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『半沢直樹』で知る日本/(「どこにいても、私は私らしく」#37)

来韓した知人の宿所、景福宮近くの韓屋(ハノク、韓国の伝統建築様式の家屋)のゲストハウスを訪ねた時のこと。知人は『尹東柱評伝』(宋友恵著)という分厚い本を日本語に訳した愛沢革さんだ。愛沢さん自身が詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)のファンで、私は尹東柱に関する取材でお世話になった。2019年夏、KBSが主催する3.1独立運動100周年記念「尹東柱コンサート 星を数える夜」が開かれ、愛沢さんはこのコンサートに招待されて来韓したのだった。

『空と風と星の詩人 尹東柱評伝』
(宋 友恵=著、愛沢 革=訳、藤原書店刊)

この話を聞いたゲストハウスのオーナー家族は喜んだ。「私たち家族は日本の小説が好きなんです」と言い、何冊か出してきて見せてくれた。夏目漱石、太宰治、川端康成など日本の代表的な作家の小説の韓国語版だった。オーナーは「繰り返し何度も読んで、日本に旅行に行った時には小説の舞台になった所を回りました」と、旅の思い出を語ってくれた。韓国と日本の文学について話が弾んだところで、オーナーは「それにしても日韓関係が険悪で、心配ですね」とため息をついた。日本政府の韓国に対する輸出規制をきっかけに日韓関係が急速に悪化した時期だった。

文化交流にまで影響が出なければいいが、と重い気持ちでソウルの大型書店、教保文庫をのぞいてみたら、外国小説のコーナーにはいつも通り日本の小説がたくさん並んでいて、少しホッとした。韓国で最も人気の日本の小説家は村上春樹と東野圭吾。ベストセラー常連だ。ところで、ベストセラーの棚を見てうれしくなったのは、池井戸潤の『半沢直樹』があったからだ。ドラマ「半沢直樹」の原作となった『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』は、韓国では『半沢直樹1』『半沢直樹2』というタイトルで翻訳出版された。韓国でもドラマ「半沢直樹」を知っている人が多いからだろう。

<한자와 나오키(半沢直樹)>1の書影
同シリーズ3(『ロスジェネの逆襲』 )、4(『銀翼のイカロス』)も韓訳出版されている。

韓国では「日本人はおとなしい」というイメージを持っている人が多いようだ。特に東京の地下鉄やエレベーターなど、人は多いのに静かなことに驚いたという話をよく聞く。韓国に比べれば、日本では夫婦や友達など近い間柄でも不満があっても言葉にせずがまんする場合が多い。だから「半沢直樹」の主人公、半沢直樹のように上司に噛みつくのは、実際にはめったにないことだ。「倍返し」なんて、とんでもない。内心は上司の方が間違っていると思ってもがまんして黙っている多くの会社員たちが、ドラマを見て鬱憤を晴らしたことだろう。

韓国のニュースの中で日本で関心を引くものの一つにパワハラがある。韓国では「カプチル」と言う。甲乙の甲を「カプ」と読むが、韓国では甲が立場の強い人、乙が立場の弱い人という意味で使われる。代表的なのが、「ナッツリターン」と呼ばれた大韓航空の副社長が客室乗務員のナッツの提供の仕方を理由に飛行機を搭乗ゲートに引き返させた事件。さらに大韓航空のオーナーの次女が会議中に怒って広告会社の社員にコップの水をかけた件も、日本で「ナッツ姫」に続く「水かけ姫」と命名されて話題になった。パワハラは、日韓共通の関心事のようだ。そういう意味で、半沢直樹の復讐劇には、韓国の読者もカタルシスを感じられるかもしれない。

ただ、私の経験上、日本よりも韓国の方が上司に物申す人が多いように思う。大学生の頃、大阪の韓国料理店でアルバイトをしていた。私以外のアルバイトはみんな韓国人留学生だった。オーナーも店長も厨房スタッフも全員韓国人だった。私は韓国で1年語学留学をしてきた後で、韓国語を忘れないようにと思って韓国語を使うアルバイトを探したのだった。そこでびっくりしたのは、私と歳の変わらないアルバイトの女子学生が倍ほども年上の店長に「それは違います!」とはっきり意見を言うことだった。内心かっこいいと思った。

日本で5年ほど会社勤めの経験がある韓国の友人は小説『半沢直樹』を読んで「何でもマニュアル化して過程を重視する日本、その時々融通をきかせて対処する韓国、そういう日韓の組織の違いが感じられた」と感想を語った。

日本と韓国、似ているようで、暮らしてみると違いを感じることは多い。暮らさずとも、小説や映画、ドラマなどを通してある程度見えてくる違いもある。私が文化交流に力を注ぐのは、単におもしろいからだけでなく、双方の文化を通して理解が深まる面があると思うからだ。文化まで日本製品不買運動の対象になってしまうのは、なんとか食い止めたいと思った。

小説『半沢直樹』は韓国の人たちが現在の日本を理解するうえで役立つ部分もありそうだ。小説の背景はバブル崩壊後の日本だ。韓国の読者なら1997年のIMF通貨危機の頃の韓国を連想する人もいるかもしれない。バブル崩壊が始まった1990年代初め、私は小学校低学年だったので当時はよく分かっていなかったが、振り返って考えてみれば影響は受けた。将来的に田舎暮らしを夢見ていた父が、バブル崩壊をいち早く察知して大阪の家を売り払い、家族で高知へ引っ越した。バブル崩壊がなければもしかすると大阪に住み続けたのかもしれない。高知の自然の中でのびのび遊び回りながら、相次ぐ倒産のニュースなどは他人事のように感じられた。大学に入るタイミングで大阪に戻り、就職氷河期の中、就職活動で苦戦する先輩たちの姿を見て、バブル崩壊以降不景気が続いていることを実感した。それに比べれば韓国はIMF通貨危機からかなり短期間で立ち直ったように思う。

韓国では、日本の若者の自民党支持率が高いことに首をかしげる人が多いが、「失われた20年」と呼ばれた長い経済低迷期を経て、やっと少し景気が上向いたのを経験した若者が政権与党を支持する気持ちは分かる気がする。韓国から見れば、輸出規制をした政権与党の支持者も「嫌韓」に見えるかもしれないが、自民党を支持する理由も多様だ、というのも知ってほしいと思う。

(ヘッダー写真:韓国の書店に並ぶ小説『半沢直樹』、2019年撮影)

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。

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