとう。大好き!

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