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真珠湾の花火

突然、突風が身体を吹きぬけていった。

今から8年前の、この日
私はパールハーバーにいた。
戦争による犠牲者への哀悼の意と平和を願い
パールハーバー史上初の
長岡花火が打ち上げられたのだ。

長岡とホノルルは姉妹都市であり
式典では両国のこどもたちが
「私たちは戦争をしません」と
かたく握手をした。

フォード島 真珠湾
ヒッカム合同基地内のステージにて
「Jupiter」を歌った時
突然、突風が会場と身体を吹きぬけていった。
誰もが分かっていた、その風の正体を。

アメリカ海軍のひとりが話しかけてくれた。
東日本大地震のとき、トモダチ作戦で
日本に駆けつけてくれた人だった。
泣きながら、抱きあった。

最後は、ホノルル市長と椅子を並べ
一緒に花火を見上げた。
それぞれに素晴らしい色彩
腹の底まで響く、あの音。

「花火の光も音も嫌いなの。
あの日のことを思い出すから」

決して消えることのない痛みを
抱えている人たちもいた。

今回打ち上げられた花火の玉は
船でアメリカまで運ばれたという。
花火はもちろん爆弾ではないが、爆発物だ。
長岡とホノルルの信頼関係なくしては
成り立たない。

「みんなが爆弾なんかつくらないで
きれいな花火ばかりをつくっていたら
きっと戦争なんか起きなかったんだな」

名作「長岡の花火」を描いた
山下清さんの言葉を思い出した。

長岡花火をパールハーバーで
打ち上げることの意味や
戦後70年という、この年に
後世へ伝えなければならない
両国の使命感が幾多にも重なり
言葉にならないそれぞれの想いが
夜空に咲いては消えていった。

気づけば、私も市長も泣いていた。

現代を生きる中で
どんなに時代が変わろうとも
決して変わらないものがある。
それは、命の尊さだ。

ちぎれるような痛みも悲しみも
生きていく道の途中で
永遠にさよならをすることはできないけれど
私たちには、それ以上の
愛の喜びを受け取る権利がある。
この愛は誰にも奪うことはできない
たったひとつの世界の約束だと思う。

私には何ができるかを考えながら
亡くなられた方々を想う。

今日も一日、私には
支えてくれる人たちへの愛と
歌う喜び、生きることへの少しの怖れと
生きていることへの大きな感謝があった。

明日も、当たり前に目が覚めて
ありったけの愛で
自分を生きていきたいと強く思った
8月15日、終戦の日。

平原綾香さんのface bookより


どうかこの祈りが届きますように

奪いあう生き方でなく
わかちあって共に生きていく

哀しい学びからもう卒業できる地球人になりますように

心から祈念いたします✨

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