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リアルな演技とは。

▶︎リアルな演技とは。(概念編)005

まず、リアルな演技とは何かをわかりやすく定義してみます。

映画や舞台を観ていて、登場人物の「名前」が印象に残ったら、その俳優の演技はリアル。反対に「俳優の名前」が印象に残ったら、それは個人プレイの演技、ということになります。

たとえば、伝説のテレビドラマ「北の国から」の主人公は黒板純ですが、視聴者の印象に残っているのはあくまでも「純くん」で、「吉岡秀隆」ではありませんし、「男はつらいよ」のファンたちの記憶にあるのは「寅さん」で「渥美清」ではありません。

確かに両作品とも、かなり長い年月に渡って製作、放送されたこともあってファンの意識の中で役名が定着していったとも言えますが、「北の国から」は北海道富良野市のどこかに黒板五郎一家が暮らしているのではないか、葛飾柴又の帝釈天参道にはおいちゃん、おばちゃんの団子屋があるのではないかとつい錯覚してしまいます。この「錯覚」がリアルな演技には重要なのです。

僕の実家は広島県尾道市因島にあった映画舘でした。物心ついて以来、毎日のように東映の時代劇や日活のアクション映画を観て育ちました。僕に取って銀幕のスターだった石原裕次郎や美空ひばりや中村錦之助は憧れの存在でした。かっこいいのも美しいのも銀幕スターたちで「登場人物たち」ではありませんでした。当時は個人プレイが当たり前だったのです。

高校を卒業後上京して劇団の研究生になり舞台俳優を目指します。そうして当時、アメリカン・ニューシネマと呼ばれた映画たちに出会うのです。それは衝撃的な出会いでした。

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代から1970年代半ばにかけてアメリカで起こった映画のムーブメントで、「俺たちに明日はない」「卒業」「タクシー・ドライバー」「狼たちの午後」など、社会や政治に対する反体制的なメッセージや批判的な視点を取り入れた内容が多くありましたが、僕が驚いたのはそれら映画の主人公たちが銀幕のスターじゃなく当時無名の若手俳優たちだったことです。

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