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人生の分かれ道だったかもしれないあの日

10月からはりきって通い始めた「日本語教師養成講座」受講。
なぜ、受講しようかと思ったのかはこちらを参照いただくとして・・・

丸3ヶ月受講してみて、もう辞めようかな・・・、と挫折しかかっています。

三つ子の魂、百まで

この諺は、ポジティブな場面で使うんですかね?
よくわからないですが、今回、日本語教師養成講座を投げ出したくなっている54歳の私、子供の頃とまったく変わっていないな、と私の思いに沿ってくれない性格という芯の強さと言いますか、コアな部分の成長のなさにある意味、驚いているところです。

私はひと言でいうと、一度失敗するとそれに二度と取り組みたくない性格。
上手くいかなかったことが癪にさわり、そのことがハードルが高いと感じ、できなかった自分に腹が立ち絶望し、結果、そのことを排除することで自分の気持ちを抑える方法しか思いつかないのです。

学校での活動でも「ゼロか1か」という類のものが苦手で、例えば、勝敗がつくスポーツやゲームを自分がプレイヤーになってやるのはあまり好きではなかったですね。
もちろん、負けるのが嫌だからです。
でも、コレが団体戦となると大好きで、バレーボールやバスケ、テニスでもダブルスでは勝ち負けなんかどうでもよく、勝てばもちろんうれしいし、負けてもみんなで一致団結して戦った充足感がありました。

・・・ここまで書いてわかりました、私は単に負けず嫌いなんですね。

一番手強い敵は自分自身

血液型で性格を語るのと同じぐらい根拠がなく、くだらないのかもしれませんが、1968年生まれで、日本の景気が右肩上がりの時代に会社員だった父と専業主婦の母との家庭に育ち、私自身も就職して2〜3年はバブル景気を享受した身なので、物事はなんでもノリと勢いでこなしていく性分です。

しかし、コレ、短距離走には向いていても持久走では通用しないんですね。

10月から1回180分の授業を週2で受ける日々を3ヶ月過ごし、最初の違和感は1ヶ月以内に訪れました。

日本の勉強って、結局覚えることばっかり。
私が子供の頃と何も変わっていないな。

美江の心のつぶやき

日本語教師になるための基礎講座を受講していて、新しいことば、日本の歴史、日本語教育の歴史、日本で学ぶ外国人の出身国ではどこが一番多いのか、2番目はどこか、人数は何人か、それは何という団体が調べ発表しているものなのか・・・などなど、とにかく(日本語であるにも関わらず、これまでに一度も聞いたことのない)言葉と数字を暗記しなくてはなりません。

大人になってもこんなことやるなんて・・・。

次にやってきた違和感は、「音声」の単元。

あの「いつから使っていて、いつまでアップデートなしで使うつもりなんですか?」的な口腔断面図。


どこが上あごでどこが舌かもパッと見てわからないあの図。
もう21世紀に入って20年も経つんですよ、
時代は4K、3D、胎児の立体写真まで撮れてしまう世の中。
にも関わらず、未だに手書きの口腔断面図イラスト。
もうちょっと、わかりやすい図にならないもんですかね。

発音だって、標準語でないといけないってどうなんでしょう?
私がイギリスに住んでいた頃、スコットランドにいた友人はどうもスコットランド人の家庭教師に英語を教わったらしく、イギリス人から「あの人の英語はScottishね」と言われていました。
しかし、それを嘲笑されることはなく、それもまた英語。

関西弁や九州訛りの日本語が嫌なら最初から関東圏で語学学校に通えばいいんじゃなの?

ひと言で言えば、
日本語教師養成講座は、外国人に日本語を教えるためにhow toを教わるところだと思っていたら、そうじゃなかった、というのが不満なわけですね、私。

思いが外れたので、もうこんな暗記ばっかりする勉強やめたい、と思い始めると、ここからはもう日本語教師に興味を失ってしまった自分との戦い。
「友達だってできたし」「みんなも頑張ってるし」「高い授業料だって払ったわけだし」「やめると結局今後も『日本語教師』の文字をどこかで見かけるたびに気になってしまうんじゃないの?」ともうひとりの自分がやめたい私をなだめている、そんな感じです。

人生の分かれ道だったかもしれないあの選択

先日、Twitterに書いたのですが、
「ここがしんどいけど、ここを乗り越えればひとつ高みにあがれる」ポイントを乗り越えられない私。

じゅうぶん自覚しているんですよ。
ここを理解すれば、あるいはここをこなせるようになれば、この壁を越えれば次のステップに進める、と。
しかし、そのための努力が続かないのが私。

コレはもう性格なので変えられないのだろうと思っているのですが、もしかしたら、「あの時、ああしていればその後の私に良い影響を与えたかもしれない」と思い当たる出来事があります。

それは、小学校の5年生のこと。

私が通っていた小学校では、5年生になると「鼓笛隊」に入部する資格が発生しました。
どんな楽器があったのか今となっては思い出せないのですが、太鼓とトランペットは覚えています。
そして、女の子のみが参加できるバトントワラー。

放課後に音楽とダンスの練習があって、運動会で披露したり鼓笛隊の大会があったりして、週末でも鼓笛隊はどこかの会場に行って活動していました。

私は入部するかどうかとても迷いました。
バトンやポンポンを持ってキビキビ動くのは憧れだったのですが、その時、生まれて初めて自分にそれができるのかどうか、という不安が生まれたのです。

あれは初めての感情でした。
物心つく前から習っていたピアノは、毎年発表会がありましたが、それはもう出ることが当たり前だったので、自分がステージで曲を弾けるかどうかなんて考えることもなく、練習を重ねて発表会当日を迎えていました。

学校行事で合唱のピアノ伴奏をひとりで担当したこともあったし、リレーの選手に選ばれて走ったこともありましたが、緊張こそすれ「私にできるんだろうか?できないかもしれない」と不安に感じたことは一度もありませんでした。

結局、思い切ることができず、私は鼓笛隊に入部しませんでした。
あの時、入部を決めていれば私は試練に強い人間になれたかも、と今でも引きずっています。

日本語教師養成講座を続けるのか否か

単元テストと期末テストを同日に受けた日、単元テストが合格点に満たず、再テストとなりました。

頑張ったのに点数が届かないことほど絶望感に見舞われることはありません。
しっかり勉強したのに、そんな努力を一蹴された気分になり、私の場合はここでやる気がぱったり失せました。

もうひとりの私が、あ、起こってはいけないことが起こってしまった・・・と焦ります。
日本語教師への学習意欲が一気にゼロになった私は、学校が終わってからひとりエクセルシオールカフェに入って気持ちを鎮めました。

もう学校辞めたい、向いてなかったとわかって良かった、学費はまさに勉強料だと思おう、週2の授業を受けて復習するのはしんどい、やれる人はやれるけど全ての人にその能力があるわけではない、この講義に出始めてからこっちSNSが何もアップデートできていない、読書だってもっとしたいのに時間が取れない。

そんなふうに考えて、とりあえず休学しようと結論に至りました。

自宅に帰り、学校にその旨のメールを送りました。

そして、スケジュールを眺めていて気づいたのが、
基礎講座がちょうど半分終わった今、1月から3ヶ月休むと4月からは、今回私が10月から受けた講座がもう一度始まる、
つまり、週2で基礎講座を受けると半年で終了するスケジュールになっているんですね。

と言うことは、4月から学校に戻るとなると今通っている場所ではなく、近隣の別の校舎に通うことになる・・・。

それもアリかもしれないけど、今の先生すごくいい先生だし、ちょっともったいないかも。
かと言って半年は休み過ぎで、半年後に勉強再開しても今まで教わったことを忘れている可能性大。

と言うわけで、結局、週1にスケジュールを変えて、4月から3ヶ月間休むことにしました。
(これも、奇跡的にやる気が再燃していたら、別校舎で4月からも勉強を続けるかもしれません)

一度失敗すると二度とそれに取り組みたくない私の性格を鑑みて、それでも、コマ数を減らしたり休学を取ったりしながら続けよう、と思えたところは成長ではないかと満足しています。

こんなに低いところで満点の自己評価をする中年女もどうかと思われるでしょうが、それもまた性格ですね。

学校は年明け10日から始まります。

冬休みなので授業が止まっている間ではありますが、復習する気はサラサラないのでこのまま休みをエンジョイしたいと思います。

皆さま、良いお年をお迎えください。









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