同じ生活でも見えるものが違う

 1月中旬。
 忙しい大学生活の合間を縫って、友達と郊外へ旅行に行こうという話になった。彼女はここに行きたい、ここもいいなどと様々な候補を出してくれた。私はその週にしなければならない課題が頭の片隅にあったため、いけるか怪しい旨を伝えながらも、候補Aに決まった。
 その夜、どうせなら早めにチケットを購入した方が安いと言うことに気がつき、友人に連絡を入れた。色々ある時間帯の中から、自分が起きるのに苦を感じない且つ、遅すぎない時間帯を選んだ。この時間はどうかと彼女に確認するといいねという返事をもらったので、濁しておいた側、ルンルンで電車のチケットを確保した。
 旅行の日が近づいてきたある日、直接何気なく電車の時間の再確認をした。友人と私の間に沈黙が走った。私が買ったという報告をしなかったためか、彼女はチケットを買っていなかったのだ。それどころか彼女は、私の日程が怪しいという話だったため、より行きたかった候補地B行きのチケットをすでに取ったという。

 そんなわけで、初めて赴く街への一人旅が決まった。

 何を持っていくべきか。洋服、カメラ、歯ブラシ、シャンプー、、、PC?? いやいや。作業はしたいが、流石に持ち歩くには重すぎる。だが、移動時間を持て余したくはない。本棚に目を移す。買ったがまだ読めていなかった星野源さんの「いのちの車窓から」を手に取った。文庫本サイズなら嵩張らないであろう。そうして私はこのエッセイを旅のお供にリュックに詰め込んだ。

 行きのバス。一日中歩き回る予定であったため、夜ぐっすりと寝たくせに寝溜めすることに決めた。着いてからは、旅行先は思っていたよりも刺激が多く、暇を持て余すことはほとんどなかった。そういうわけで、リュックの底の方に移動してしまったエッセイをやっと取り出したのは、帰りの電車だった。
 会社帰りの人々や、小さい子供も疲れてぐったりして寝ている人もいる電車で、私のページをめくる手だけ止まらなかった。星野源さんは、私よりはもっと刺激的な毎日を送っているのだろう。それにしても、どうしてこの人は日常の小さなことをこんなにも面白い出来事に変えてしまえるのだろうか。
 特に何度も思い出しては彼らに敬服するエピソードがある。ハマ・オカモトさんと星野源さんは、怒りを楽しく笑えるような話にしてお互い発散をするのだという。ある日、ハマ・オカモトさんは源さんにスマホの画面を見せた。そこには「ちぎれる バターブレッド」の写真があった。ハマ・オカモトさんは続ける。元々パンはちぎれるものだ、と。
 言われてみれば確かに!!と思った。だが、ふらっと寄ったコンビニにこのパンが置いてあったところで、私の心には引っかかりもしないことを、この二人は同じ怒りの沸点で面白い話に変えてしまえるのだ。魔法使いだと思った。どれだけ注意深く日々の「言葉たち」に向き合っていたら、この当たり前なことがわざわざ書かれている矛盾にモヤモヤすることができるのだろうか。
 その物差し、欲しい。そう思った私は三ヶ月寝かせておいたエンジンにやっと火をつけ文章を書くのを習慣にできるようにしようと思った。魔法使いに私もなるために。


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