わが道(過去編)出会いで色づく世界

早いものでもう年末である。12月に入ってからnoteを1本しかあげていない(しかもサイレン投稿)。書きたいことは多々あるが、書いているときに記事に需要があるかを考えてしまう。書きたいものを書くのがnoteだというのは分かっているが、どうも周りを気にしてしまう。わたしの良くない癖である。

そこで、そらちゃん関連の前2本の記事に比べ、個人的な記事がどれくらいの需要があるかを知るのも兼ねて少し自分を振りかえっていきたい。前後編の2本立てである。前編はこれまでの道、後編は今について書いていこうと思う。先に出した「自己紹介」の記事を原型としているので、多々被るところがあると思うが、ご了承いただきたい。

1、道のはじまり

まず、カップジムとは何者なのか。「カップジム」の名前の由来は自己紹介でも触れたが、Googleアカウントの4番目の名前である。名前に深い意味はないが、最近はスパチャを読み上げられることが多いので、愛着が湧いてきている。もう少しいい名前を付けていけば良かったかもしれない。「カップ」は「別府」と同じイントネーションである。

私は昔から日本史や城郭が好きな奴だった。しょっちゅうフラフラ出かけていたような気がする。小中と過ごしてきたが、大きな変化があったのは高校1年の時だった。趣味の特撮好きの影響でリサイクルショップに入り浸っていた私は、ある1つのフィギュアに出会った。それが「ARX-8レーバテイン」、『フルメタル・パニック!』シリーズに登場するメカである。いつもならフィギュアなど気に留めなかっただろうが、その日はどうも気になった。

道の始まりはここからだと思う。あの日、あの時、レーバテインに出会っていなかったら今の人生は間違いなく変わっていただろう。その後私はどっぷりと『フルメタ』に浸かってしまい、今やミリタリー趣味に走っている。それだけ「フルメタ」との出会いは大きなものだった。まったくの余談になるが、去年はフルメタの新作アニメが放送していた。賛否あると思うが、私は続編を見ることが出来ただけで嬉しい。欲を言えば、ASは手書きが良かったのだが。どうも前作の京アニと比較してしまう。話を戻そう。

2、道を照らしたもの

その後は日本史が好きだったので、関西の大学に行った。ずいぶん遠くへ行ったものだが、何だかんだで良かったと思う。はっきり言うが、初め2年間は大学がつまらなかった。今思えば中学、高校が充実していた事もあるが、私の目指していたものと違った。理想と現実は違った。そんな中で1人のブロガーさんとの出会いが世界を変えた。

その方は私がTwitterでフォローしている方であるが、向こうからしたら赤の他人である。フォローもされていないし、面識はもちろんないし、リプを返したこともブログに返信したこともないが、私の恩人である。大学2年のとき、生き詰まっていた私がネットサーフインをしていた時に、たまたまその方のブログを見つけた。ブログは艦これの聖地巡りで呉を訪れた際の記事だった。当時艦これというものはなんとなく知っていたし、旧軍についても色々調べていたが、写真で見る呉の町や遺構はとても色づいて見えた。写真の撮り方、文章の書き方はもちろんだったが、何より久しく忘れていた「興味を持ってどこかへ行ってみる、失敗を恐れずやってみる」ということを私に思い出させた。それほど素晴らしい記事だった。

感謝してもしきれないほどの恩を貰った。…こういうことは本人に伝えるのが筋なのだろうが、こっ恥ずかしくて言い出せない。

この方のように色々な場所へ行って、色々なものを見たい、知りたい、と思うようになった。艦これも始めた。舞鶴、呉、横須賀、佐世保、4つの鎮守府へ行った。また、卒業論文もミリタリー趣味とミックスしたものにした。無理に型にあてはめなくてもこだわらなくてもいい、見方を変えて自由に考えればいい。そう思うと大学が楽しくなった。「思い切って1歩踏み出せば、世界は変わる」ことを知った2年間はとても充実したものとなった。

noteを書く勇気はときのそらちゃんに貰ったものであるが、自分が目指すのはあのブロガーさんのように、誰かの世界に彩りを与えるような文章だ。まだまだ遠いが、いつかなれるだろうか。

3、もう1つのアイドルたち

ブロガーさんの影響で外へ出始めた頃、Aqoursを知った。ちょうどアニメ1期が始まる直前だったか。μ'sに関しては、私が知る前に区切りを迎えてしてしまったのでよく分からない。μ'sのことはよく知らないが、このグループは応援してみようというのがきっかけだった。

早速手に入るだけのCDを全部買った。彼女たちの曲は迷っている背中を押してくれるような曲が多くて、とても励まされた。目標に到達するための答えではなく、そこに至るヒントや、何か始めたいと思えるようなきっかけを与えてくれる、素晴らしいアイドル達だった。アニメやライブのBlu-rayも買った。それほどに熱中していた。

とはいえ、ついにライブやイベントに行くことはなかった。元々ファンの規模が多いグループだったし、なんとなく新参者の私が行くのは気が引けた。勇気が出なかったのもある。ファンというより、彼女たちを遠巻きに見ている歌好きなギャラリーの1人だったのかもしれない。ただ、9人が歌う歌が背中を押してくれたから、成し遂げられたことがたくさんあった。今の私を作った1つといっても過言ではない。

Aqoursは今も活動しているが、もう自分は追っていない。1月に公開された映画で一区切りついた感じがして、応援に身が入らないというのが最大の理由である。映画の結末がベストオブベストだったので、それ以後活動している姿がどうも違うような気がしている。結局のところ、アニメでのAqoursが私にとってのAqoursだった。キャスト=物語の登場人物というラブライブの真髄たる考えには、私は至れなかった。

また、『No.10』の歌詞に関して、個人的に違和感を感じたのも大きな理由だ(好きな人には申し訳ない)。ステージで輝き、メインを張るのは彼女達自身であり、ファンは支えることが本分だと思う。ファンはどうやってもAqoursにはなれないし、なりたいとも思わない。10人目というのは「心は共にある」という応援の気持ちであり、公式に面と向かって「お前も10人目のメンバーだ!」と言われるのは少し違うと思った。『No.10』は暗黙のルールであるべきだった。

それでも、私を作ってくれた大切なものであることに変わりはない。今も好きなアイドルグループである。ファンでなくなったといって、彼女たちを貶すつもりもないし、その資格もない。困難を超えるための風をくれたのは、紛れもなく彼女たちであった。応援をしていたことに後悔はない。今は遠くなってしまったが、今後の活躍を願っている。また潮風を浴びにフラりと立ち寄る日も、あるかもしれない。

4、ときのそらちゃんとの出会い

私がときのそらちゃんと出会ったのは大学を卒業する少し前、2017年のクリスマスだった。そらともとしての話は以前の記事で書いたので、今回は彼女を知った経緯について書こう。

きっかけはTwitterでフォローしている絵師さんだった。その人は当時艦これ関係の絵を書いていたので、たびたびチェックしていた。12月も中ごろになったある日、その人は当時無名に等しかった「ときのそら」ちゃんの絵をTwitterにあげていた。彼女を初めて知ったのはその時である。そこからクリスマス生放送に、そして「そらとも」としての日々へ続いていくのである。

後編に続く)

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