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【読書日記】 通天閣さん 僕とママの、47年 高山トモヒロ 著

この時期になると連絡が来て、「オススメの本、貸して」と言ってくる友人がいる。
フルタイムで忙しく過ごしている人なので、家は近所ながら平日に会うことも見かけることもほとんどない。
彼女から連絡があると、私はいつも7、8冊選んで待ち合わせ場所へ向かう。
今年も本を貸し出す季節がやって来た。

「いつもありがとう。楽しく読ませてもらったよ」
私が去年貸した本が入った紙袋を、友人が差し出す。
中を覗くと見慣れない本が一冊入っていた。
「コレ、私のじゃないと思うよ」と言うと、
「いや、私はあなたからしか本を借りないからコレは絶対あなたのだよ」
そう言われて、表紙と帯を眺めているうちに
「あ、やっぱコレ私の本だわ」
「でしょ?」友人は笑った。

それがこの本である。

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ストーリーは薄っすら覚えていたものの、ほぼ初めて読むに等しい感覚。

改めて読んでみて感動の嵐。
一度目の感動より大きかったかもしれない。
借金、親の離婚、失業、転職、結婚、親の介護、などなど、誰しもが経験し得る出来事で何かがドラマティックに起こるわけでもないけれど、我々市井の人間の人生は、そのひとつひとつがきっとドラマなんだろうな、と思わせる本書。
タイトルの通り、僕とママの47年を素直に丁寧に描いている作品。
作者は、吉本芸人の高山トモヒロさん。

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高山トモヒロは、両親と姉、妹、弟の6人で大阪・日本橋の外れに住んでいた。
父は小さな工場を経営していたが、ママが夢だった自身で始めた商売が行き詰まり借金が膨らみふたりは離婚。
ママが家を出て行き、父は子供たちを連れて夜逃げ同然に大阪府大東市に引っ越す。ここの狭いアパートで、母親不在の貧しくて寂しい生活が始まった。

野球好きだった智浩は高校では野球部に所属し、のちにコンビを組む河本栄得と出会う。
大東市の自宅から高校まで、電車で京橋へ行き京橋駅からは自転車で通った。

ある日、京橋駅前で偶然、ママと再会した。
小学校3年生の時に別れた母親が、高校生になった今、突然現れて戸惑う智浩。
ママは家を出た後、ずっと京橋のスナックで働いていたそうだ。
この日から、ママと智浩の交流が始まった。
ママは、朝、智浩の自転車のカゴにおにぎりとジュースを入れてくれるようになった。
学校へは京橋のママのマンションから通う方が近いので、時折、泊まるようになったが、父親には友達の家に泊まっている、と言っていた。

高校卒業後、定職につかずにいた智浩を河本が誘い、ふたりはNSCに入学。
お笑い分析に熱心で、数いる芸人の中からなんとか抜きん出ようと頑張る河本に必死でついていく智浩。
しかし、無情にも病魔が河本を襲い、25歳で夭折。
相方を失って自暴自棄になっている智浩に周りの人たちが手を差し伸べ、ようやくまた前を向けるようになった頃、ママの病気が発覚した。
アルコール性脳萎縮と若年性アルツハイマー。
ママの介護が始まった。

ふたつの病気を抱えているママは、段階を追って症状が悪化していく。
このあたりの描写は、ママの症状を通してアルコール性脳萎縮と若年性アルツハイマーがどのような進行を見せるのかを読者に教えてくれる。
例えば、ママの財布は小銭でパンパンになっている。
これは、お金の計算ができなくなっているので、買い物は全て1,000円札でしていると言うことだ。お釣りの小銭が溜まってきても、金額が理解できないので何円玉と何円玉を組み合わせれば、小銭で支払えるのかがわからない。
また、昔の記憶はしっかりしていても、新しく記憶できず、覚えていられない。だから、買い物して来たことを忘れ、同じものを何度も買う。結果、冷蔵庫は消費期限切れの食品でいっぱいになっている。
片付けもできなくなるので、部屋はゴミが散乱している。
内臓に疾患がなければ元気なのも、介護する側には厄介だそうだ。
徘徊が有名だけれど、ママの場合は「隣人が泥棒だ」と思い込み、なんと毎日冷蔵庫を玄関ドアの前に移動させてドアをブロック、その際に足の指を切り骨が見えるほどの深い傷を負っても本人は気づいていない。

このようなエピソードを読むと、認知症やアルツハイマーにかかると、どんな症状が出るのかよく分かる。
認知症は遅らせることはできても、治ることはない。

段階を追って症状が悪化していくママを、どの病院や施設に入れるのか、智浩夫婦はあちこち調べて奔走する。

お葬式もそうだけれど、介護ランクや介護施設、介護保険、などなど、私たちが元気に生きていると、これらの知識が全くない。
自分たちの生活も抱えながら、親の介護をするのがどれだけ労力がいることか、この作品を読んでいるとよく分かる。

作者の奥さんは、芸人を目指していた女性とのことだが、この人のママを思う気持ち、行動は真似できないと思った。
多忙になってきた智浩に代わって、3人の幼い子供を育てながらママの世話もする。しかも、愛情を持って。
相方を亡くして荒んだ生活を送っていたことを智弘が詫びると、
「ママがおらんかったら、あんたとは別れてたかもな」と言う答えが義母への気持ちを物語っている。

私は作者と同い年。
同世代の人が書いたエッセイを読むのが楽しいのは、同じ時代を共有しているからだと思う。
私たちが育った時代は、昭和の高度成長期から平成のバブル経済時代と重なる。
一生懸命働けばお給料が増え、昇進もし、家族で旅行に行ったり、海外ハイブランドのアクセサリーやバッグを買ったり、そんな生活がふつうだと思っていた。
祖父母も若くて、ちょっとした休みにはあちこち連れて行ってくれた。

そんな私と作者が、生駒山を隔てた奈良と大阪・大東市で同じ時代を過ごしていたのかと思うと、私自身の生活環境とはあまりにも違っていて言葉もない。
しかし、近い将来、私もきっと両親の介護をすることになると思う。
高山トモヒロさんは、それを40代後半で経験した。
人生で経験する項目のいくつかは、多くの人に重なると思った。

やがて必ず訪れる親の死に際して、この本があれば見送る側に寄り添ってくれる、そんなふうに感じたエッセイだった。


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