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「東京裁判」を通して、戦争責任について考える(「どこにいても、私は私らしく」#47)

「日本では敗戦と言わず、終戦と言うんでしょう?」と韓国で何度か聞かれたことがある。そういえば8月15日を「終戦記念日」と言い、敗戦という言葉はあまり使わない。韓国では8月15日は「光復節」だ。日本の植民地支配から解放された記念の日だ。

日本では8月15日前後に戦争に関連する報道が増えるが、それは多くは原爆被害にまつわる報道だ。一方、韓国では植民地支配や慰安婦、徴用工などの問題が報じられる。韓国で過ごすと、日韓の報道のギャップを感じることは少なくない。

ほぼ毎年通っている映画祭の一つに堤川国際音楽映画祭がある。忠清北道・堤川で開かれる映画祭で、2019年8月も参加した。開幕前、びっくりするようなニュースがあった。堤川市議会に映画祭での日本映画上映に反対する意見が提出されたのだ。日本製品不買運動が広まっていた時期だ。通常、国際映画祭では国家間の政治的な葛藤を理由に特定の国の作品を上映しないというのはあり得ない。幸い、上映反対の意見は認められず、予定通り7本の日本映画が無事上映された。

このうち佐々部清監督のこの道(2019)を見た。詩人北原白秋と作曲家山田耕筰を描いた映画で、2人は1923年に起きた関東大震災をきっかけに傷ついた子どもたちのために共に童謡を作り始める。ところが日本が徐々に戦争への道へ進む中で、若者を戦場へ向かわせるような軍歌を作ることになり、苦悩する。このような反戦映画が日本映画というだけの理由で上映できなければ、おかしな話だ。

文化人たちが自分の意思に反して戦争に巻き込まれた歴史は、国を越えて一緒に考えるべき歴史だ。上映後、観客との対話には日本のプロデューサーが参加し、「日本の右傾化について、日本の一般市民も危機感を感じているのか?」という観客からの質問にこんなふうに答えた。
「もちろん危機感を感じています。日本人は原爆被害の歴史を忘れてはなりません」
だから平和憲法は守らなければいけない、という話だったのだが、私は韓国の観客を前に「戦争=原爆被害」のように語ったことが気になった。

とは言え、私だって韓国に住むまでは日本の戦争責任について深く考えることはあまりなかった。日本にいたら、そういう機会があまりないのも事実だ。日本の戦争責任や植民地支配について学校で詳しく学ぶ韓国との違いは大きい。日韓の葛藤が続くのは、このような歴史認識のギャップによるところが大きいと思う。

この年、日本に一時帰国した際にドキュメンタリー映画東京裁判(1983)を見た。東京裁判の正式名称は、極東国際軍事裁判だ。太平洋戦争の終着点であり、戦後日本の出発点でもあった。1946年5月から2年半にわたって日本人の被告28人の戦争責任が問われた裁判だ。恥ずかしながら、私は東京裁判についてほとんど知らなかった。知っていたのは、昭和天皇が被告に含まれなかったこと、1941年の真珠湾攻撃の時の総理大臣、東条英機が絞首刑となったことぐらいだ。

映画「東京裁判」(1983年)より(太秦提供)

「東京裁判」は1983年に公開された映画だが、映像と音声が鮮明になったデジタルリマスター版として2019年に再公開された。277分(4時間37分)という長い映画だが、見終わると、これ以上短くはできないと感じた。米軍が撮った実際の裁判映像は170時間に及ぶ膨大な記録で、それに他の映像も加えつつ編集したのだ。小林正樹監督は戦争を直接経験した人で、戦争関連の劇映画も作っている。「東京裁判」も当初はA級戦犯を主人公にした劇映画を企画していたが、ドキュメンタリー映画として作ることになった。だからだろうか、ドキュメンタリーなのに劇映画を見ているようだった。

特に被告が全員無罪を主張する場面が印象的だった。東条が無罪を主張したのを見せて、あとの被告も全員無罪を主張した、とナレーションで表現してもよさそうなところ、被告一人一人の口から「無罪」という言葉が出るのをすべて見せたのだ。もちろん弁護人が無罪を主張するように勧めたと思うが、映画を最後まで見ても戦争責任に関して反省するような態度は見られなかった。
最終的に判決まで残ったすべての被告が有罪となり(1人は精神障害が認められ訴追免除、2人は判決前に死去)、7人が絞首刑となった。

ところで、映画を見て、東京裁判は戦争責任を問う裁判だったのか疑問が残った。むしろウェッブ裁判長とキーナン首席検事の争いに見えた。2人は昭和天皇の免責をめぐって対立した。キーナン首席検事は米国人だ。連合国最高司令官マッカーサーの命を受け、天皇の免責のために闘った。責任を追及する立場である検事が、だ。一方、オーストラリア人のウェッブ裁判長は天皇の戦争責任を問おうとした。
韓国ではマッカーサーといえば朝鮮戦争の仁川上陸作戦を主導したことで知られるが、日本では戦後日本を占領した連合国軍のトップとして記憶されている。マッカーサーは天皇制を維持することが日本の統治に有利だと考えた。

映画自体はおもしろく、没頭して見たが、戦争責任について知りたいという欲求は満たされなかった。責任の所在をあいまいにするのは、日本的なのかもしれない。映画で被告たちは検事や裁判官の質問にあいまいな答え方をする。日本の国会中継などで見るもどかしいやりとりに似ていた。
天皇制を維持することが統治に有利と判断したのは、当時の日本の国民感情を考慮したものだったろうと思う。政治的判断による免責は、結局、日本人が戦争の「加害」についてあまり考えなくなった原因の一つではなかろうか。

戦後40年近くたってできた「東京裁判」は、ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞するなど、公開当時話題になった。ところで、「東京裁判」を作ったのは、映画会社でなく、出版社の講談社だ。出版社が映画を作るのは珍しい。1年ほどで作るつもりが、5年もかかったという。それだけ制作費も当初の計画よりも大幅に膨らんだ。講談社としては大きな負担だったと思うが、最後まで粘り強く作り上げたことに拍手を送りたい。

デジタルリマスター版が公開された初日に劇場を訪れると、その日は上映後に監督補佐と脚本を担当した小笠原清さんら関係者の対談があり、満席だった。ある観客は「この映画を安倍晋三首相(当時)も見てほしい」と言った。小笠原さんは「安倍首相だけでなく、国会議員はみんな見るべきだと思う。この映画も見ないで戦争について語ることはできない」と答えた。私もそう思う。すっきり理解できる映画ではないが、少なくとも日本の加害について向き合わざるを得ない4時間37分だった。


ヘッダー写真:「東京裁判」上映後の劇場トークにて、監督補佐と脚本を担当した小笠原清氏(右)と講談社エグゼクティブ・プロデューサー 杉山捷三氏(左)。著者撮影(2019年8月)。

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。

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