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わたしの線維筋痛症 回復記②〜発病してから、医療機関を転々とする日々〜ドクターショッピングと絶望編〜


2013年の冬、ブーツで転ぶ。そして、全身の痛みが始まる。

忘れもしない、2013年の年末。わたしは行きつけの整体の帰り道だった。バスを降り、最寄りの停留所からの道をまだはっきりと覚えている。

まだ寒い冬の日だった。家路を急ぐ。

そこでふと、道の端に空き缶が落ちているのを見つける。自販機の横のゴミ箱に入れようとする。腰をゆっくり折り曲げて、かがむ。

うまく、腰を曲げられなくて、ゴリッと嫌な音がした………。

そう、この日から、繊維筋痛症との生活が始まるのである。

整形外科を転々とする。

 その日の晩から腰、膝、足首そして上半身に至るまで、全身の痛みが続いた。手足に痺れが出ることもあった。もちろん夜は眠れない。そして整形外科を転々とする日々。

 どの病院に行ってもどんな検査をしても(MRIやレントゲンを全身くまなく撮った)何が原因なのかわからない。病名は、わからない。原因はわからない……。
 泣きながら自分の現状について説明しても、医師は首を振るだけだった。

 3時間病院で並んで待って、5分の診療。そして湿布をもらって帰る日々。この時が1番辛かった。ドクターショッピングの果てに精神科にたどり着いた。そしてまたそこでも、原因がわからずただ処方された薬を飲むだけ。ますます体調は悪化した。このときの事はなるべく思い出したくない……。

救急車で運ばれる

 あまりの痛みに立てなくなり、救急車で運ばれ病院に搬送されることもあった。

 わたしは救急車の介助ベッドに乗せられながら、正岡子規の、とある言葉を脳内でひたすら反芻していた。

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」(p.32)

正岡子規『病牀六尺』より引用

 悟りというのは、死を選択することではなく、いかなる場合にも平気で生きていること−-自分ではコントロールすることのできない、大きな脅威となった体の痛みに飲まれながら、私は正岡子規のこの言葉が自分の頭にこびりついて離れなかった。

いかなる場合にも、たとえそれが原因のわからない痛み、自分の精神の安寧を脅かすような苦しみであっても、平気な顔をして生きていくこと。

 慢性的な痛みと共存していく中で、正岡子規が残したこの言葉が共に伴走していく大きなテーマになるとはこの時はつゆほど思わなかった。

 結局、救急車で運ばれた大きな病院でも精密検査をしたが、この時も原因は分からなかった。
 唯一の救いは、その時診察をした医師が「僕たちは患者さんの病気を治すとともに、患者さんの不安を取り除く仕事をしているのです。」と、わたしの不安に向き合ってくれたこと。医療者に対する不信感を抱いていた自分を救ってくれた出来事だった。(まあその病院でも原因はわからなかったのだけれど。)

終わらない熱、吹き出す汗、股関節から不思議な音


 病院や整形外科、救急車で運ばれ緊急病院にも行った。しかし一向に身体の痛みの原因がわからず、有効な対処法もないまま、季節が冬、春、夏と、過ぎていった。

 このときの記憶は正直ほとんどない。

 症状は移り変わりながら、消えていくものもあれば、また再び噴き出すものもあった。

 冬から春にかけては、暑いわけでもないのに吹き出すような汗が止まらず1日中汗をかいていた。枕カバー、シーツ、ベッドカバー、全てが汗でビシャビシャになり、わたしが寝ていた場所にくっきりと私の体の跡がわかるくらいだった。そんなに汗をかくくらいだから、高熱が出ているのかと思いきや、熱は微熱程度。

 今思えばこれは自律神経の症状なのだとわかるのだが、当時は、なぜこんなに汗が吹き出て体が火照っているのだろうと不思議に思っていた。この症状は、2ヶ月ほど続いたと思う。

 また、4月の頭からゴールデンウィークの終わりまで、私はずっと37.5度台の熱を出していた。こんなに熱があるのだから他の症状が出るのかと思っていたが、喉も痛くなく鼻水も出ない。いわゆる風邪等の症状は一切なかったのだから不思議だ。ただただずっと熱が続いていた。

 なぜこんなに体の調子が悪いのか、微熱があるのかわからないまま、病院で処方された精神安定剤や抗生剤を飲んだが、一向に回復する事はなかった。

諦め、鬱、そしてバッハ

 症状は立ち代わり現れたり消えたりを繰り返しながら、夏頃には低空飛行ながらも安定している状態になった。

 ドクターショッピングを繰り返したが、思うような治療が受けられず、現代医療に不信感を持ったわたしは、整体や鍼灸の治療も並行して試していた。鍼や灸の治療を受けた後は、体が楽になるような感じがしたが、自分の抱えている痛みやその他の症状が楽になっていると思えず、すぐに止めてしまった。

 しかし、特に何もしなかったのが良かったのか、微熱や異常な発汗などの自律神経の症状は安定するようになった。
 一方で、足を上げてみれば足首が痺れ、膝が痛くなり、股関節からゴリゴリと音がする。この状態はずっと変わらず、ついには歩くのも辛くなってしまった。
 2013年の夏から秋にかけては精神的にしんどい時期だったと思う。今になって思えば、この時期はすこし鬱だったのでは?
 SNSも全て辞め、ずっとラジオを聴いている日々だった。このときの唯一の癒しはグレン・グールドのバッハ・ゴルトベルクだった。朦朧とした頭で、自分はこれからどうなってしまうのだろうと毎日考えていた。

病院に行っても原因がわからない。

鍼灸や整体に通ってみたけど有効な手がかりはわからない。

体の痛みは増し、家の近所を歩くことも難しくなった。

このまま自然に死が来るのを待つだけなのだろうか……。

そんなときに転機がやってきた。

仙腸関節症??鍼灸院へ。(療養2ndシーズン突入)

 整形外科で撮影したレントゲン。

 わたしの骨盤の中心部分は不自然につながっていた。それを見て不審に思った母がインターネットの海で検索を繰り返し、骨盤の不調を扱う鍼灸院を見つけてきた。そこには、仙腸関節症との言葉があった。HPに記載している症状はわたしの症状と酷似している。

「試しにここに行ってみようよ。」

母のその言葉に心動かされた。もしかしたらここで何かがわかるかもしれない。

これがわたしの転機となった……。

(③につづく)


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