旅行という非日常から日常に戻る時の儀式、のようなもの
3泊4日の旅から戻ってきた5月5日午後。
連休の残り日数は1日強、洗濯物の山はまるっと4日分(x4にん)。
話がずれてしまったので戻そう。
自宅が一番!とほっとする気持ちはあれど、物理的にくつろげるようになるまでの道のりはなかなか険しい。
そのままソファーに埋もれたい気持ちをグッと堪え、4人分の洗濯物を回収し、洗濯機をどう回すか思案する。
我が家のドラム式は5年に購入したもので、我が家の洗濯機置き場に置けるものの中では最大サイズかつ最新式である。それでも、家族4人の4日分の服を一度に回すのは厳しい。
明らかに汗や諸々が熟成した匂いを放つメンズの服は後回しにしてつけ置きをする。残りは洗濯機に入れ、ゴウンゴウンと回しているのを横目に、旅行に持っていったキャリーやらバックパックやらを拭いて乾かす。
ここまでやったところでようやく一息、というのが毎回の流れだ。
生活の中で何を優先させるか。
人によってそれぞれだろうが、私の場合は「清潔さ」だ。
まぁ、この「清潔さ」も私基準のものであり、外の汚れを持ち込むことに関してのみ厳しい。だから、埃が溜まってるとかそういうものにはそこまでめくじらを立てない。
また、一人暮らしではない今、自分の基準を同居家族に押し付けることはしないよう心がけてはいる(それでもどうしても譲れない部分は、押し付けてしまっているかもしれないけれど…)。
だから、私の中で日常を取り戻す時、洗濯、もしくは掃除というステップが入る。
今回は洗濯だったが、たとえば仕事中心の平日から休日に切り替わる時もそうだ。ゴミをまとめ、とりあえず置いていたアレコレを片付け、テーブルを拭き、床を掃除する。そうしてやっと、ここは私の落ち着ける場所だとなった時初めて、私の中で日常に切り替わるのだ。
仕事をする日々だって旅行中だって日常ではあるが、気持ちをニュートラルに保てる場所であり時間であることが日常なのだ。ワクワクもピリピリもイライラもある。淡々と山も谷もない生活などないのだから。でも、その、ワクワク、ピリピリ、イライラする中でも、ほっと落ち着ける空間があること。それが私にとっての日常であり、そのために必要な儀式が「清潔さ」を保つという行動に現れるのだ。
今日は既に2回目の洗濯サイクルがゴウンゴウンと回っている。
これが終われば、すっかりいつも通りの日常となる、はずだ。
長い休みの最後の1日は、生活のリズムを整えるため、日常を過ごす。
これもマイルールになっているかもしれないが、それはまた別にするとして、準備万端で明日を迎えたいと思う。
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