世の中は、誰かが想像した創造物でできていた(あるツイートを見て思ったこと)
キタニタツヤさんのツイートを拝見して、今このnoteを書いている。音楽に限らず、世の中は誰かが想像した創造物でできているのだと思った。
バンドマン、ボカロP、シンガーソングライターとして、紆余曲折の道を歩んできたキタニさんだからこその説得力がある。
そしてキタニさんは、聴き手としての発信もちゃんと行なっている。良いと思ったものを、自分なりの方法で伝えればいいのだと思った。
言葉にすれば、誰かが救われることだってある。反応の多さなんて関係ない。上手い言い方じゃなくてもいいんだ(言い聞かせよう)!
最悪、自分1人に伝えるための備忘録でもいい。ライターの私自身も究極を言えば、一番最初の読者である自分に向けて記事を書いているようなところもある。
キタニさんの楽曲は、緻密な音の連なりに感情がにじむ、芸術のアンサンブルのような音楽だと思う。
言葉を探すインタビュー
アーティストにインタビューをしていると、曲が1曲出来上がることは奇跡なのだと思い知らされる。
インタビュアーの曖昧な質問(私ですごめんなさい)の意味をくみ取ってくれて、制作について何とか言葉で伝えようとしてくれる。
記事上に並んだ文字で読めば一瞬で通りすぎる言葉たちも、取材で話してくれる時はちゃんと伝わるように、記事になる際、誤解のないように一生懸命考えてくれる。
そこで言葉を探して苦悩している姿を見ると、言葉にならないほどの地道な作業、膨大な感情や時間が費やされ、完成に至ったのだということがわかる。
ものすごく感動した時に「すごい…」としか言えないように、本当に大変だった時こそ本当は「大変でした…」としか言えないはずである。
でもそれでは伝わらないので、適した言葉を探してきてくれるのだ。
その探している時間や行間までも、伝えられる記事を書きたいって思っている。
質問はきっかけでしかなくても、その人の感情を引き出す役割をしているから、やはり投げかける言葉、疑問に思う心を磨いていかなければならない。
どうしてこんな、もっとも自分に合わないことを仕事にしているのだろうかと、ほとほと困り果てる。
絵本の世界を生きてみる
それは何とか改善していくとして、自分のやっていることはクリエイティブなのだと考えることは、きっと大切なんじゃないかと思う。
大切というか、楽しむコツみたいなものだろうか。
キタニタツヤさんの作品はこんなにもクリエイティブだ。
でも、このMVを制作した人たちが歩く道路を作る作業員とか、目的地に一緒に向かうタクシードライバー、空腹を満たすコンビニのパンを売る人作る人、歌詞を書くボールペンを製造する人。ゴミを回収する人。
どんな仕事だってクリエイティブなのだ。自分もその一員になればいい。
想像したら絵本みたいな世界が広がっていた。
キタニさんがツイートされたような内容は、きっとみんな前から思っていたことだ。
「0→1で何かが出来上がることってすごいよね」ってわかっている。
だから代表できるような人が口火を切ると、ほんとそれ!!ってみんなが食いつく。
何も難しいことは言っていないけど、バズっている。
それは「この人が言うなら重みがある。共有しよう」と思うところまで含めてのリツイートかもしれず、キタニさんのご活躍をも物語っている。
「自分の作品も認めてほしい!」という意思を込めたリツイートもあると思う。
誰かの創造を助ける想像も、きっと創造なのだ。それが重なって今日が存在している。
結局のところ、創造の原点は自分の中にはないのかもしれない。
けれど一度創り始めたら、最後まで貫く心は自分の中にしかない。
自分が何かを創るのだという気持ちが、今日の活力になり、明日に色をつけていく。
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