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日本帰国&出産、激動の1ヶ月をふり返る [1] ホテル暮らしの4日間

2019年2月16日(土)午後、1年と10ヶ月半を過ごした米国カリフォルニア州から日本に本帰国しました。そして、再び日本での生活が始まって1ヶ月。

米国渡航前から決まっていた帰国スケジュールで、全ては予定通り。とはいえ、そこに妊娠という要素が加わり、さらに本帰国のフライトが臨月に入る直前だったため、アメリカでの荷物搬出から日本帰国〜生活立ち上げは、今思うとかなりギリギリ綱渡りなスケジュールとなりました。

特に日本に帰ってきてからの1ヶ月は、我ながらよくやったな!というレベルのスケジュールで、何事もなかったから笑い話にできるものの…という反省も。そんな激動の1ヶ月を、振り返ってみました。

2019年2月15日(金)

サンフランシスコ国際空港から出国。さようなら、カリフォルニア!
空港に並ぶユナイテッド航空の飛行機たちすら愛おしく感じつつ去りました。(実際に乗ったのはANAですが。ユナイテッドにはいい思い出がない…けれど今では懐かしい気持ちに。)

飛行機に乗るまでも、実はすったもんだがありました。
最低限の生活がすぐ始められるように、飛行機の預入荷物もギリギリ最大数にしたら、荷物が多いことを見越して借りたレンタカーでも入りきらないことが前夜発覚し、夫と緊急会議。Uberを使う?2往復する?といろいろ案を出した結果、急遽私(+軽めの荷物)だけ列車で空港へ向かうことに。電車の時間もチェックして入念に作戦を立てたはずなのですが、乗換駅で時刻表にはあるはずの空港直結BARTが来ない…
まぁ、あるよね… 、とSun Brunoまで戻って折り返し、事なきを得ました。

2019年2月16日(土)

成田空港到着!ただいま日本!

機内持ち込み以外にもスーツケース3つ、ダンボール2つ、ボストンバッグ1つ、という大量の荷物をなんとかカートに押し込んでヤマト運輸へ直行。数日間のホテル暮らしに必要なものだけを入れたスーツケース2つ以外を、引っ越し日に合わせて自宅へ配送。ようやく身軽になって、 NEXで品川へ。この時点では当然日本の携帯はなく、アメリカで使っていたスマホをWiFiでつなぐことしかできないので、いろいろとっても不便。

品川で乗り換えて地元に到着し、ホテルに落ち着いた時にはすでに20時近く。寿司が食べたい!と言っていた息子も疲れには抗えず、記念すべき日本帰国最初のごはんはホテルそばの「はなまるうどん」となりました。(それはそれで幸せ。)

2019年2月17日(日)

予想通り時差ぼけで4時台に起きたため、コインランドリーで洗濯。日本のコインランドリーは洗濯乾燥が一体なので楽だけど、乾燥の完成度は圧倒的にアメリカの方が高いですね。

役所が閉まっているので生活のもろもろは明日以降。日曜日でもできることを優先的に行おう、ということでミスドで朝ごはん、のち息子と二人で美容院へ。アメリカ生活時代は、息子→親がバリカンでカット、私→日本一時帰国の時に切りあとは我慢、という生活を送っていたので、信頼できるスタイリストさんにきってもらえる幸せを味わいながらの朝。そしてランチはモス。(食に関しては完全にはしゃいでいた母子…)

午後は携帯の契約のため、ドコモショップへ。いつ行っても大混雑のドコモショップは、この日も想定通り2時間近い待ち時間。1時半に行って、全員の契約が終わったのが5時半… という恐ろしさ。それでも携帯がないと立ち行かないので我慢がまん。

待ちくたびれ状態でドコモショップを出たものの、夜は息子の乳児保育所時代の友達が帰国祝いをしてくれたので、見事に復活。地元友達のありがたみを再確認する夜。

2019年2月18日(月)

月曜日! 生活立上げのため、本格始動!
(ちなみにこの日も早起き&早朝コインランドリー)

朝イチで区役所へ。
住民票関連の手続 → 
子供関係(児童手当、小学校転入)の手続 → 
妊娠出産関連の手続(10ヶ月1日でようやく日本の母子手帳を受取り)→ 保育園入所手続きの相談

ここまででほぼ2時間。区役所の職員さんはみんな手際よく対処してくれたけれど、保育園入所相談が一番混雑していて、なおかつ相談時間も長くなってしまった。(そして自分がかなり困難な状況にあることを再確認して軽く落ち込む… 仕事をしていないけど働きたい人にとって保活は相当厳しい。)

お昼前に転入の手続きのため、息子が入る予定の小学校へ。教務主任の先生から、用意するもの、学校生活の流れ、その他保護者が対応すべき事務的なことなどの説明を受けた後、教室を見学させてもらいました。区役所で手続きができた段階でもう登校できる(というかしないと欠席扱いになる)らしく、「明日から来る?」と言われるが、ホテル暮らしな上、準備するものも今日1日では無理!と、明日は欠席で水曜日からの登校にしてもらって帰宅。(これは本当に正解だった…。義務教育はありがたいけれど、もう少し余裕が欲しい。)

午前中だけでもずいぶんタスクをこなしたけれど、新たに生まれたタスク(学校準備)もあって、午後も忙しい。自宅の留守を任せていた親から鍵を受け取り、電気ガス水道などの手続きをする人と、学校の準備のための買い物に行く人とに別れて行動。成田空港から送った荷物に中に入っているランドセルも取り出して、学校の準備。

晩ごはんは息子念願の寿司。妊婦の私は生モノを控えているので、寿司って言ってもね〜と思っていたけれど、親の仇かと思うくらい固く握られて米が潰れているアメリカの寿司ばかり食べた後にいただく日本の寿司は幸せな寿司でした。わさびもちゃんとツーンと辛くて、かっぱ巻お代わりしてしまうくらい。あと、蟹味噌最高。

そういえばこの日もランチはミスド。シアトルやボストンでドーナツ探索をしてから、なんだかドーナツが好きになっている気がする。

2019年2月19日(火)

9時から出産予定の病院にて、初の妊婦健診。(ちなみに10ヶ月と3日目)

夏の一時帰国時に受診して、出産入院の予約をし、カルテも作ってもらっていたのでスムーズかなと思っていたら、そうはいかず、待てど暮らせど名前が呼ばれず… しびれを切らして確認してみたら、アメリカのカルテのコピーが(当然ながら英語なので)よくわからず、解読に時間がかかっているとのこと。医療用語なのだから専門家にとっては英語でも問題ないかと思っていたけど、そんなに甘い世界ではなかったようで。それなら翻訳して持っていったのになぁ、とちょっと後悔するくらい待たされること2時間以上。

さらに、日本で必要な検査でいくつか未実施のものがあったようで、心電図やら血液検査やらでまた時間が…。肝心の赤ちゃんの様子には問題がなく、まだ生まれないかなとのことだったので安心して次回予約をして帰ったものの… 私の妊婦健診は結局この1回だけになってしまうのでした。

この日はホテルをチェックアウトし、マンションのゲストルームに移る日でもあったので、帰国後初出社しなければならない夫と息子の担当を交代して、マンションへ。明日から学校がスタートするので、必要な準備をしつつ、疲れないように体を休める午後。


・・・改めて振り返ってみると、たった4日だけれど、ここが一番大変だったなぁ、としみじみ思います。大変だった理由として、

・ 時差ぼけ
・ ホテル暮らし
・ いろんな手続きが必要だけど、どこでもとにかく待たされる
・ やるべきことがどんどん出てくるので頭がパンクしそう

などなどがあるけれど、
やっぱり一番は、「安心して落ち着ける場所がない」ということがより疲労感を増す原因になっていたんだろうなぁと思います。

一時帰国などで使い慣れたホテルを選び、中の設備や駅までのアクセス、周りの食環境などには全く不満はなかったけれど、とにかく狭い日本のホテルで、落ち着ける場所はベッドの上だけ、という暮らしは数日が限界でした。

いろんなところで重要書類もどんどん渡されるけど、それを落ち着いて整理する場所もなく、ことあるごとにカバンをひっくり返して探すような生活は辛かった…。

激動の1ヶ月もまだ4日。まだまだ続きます。



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