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頭の中の消しゴム 認知症とは/(「どこにいても、私は私らしく」#27)

酔っ払うと韓国映画「私の頭の中の消しゴム」を見るという友達がいる。ソン・イェジンとチョン・ウソンが主演した2004年公開の映画だ。韓国で観客数250万人を超えるヒットとなり、日本でも第1次韓流ブームの真っただ中に公開され、長らく韓国映画の歴代興行収入1位に君臨していた。昨年、「パラサイト」がその記録を塗り替えた。

その友達は、映画の前半はセリフをほぼ覚えているほど繰り返し見ているが、後半にさしかかると消すという。妻スジン(ソン・イェジン)がだんだん記憶を失っていき、夫チョルス(チョン・ウソン)まで忘れてしまうのが見ていられないというのだ。映画の中でスジンはアルツハイマー病と診断される。脳が委縮する病気で、認知症の中で最も多いのがアルツハイマー病だ。

私の祖母もアルツハイマー病で、ずいぶん前から私に会っても孫と分からない状態だ。祖母は野菜嫌いでほとんど野菜を食べなかったが、アルツハイマー病で嫌いな食べ物も忘れてしまったのか、何でもよく食べるようになった。祖母の変化を見ていると「記憶って何だろう」と思う。映画のように美しい話でもないが、隠すべきことと思ったことはない。ところが、韓国で祖母がアルツハイマー病という話をした時に「そういうことはあまり言わない方がいい」と注意する人がいた。日本もかつては認知症に対する偏見があったが、だいぶなくなってきたと感じる。韓国は日本に比べると患者数が少ないからか、まだ偏見があるようだ。

日本では2004年、厚生労働省でそれまで「痴呆」と呼ばれていたのを「認知症」と言い換えようという報告がまとめれらた。痴呆という言葉には侮蔑的なニュアンスがあるという理由だった。一方、韓国で認知症を指す言葉は「チメ(치매)」で、漢字で書けば「痴呆」だ。周りの韓国人に聞いても、「チメ」に特に侮蔑的なニュアンスは感じないという。漢字で書かないからかもしれない。

日本に比べると、韓国ではニュースなどで認知症が取り上げられるのは少ない。一般的な話題としてもあまり聞かない。私は朝日新聞に勤めていた頃、文化担当がメインだったが、認知症取材班に入って取材した経験もある。その経験から、認知症に関しては社会全体で問題を共有することが大事だと思っている。

私が認知症取材班に入ったのは、2014年だった。認知症の「徘徊」が注目された年だった。認知機能の低下によって、自分の居場所や家に帰る道が分からなくなって歩き回ることを指す。この年、徘徊中に列車にはねられて死亡した男性の遺族に、列車を運行したJR東海が損害賠償を求めた裁判の控訴審判決があり、男性の妻の監督責任を認めて損害賠償を命じた。事故による遅延で損害を被ったというのだ。一審では男性とは別に暮らしていた長男にも損害賠償を命じていた。一審、二審の判決に対し、「家族や介護者に厳しすぎる」と批判する世論が広まった。最高裁で判決は覆り、2016年、遺族の賠償責任は認めず、JR東海の敗訴が確定した。

この裁判が話題になると共に、認知症患者が行方不明になっているケースが非常に多いことが明らかになった。私は当時、行方不明になっている認知症患者の家族に会って話を聞いたが、ちょっと油断したら出て行ってしまうので、何度も何度も捜し回ったという苦労話と共に、結局行方不明になってしまったことに対する罪悪感を語る人が多かった。「後悔してもしきれない」と泣き出す人もいた。行方不明になっている認知症患者が多いことが報じられるようになってから、対策を講じる地域が増えた。認知症患者のいる家庭を把握し、姿が見えなくなったらすぐに地域の放送で特徴などを知らせて住民たちが一緒に捜すというシステムなど、地域ぐるみの対策だ。

一方、韓国では数年前、「耳たぶにしわがある人は認知症になる可能性が高い」というニュースが話題になっていた。自分や家族が認知症になる可能性が気になるのは分かるし、このような報道が認知症の予防や治療につながるのであればいいが、もっと大事なのは、社会全体が認知症患者と家族をどう支援するかだと思う。

少子高齢化の速度が速い韓国で、今後認知症患者が増えることは十分予想できることだ。最近は映画やドラマにも認知症が出てくることが増え、少しずつ関心の高まりを感じる。65歳以上が全人口の21%を超える「超高齢社会」に世界に先駆けて突入した日本は、韓国にとって参考にできる部分が多いと思う。

ヘッダー写真:今年100歳になる祖母=成川順(父)提供
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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。

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