単語の背景と紐付いた文脈

まずネオテニーという言葉を知ることが出来てよかった。別の言い方をすれば「その人らしさ」になるのかな。
家庭の中で親の立場で用いる時は子供のネオテニーを守るという視点の足場を得ることができる。それは同時に自身の中のネオテニーを確認するという作業を要求される。
来年度から学校運営協議会の委員になる予定なので、その話し合いの場においては、ネオテニーという言葉がまた足場となるはず。
対象と向き合う時に、言葉は多面的に向き合うための足場を与えてくれる。と同時に一歩引いて向き合う為の足場ともなる。言葉はまた別の言葉と紐付いているので、その文脈に含まれる言葉からも対象と向き合うことが可能となる。文脈は経糸のように歴史を内包し、対象と向き合う同時代の他者と自分である緯糸と呼応してその場なりの織色と成るはず。

また、ネオテニーという概念を知ることによって腑に落ちたことがあった。シュタイナー教育は7歳まで徹底して文字を教育しないのが原則なのだけど、これには疑問があった。理由はわかるし、実際に我家も親の方から字の勉強を薦めることはない。だけど、子供の方から興味を持った時は応えたらいいという姿勢。現在5歳の息子は半月程前から読み書きに興味津々で、その好奇心を抑えるようなことはしていない。一方モンテッソーリは幼児が数や文字を勉強する為の知育玩具が充実している。神智学や人智学といった精神世界から入ってきているヴァルドルフ/シュタイナー教育と、長年の保育経験に基づいたマリアモンテッソーリの教育観では、モンテッソーリの方がネオテニーを意識しているように感じたのだけど、シュタイナー教育に関する本やネット情報をできる限りあさった程度で結論づけるのは横暴なのだろうと思う。でもシュタイナーの人智学に関する本まで読む気にはなれないなあ。

言葉を知れば知るほどイマは豊かになるかもしれない。そんな風に感じさせてくれる技術の一つがpodcast。
itunesの初期から搭載されたこのサービスは、当初イコールラジオという認識で提供理由が全くわからなかった。なんで今更また受動的メディアを提供するのか、と。
数年前、野良仕事中にオーディブルをよく聞いていたが、その時はポッドキャストには手をつけなかった。
DIYリノベをするようになってjoi itoさんのことをyoutubeで知り、そのjoiさんがpodcastをされていたことがそもそものきっかけで今は愛用している。

アプリの提案で茂木健一郎さんの番組を知ることになった。母体は大手メディア企業なので大衆受けを狙う臭いもするけれど、テレビほど低俗でもない中間のバランスをとりつつ、面白い人を取り上げてくださっている。例えばコーラ小林さんとか、line社長、関野吉晴さん等々。20代30代の起業家の人達は声にも張りがあって聞いていて清々しく、言動力に驚き感嘆する。世の中には面白い人が沢山いるのだなと、そう思えるだけで楽しい。
インスタのリール動画も同様に、市井の中にいる無名の名人や動植物の生態等、知らないだけで魅力的な生命体がどんどんサジェストされてくる。中学生の頃からテレビという受動メディアが大嫌いだったのだけど、web2になって能動と受動から創発された動画には生命の美しさを謳ったものもあって面白いと感じる。web3はもっと有機的で生命体に近づいていくのだろうか、楽しみ。

為末さんという面白い人がいることはこの番組で知った。堀江貴文さんへ抱いていたイメージがひっくり返ったのは茂木さんのポッドキャスト。氏名の由来や史跡の存在理由といった古のものからポッドキャストやリール動画といった現代のものまで、知る機会を与えてくれる存在は沢山ある。
大して知らないのに知ったような顔をして傲慢にならないよう、澱まぬよう流れ続けていきたい。

Joi Ito's podcastの更新が楽しみです。


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