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住む世界が違う

「住んでる世界が違うから」というセリフは、
身分が違う、育ってきた境遇が違う、カルチャーが違うとか、普通はそういう意味で使われるものと思います。

同じ屋根の下に住んでる人たち同士で「住んでる世界が違う」とはあんまりいいませんよね。

でも実際は、
親子でも、夫婦でも、同じ集団の仲間同士でも、「住んでる世界が違う」ということはあり得るんです。

これは知能の高低差(遺伝子プログラムの違い)によるものです。
大嶋信頼先生は、知能指数が20違うと、どんなに話をしても「通じ合えない」とブログに書かれてました。

通じ合えないのは、文字通り「住む世界が違う」からです。
住む世界が違うというのは、同じ空間にいても、見ていること、聞いてること、触れてることが全然違うということです。

前も書いたけれど、
人間はたいてい、目、耳、口、鼻、皮膚の五つの感覚器官のみを使って外界の事象や状況を認識しますが
5つしかチャンネルが使われてない、というのは、我々人間の最終形態ではないんです。

人間の脳が10%しか機能してないということと、連動してると思いますが、五感を使って認知できてることも10%ってことですよね。

じゃあその10%はみんな同じかといえば、まーったく違うわけです。
目、耳、口、鼻は記憶(遺伝情報)に連動してるから、
その人の記憶のフィルターを通して見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、するから、みんなそれぞれ偏った現実のとらえ方をします。

みんな、見たまんま、聞いたまんまがありのままの現実と思ってますが、
たとえ同じ空間にいても、
人によって全く違う「見る」「聞く」を、体験しています。

みんなが同じ世界を見てる、という思い込みがあるから、「わかりあわなくてはならない」、となり、「なぜわからないのか?」と相手を責めたり、力づくで相手にわからせようとしたり、ということが起こります。

争いは、「自分の見えてる世界」と「相手の見えてる世界」の差がわからずに、お互いの見えてる世界が全てだと主張するから起こります。
脳を10%しか使ってないことで、ただでさえみんなが見ている世界が違うというのに、そこに知能の高低差が加わると、もっともっと住んでる世界のギャップが生まれます。

要は、脳の使用率が10%の人と20%の人とでは、ま〜〜ったく住む世界が違うよってことです。

脳が覚醒していくと感知できる世界


映画「ルーシー」では、10%そこらしか使えない脳が覚醒して全脳使えるようになったらどうなる?っていうのが描かれてます。
ルーシーの覚醒途中で、街中の電波が可視化できるようになるシーンがあります。

都会だから、まあ夥しい数の電波が飛び交ってるのが描かれてました。
他にも、覚醒が進むと、相手の心の中で考えてることが読めたり、過去や未来のこともわかっちゃったり、全世界のことが同時にわかっちゃったりします。

また、「もやしもん」とい漫画は、菌の世界が見える男の子が主人公。
菌や微生物がどのように世界や事象と関わり合っているのかが視覚化されています。

これも、ファンタジーとして描かれてるけど、実際に脳が覚醒してたら、これも起こりうる。

どちらも、見えない世界を「可視化」ということで描いていますが、実際は脳が覚醒するとどうなるんでしょう〜^_^

知能の高低差ってのは、まさにこの「脳の覚醒度合い」が違うってことなんです。

この世はエネルギー、波動でできてるっていう話は、今ではオカルトでもなんでもないことになってますが、
波動ってことは、周波数で表せますよね。

前回書いた通り、植物は、目とか耳とかいった感覚器官ではないもので、外界の事象や状況を周波数で受信して、テレパシーでコミュニケーションとっています。

使うのは主に触覚器官です。

人間も、触覚器官が進化したら、植物みたいにテレパシー使えるようになります。

目の前に立ってる人と話をしなくても、その人のまとっている生体電磁氣情報を読み取ることができます。

例えば、詐欺師は誰から見ても詐欺しそうな人なら、人を騙せませんから、10%脳の人から見たら「いい人」、後から「騙された」ってなりますが、
触覚器官のアンテナを使ったら、最初から詐欺師だと見抜くことができます。

触覚器官、つまり皮膚がアンテナとして機能すればよいのです

耳はどんなによくても2万Hzまでの周波数しかキャッチできないけれど、皮膚は耳では受け取れない高周波の情報を受け取れるアンテナがあります。
このアンテナが鋭敏であることと、脳の可動域が大きいことは連動しています。
皮膚のアンテナでキャッチできる波動の周波数帯が広い=脳の可動域が大きい=自然界の黄金比に基づいた情報処理ができる🟰知能指数が高い。

ルーシーやもやしもんじゃないけど、知能の高低差がある人たちの体験している世界を、平均的な、大多数の10%脳の人たちは、全くイメージもできないし、社会のしくみはそもそも、平均10%脳の人たちが作って運営させているものだから、学校でもなんでも、脳の可動域が広い人がそこに合わせて生きるというのは、困難極まりないのです。

本当に脳の可動域が平均よりもグッと高い人からすると、現行の最高峰の学術研究でさえ、子ども騙しのものに感じてしまいます。

ただ、それは世の中に出ている最高峰であって、真の科学も生命も歴史も99%は隠されてますが。

かつての文豪たちが自死を選んだのも、どんなに有名になっても、知能が高すぎて周りにわかり合える人が1人もいないとか、常識やしきたりに合わせて生きることで体内共鳴が狂ってしまったのが大きな理由ではないかなと思います。

10%脳の人たちには、脳の可動域が広い人の認知している世界のことは、未知すぎて全くわからない。

脳の可動域が広い人は広い人で、自分の脳の可動域が平均よりも広いという自覚もなければ、自分とみんなが感知している世界が違うものと思わないので(誰もそんなこと教えてくれないから)、知らない間に周りから浮いてしまうことが多く、
自分って欠陥人間なのかなーって、どんどん自己肯定感を下げてしまいます。

10%脳の人たちは、人の知能を「偏差値」とか「どこの大学出身」とか、「どこの企業か」とか「立派な肩書き」など形あるもので測り、実際の脳の可動域が見えるわけではないので、その人の潜在的知能の高さを見抜くことはできません。

ここに悲劇がある。

本来、この世界の限界を見抜いて、打破するための策を持っているのは、潜在的知能の高い人=自然の黄金比との同期率が高い人。
本当に耳を傾けて話を聞くべきなのは、その人たちの話かもしれないのに、
私たちのやっていることといえば、その人たちを変人扱いして排除しようとさえすることも。

では、脳の可動域が広い人たちがどこにいるのかというと、
普通の無名な一般人として紛れ込んでいます。

あなたの会社やバイト先にいるかもしれないし、近所のお百姓さんかもしれないし、自分の息子や甥っ子姪っ子かもしれません。

最近の子どもたちの中には、脳の可動域が広い子たちたくさん生まれてきてるみたいなので、
「うちの子は変わってる」って思ったら、
「自分とは見える世界が違うんだ、自分の世界に合わせるように躾けるのではなく、この子が住んでる世界で、この子が輝きを放てるように協力しよう」と思ってみる。

そうやって関わっていくことで、親が自身の脳の限界を打破することもできるし、子どもも自己肯定感を下げずに知能を発揮できるようになると思います。

つい、イライラしてキツく当たってしまうという場合は、つまりそれは、子どもの潜在的知能に嫉妬して、その嫉妬で子どもの脳にダメージを与えて自分と同じ知能の世界に引き下げようとする、心の無意識のメカニズムが働いてることに氣づきましょう。

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これを認めることは、なかなか苦しいことかもしれないけれど、動物の本能として、そういうモデルがあることを理解することはできるのではないでしょうか。

あと、私たちの意識のどこかに、
「選民意識は良くない」とか、「人をものさしではかって比較するのはよくない」
自分や子どもの知能が高いと認めるのは、傲慢な自分の思い込みではないか?」
というのがあったりします。

これに関して言えることは、
知能の高低差を認めない世の中の方がずっと不幸なのです。

いじめ、パワハラ、争い、すれ違い、支配、搾取、文明の低下、発作、発達障害、精神疾患、、
これらが、(原因の一つとして)知能の高低差を認めないことから生まれているのは明らかだと思います。

知能の高低差で、感知する世界が違う、ってなったら、もっと相手の世界を尊重できるようになります。
といっても、こういう話は10%脳の人にはほとんど響きません(なぜなら脳が感知できないから)。

ので、知能の高低差がある人がこのしくみをわかっておいて、社会や周りの人の世界に合わせるために自分の知能を下げるのをやめて、孤高に自分の脳の可動域をフルに活かす生き方を模索していくしかない。

幸い、今は棲み分けも起こってきてるから、同じ周波数帯を感知し合う仲間(テレパシックに通じ合う仲間)とも出会いやすくはなっています。

ただ、ダメージ大きすぎて人体のアンテナの機能が落ちちゃってて、世の中が作り出しているなんか重た〜い、冷た〜い、薄っぺら〜い空気感に同調してる人があまりにも多い!

せっかくのエンパス氣質が生かされてない!

てことで、
人体アンテナの機能の上げ方、
エンパス氣質の活かし方、
を随時シェアしていきます。


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