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生きづらさを作る「優しい虐待」

虐待に見えないけれど、、、

児童虐待といえば、
慢性的な肉体への暴力、精神的な攻撃、人格否定、性的虐待、ネグレクト、暴力のある家庭環境など、誰が見ても明らかに愛の欠如から来る虐待とわかるレベルのものを多くの人は連想すると思います。

そんな体験したら、確かにトラウマになるよね、とわかりやすい。

しかし、
一見虐待やトラウマには見えず、そう呼んでいいのかわからない、というレベルの体験でも、実際は大人になってからも心身に悪影響を及ぼす深刻な問題となっていることがあります。

「優しい虐待」とか呼ばれることもあるみたいです。
「見えない虐待」といってもいいかも。

「優しい虐待」でよくあるのが、

◯過度な献身(自分のための時間を子どもに捧げる)

◯依存させる(子どもが親なしでは生きていけない状態にさせる)

◯可能性を奪う(子どもの失敗を先回りして環境を整える)

◯自分が生きれなかった人生を、子どもを返して生き直す(同一化して、自分が達成できなかったことを子どもの人生で達成してもらうよう期待する)

◯子どもと接しているけれど、「ここにいない人」になっている→育児はちゃんとしている、けど、意識は「今ここ」にない、から、子どもは親と繋がれない(アタッチメントが形成されない)。

◯夫婦仲が悪くもう一緒にいる必要のない夫婦が、子どものために結婚生活を続けている(自分のために親が不幸なまま、という罪悪感と、離婚できない理由を擦り付けられてる怒りなどが生まれる)

◯しつけという名の「おしつけ」(自分の価値観を子どもに押し付ける)

◯教育放棄(自由や許し、無条件の愛をはき違えて、子どもが悪いことをしても、ワガママ言っても叱らない)。

など、思いつくままあげてみました。
簡単な言葉でいうと、「過保護過干渉」、「自己犠牲愛」、「共依存」、「心配性」となります。

いわゆる典型的な「虐待」と比べて、
「優しい虐待」は、実態が見えづらい。

親は親で、愛情から子どものためを思ってやってきたのだから、という自覚になるし、

子は子で、親は愛してくれたから、自分の生きづらさとは関係ない、と思っています。

周りからも、「子ども想いの良い親」にしか見えないため、虐待があるようには全く見えません。

しかし、よく言われてるのは、
典型的な虐待と優しい虐待、弊害的にはあまり変わらないということです
(場合によっては、優しい虐待の方がより複雑に心が蝕まれていることもあります)。

優しい虐待→万脳感

優しい虐待を受けてきた人によく見られるのが、
「万能感」と言われるものです。

自制心、自分で生きていく力、自力で解決していく力を取り上げられ、
先回りと甘やかしで成長の機会を奪われる。
自己犠牲愛で万能感モンスターに。

万能感とは、
まるで自分が神であるかのように
なんでもできるし、
なんでもわかってるし、
凄い才能を持ってるし、
特別で、
自分の願いはなんでも叶い、
何やっても許され、
世話を焼かれたり
チヤホヤされるのが当たり前、

という幻想の中で生きている状態です。

本当は、中身はまだ子どもで無知なのに、、、

周りの人のことも、その万能感で操るのが得意で、
「この人は他の人より凄い人なのかも」と思わせちゃうことができます。

ところが、それは幻想なので、現状は違います
(なのですぐバレます)。

〇万能感の中で生きていると、現実検討能力が育たず、現状を受け入れられなくなります(認知機能の低下)。

◯身の丈以上のポジションをのぞむけれど、能力が追いつかず不適合を起こす。その際は、自分の能力不足を認めず、周りのせいにする。

◯万能感で、自分に優越感や権威感を持ち、他人を見下す。

◯人をコントロールしたり、責任転嫁をする(自分は悪くない、すべて他人のせい)

◯自分の欠点や限界を認めず、それを誰かが指摘してきたら、「自分の凄さがわからないんだ」と怒り、敵対視する。

◯チヤホヤされて大切にされるのが当たり前なので、尊重されてないと感じると怒り、敵対視する。

〇他人との境界線がわからない。適度な距離感がわからない。

◯他人の甘えは許せないけれど、自分の甘えに対しては、周りに寛容さを求める。

◯周りの人はみな自分よりバカで無知で、劣っているから、自分はいつも迷惑をかけられていると思っている。

〇感情のコントロールができない。すぐにカッとなる。

こういう特徴が見られます。

その結果、人からは傲慢で支配的で、自己中心的で、
プライドが高い人と見られ、煙たがれます。

良好な人間関係を築くのが難しく、孤独と不安に苦しめられるようになります。

万能感を持っている人は、一見自分のことを愛していて,
自信があって、自己肯定感が高く見えるのですが、
実は誰よりも自分が嫌い、自信がない、自己肯定感が低いのです。

それは切り離してシャドーになってるため、ほとんど自覚はありません。

孤独や不安の原因は、本当は自分が万能感の幻想の中に生きてるってことなんだけど、シャドーにくっついている痛み(優しい虐待による)があまりに大きいため、なかなかそこに目を向けることができません。

そのため、万能感の幻想がどんどん強化されていき、さらに苦しみが増えていくという悪循環に。

万能感の中に生きている人は、基本怒りが強く、怒りは人にも向けられるけれど、いちばんダメージ食らってるのは自分です。

怒りで自分を知らず知らず破壊している
→それが、脳のダメージとなり認知機能の低下で人の感情や感覚が認識できず自己中心的な感覚になる。

上記の特徴はどちらかというと男性性よりの特徴で、
女性性の万能感はまたちょっと違って、女神的万能感っていうのかな。

自分は包容力があり、慈愛に満ちていて、無条件の愛で何でも許せちゃう。
どんなダメンズでも、トラブルメーカーでも愛の力で変えて見せるわ♡
っていう幻想に生きている。
(→実際はそんな器はないので、能力詐称になる)。
そして、こういうタイプが万能感ナルシストに自己犠牲愛を払い、相手をモンスター化させる、、、。

共依存関係は、こうやって成立します。

一方、典型的な虐待の場合は、
親の方が万能感で支配するので、その結果、
自分はダメ、自分は劣ってる、自分はできない、っていう自己卑下•過小評価の幻想の中で生きるようになりやすい。
このタイプも、万能感ナルシストと共依存関係になりやすいです。

ミックスもあります。
例えば、父親が攻撃的で、母親が甘やかしすぎとか、
1人の親がどちらのパターンもある場合とか。

その場合は、自分はダメ人間という部分と万能感を両極端に持つ多重人格(解離性同一性障害)になることも。

優しい虐待からの→万能感からの→発達性トラウマ障害(生きづらさの正体)というコース。
大なり小なり程度の差はあるけれど、
現代人のほとんどが持っているパターンではないでしょうか。

虐待(優しい虐待も含め)は、今本当に増えていると感じます。
だから、発達性トラウマ障害や愛着障害が増える。

優しい虐待も、典型的な虐待も、どちらも根っこにあるものが愛ではなく恐れ。
そして、虐待はどちらのパターンも家系に負の連鎖を起こします。
虐待を受けた子どもが、親になって子どもに虐待するようになる。。
(同じパターンで受け継がれることもあるし、パターンが反転することもある)。

親が悪い、誰かが悪い、というのではなく、
そうやって、人が生きづらい冷たい世界がどんどん広がっているのが現実としてあります。

優しい虐待のトラウマをどう解消するか

まずは、自分モニタリングです。
自分のパターンがわかれば、次にどうすればよいのかが見えてきます。

親はどうやって自分を育ててくれたのか?
世話をよく焼いてくれた?
それは自己犠牲によるものではなかった?
常に親の圧を感じていなかった?
親の目を気にして生きているところはない?
生きる力、自力で生きていく力、自分で考える力、自分で物事を解決する力がある?
自分を少しでも完璧に見せようと背伸びしているところはない?
自分のこと好きだと思っているけれど、本当は嫌いではない?
自信満々に見せかけようとしているけれど、本当は自分に自信がない?

自分が親だったら、,,,

育児を頑張りすぎてない?
正しい子育てをしようとしていない?
自分の時間を子どものために費やしていない?

負の連鎖で自分が受け取ったもので、今の自分がある、ということを認識すること。
それを次の世代に持ち込ませない。

自分の人生の操縦席に座っているのは、親ではなく自分。

いつまでも操縦席に親が座っている感覚がある人は、
心の中でその席を空けてもらって、
自分でしっかりと座りなおしましょう。



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