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継続に必要なのは「宣言」と「人の目」

飽きっぽい性格であるという自覚がある。

でも、自覚があるから飽きないように努力できるかというと、そんな簡単なものではない。

自覚があろうがなかろうが、「やるぞ!」と決めた資格試験の勉強は滞るし、「読むぞ!」と決めたビジネス書は1章の途中で積読になる。
年齢を重ねるにつれてひどくなっている傾向すらあって、一瞬「これが…老化…」と恐ろしくなったが、その括りは少々雑だとすぐに気づいた。
飽きっぽさに磨きがかかった理由は、単純に「何かを始めて終えるまでに必要な時間」の問題だ。

若い頃… もう20年近く前のあの頃。毎週オールできるほどの体力に満ちた肉体と、社会人として成長したい!という熱意溢れる精神を持っていたあの頃…
十分な肉体と精神を持っていたからこそ、飽きる前に終えられた。ただそれだけだ。加えるならば、若い頃=単身者の頃は、集中する時間を作るのは簡単だった。
それが40代も半ばとなれば、体力も熱意も当然翳りをみせるし、家族が増えたことで自分時間というものもどこかへ消えた。できるなら戻ってきてほしいけれど、早くても15年は先だろう。

言い訳はこのくらいにしよう。
飽きっぽい自覚があると宣言したのは、三日坊主も積読も仕方ないと言いたかったからではない。いや、自分時間を削ってようやく家事育児が回るのだから仕方ないよな…と思う部分は少なからずあるけれど、ここで言いたいのは、飽きっぽい自分を理解した上で、ではどうすれば継続できるのか?ということだ。

タイトルで早々にネタバレをしているが、私の場合、「宣言」「人の目」だ。

もう少しわかりやすく言うと、「これをやります!」と宣言をした上で、定期的に「で、アレどう?」と聞いてくれるような人の存在が必要になる。
この二つがあれば、よほどのことがない限りは継続ができるということに気づいたのは、実は随分前だ。

やると言ったのに、大した理由もなくやめてしまうのはカッコ悪い。自分がそう思っているからこそ、他の人もそう思うだろうなという心理が働き、カッコ悪い姿を見せたくないがために継続する。実に単純な仕組みだが、私にとってはかなり効果がある。
もちろん、できないにはできないなりの理由があるので、この2つの条件が揃っていても、進捗は亀だったりすることもままある。それでも、やりたいと思ったことを忘れないことと、少しずつでも前進している自分を保ち続けられるだけで十分進歩だ。だって「やってる」のだから。

そんなわけで、私の継続システムに付き合ってくれる友人何人かと、毎年初めにやりたいことを宣言して、毎月zoomで進捗を報告し合うということ初めてもう数年になる。

そんなタイミングで今更ながらこのnoteを書いたのは、改めて「宣言」をしておこうと思ったからに他ならない。
三日坊主常習犯な私を緩やかに見守ってくれる仲間に感謝しつつ、今日もスマホアプリで資格の勉強をするのだ。

なお、今月までに終わらせる!と宣言した勉強の進捗は現在67%である。それでも、「もうやーめた!」とならないことが私にとっては何より大事なのので、宣言通りに終わらなかった程度のカッコ悪さは引き受けつつ、継続する自分を褒めてあげようと思う。


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