ネコベッドというバンドの物語(6)
それからのネコベッドは濃淡は違えど、ずっとラブソングだけを作り続けた。
ボーカルの座を明け渡したぼくには大きな発見があった。
自分以外の人間が歌うという前提で歌詞を書くことで、より客観的に作品と向き合うことができるようになったのだ。
たかがラブソング、されどラブソング。
その頃、悲しい歌はこの世に必要なのか、と、単純な問いを自分に投げかけた覚えがある。
それで、応援歌のような歌ばかりの世界を想像してみたら地獄のようだった。悲しみに暮れている人をポジティブな何かでインスパイアすることは難しい。共感できる何かが必要だ。
伝えようとするのではなく、心が揺さぶられる何かを、確かに存在してすぐに消えてゆくような美しいものを、言葉で永遠に留めたいと思った。
都電の車窓に切り取られたそれぞれの暮らしに、夕陽が影を伸ばす坂の途中に、はちみつを垂らすようなあたたかい天気雨に、深夜のミニシアターの上映のベルと映写機のノイズに、僕は知らない誰かの物語を僕の記憶の中にしか存在しないはずのイメージから紡ぐことに夢中になった。
気に入ったメロディが思いついたら、
1日何件も喫茶店をはしごして大学ノートに歌詞を書き続けた。タバコとコーヒーがガソリンだ。
納得のゆくものができたときの喜びといったら!
あとはどんどん上手になっていった。まさに自動操縦のように。
それ以来、自分の書く歌詞のクオリティを心配したことは一回もない。「歌詞」は。。。。
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