見出し画像

 日記 0418

 わたしが何もしていなくても、世相は勝手に移ろう。更新に次ぐ更新、昨日の情報はもう用無しになって刻一刻と改められる繰り出される情報の渦は、SNS疲れという単語が作られるくらいには、慌ただしくてまとまりがない。

 このアカウントを作ったはいいものの、届けたい言葉もなく知りたい生活もなく、ずいぶんと持て余していた。次から次に小説をぽんぽん書ければいいのだけれど、書いたところでどうせ誰にも届かない。空き瓶通信みたいなもので、ほら聞いたことくらいはあるでしょう、どこかの無人島からあるいは漂流している人たちの手から瓶詰めされて放たれた手紙の物語。届くべき人の下に届いて、投函主の物語が動き始める。けれど現実は現実だから、インターネットの大海原にはたくさんの空き瓶が不法投棄されている。味噌も糞もいっしょ。ことばの内実なんて誰も気にしていない風だ。ただせめて人目につけばそれでよい。空き瓶通信の本来から考えると、それはそれで正しい。インターネットはすっかりガラスの破片でいっぱいになって、足の踏み場もなくなってしまった。十数年前は、もうすこし、居心地がよかったのにね。

 noteでフォローしあっていた一人の詩人が、ふと更新を止めてしまって、それが寂しい。彼か彼女か知らない。便宜的に彼としておく。彼はわたしがずっと前にnoteを始めたころからの付き合いで、付き合いといっても顔も名前も性格も好きな色も知らないけれど、日々、生活の最中に、ぽつりぽつりとことばを残すその営為に、励まされる思いがしていた。わたしは彼の詩に、大して興味は持てなかったけれど、長年書き続ける、その継続の熱量に圧倒された。じっさい、難しいことなのだ。続けるということ、書き継ぐということ、己ひとりで、ともすれば日の目も当たらぬネットの深海その奥深く、放つ空き瓶がどこかの海上に浮き上がるよう祈る、その繰り返し。いとおしいと思う。何人ももう何人も書かなくなった人を見てきた。わたしだって、そのひとりだ。わたしは日々の生活に疲れ果て、すっかりことばを忘れてしまった。時たまなにかを語るかと思えば、どこかからの引用か誰かと誰かのことばをつなぎ合わせた不細工な織物くらいのもので、わたしの身の丈に合わない。いま、わたしにはどのことばも、リツイートのリツイートみたいな、なんども印刷を繰り返して見るに堪えないがびがびの図像、おなじところでぐるぐるさせているだけの、無為なものに思える。

 世相は移ろう。だけどそれは、同じところをぐるぐる回っているだけじゃないかな。それってあなたの感想ですよね。はい。ひろゆき構文って便利だね。いや、どんな構文も便利だ。構文の及ばない場所で、ことばを書けたらいいのだけれど。

 散漫な雑文は嫌いだ。上記のような文章のことをいう。アカウントの使い道に困っている。自分の好きな詩歌を紹介する場所にしようか。そうしよう。

 加藤千恵「ハッピーアイスクリーム」所収

 幸せにならなきゃだめだ誰一人残すことなく省くことなく

 この一首が好きだ。わたしの年齢よりもずっと若い時に、この作歌は成った。何がいいって、下の句がいい。よすぎる。この作者の手になる一首でこんなのもある。

 めちゃめちゃに空が晴れてる たった今爆発すればいいのに全部

同上

 0か1か思考の極まったこの青さが好きだ。若いころにしか綴れないことばの運び、わたしはもう若くないから、加藤千恵ももう若くないけど、この紙上に書き留められた三十一文字、そこに刻まれた力強さに、いつでも打たれる。

 爆発すればいいと幸せにならなきゃだめだとの間、0と1のあわいをぷかぷかただよって、わたしたちは生きている。待て。わたしたちってなんだよ。勝手に人を巻き込むな。はい。わたしは生きている。全部爆発すればいいと思う朝があって、ひとり残らず幸せになれと祈りたくなる夜がある。インターネットは、なんだか最近火薬が多すぎて、それは現実の延長線上、ともすればいつでもどこでも爆発してしまうんじゃないかと思う。爆発してしまえばいいと思う。そのほうが、すっきりするんじゃないか? どうせどうにでもなってしまえ。そんな捨て鉢な気分に陥りがちなところを、幸せにならなきゃだめだと、その力強い発句。そして続く。誰一人残すことなく省くことなく。このことばをきれいごととして一蹴してしまえるような人間に、わたしは幸か不幸かまだなっていない。誰一人残すことなく省くことなく。念仏のように唱える。わたしに何ができるか知らない。けれど、そのことばは忘れたくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?