ヨッシー

■大阪南森町在住。元バンドマン。元経営者。1978年生まれ ■大阪南森町のライブBar GaraGeのキュレーター ■アーティストが育つ土壌をつくる。アーティストの生活費を下げるお手伝いも ■ここからの人生は優しいまなざしで世界を見にいこう

ヨッシー

■大阪南森町在住。元バンドマン。元経営者。1978年生まれ ■大阪南森町のライブBar GaraGeのキュレーター ■アーティストが育つ土壌をつくる。アーティストの生活費を下げるお手伝いも ■ここからの人生は優しいまなざしで世界を見にいこう

最近の記事

ゆで卵となまたまご

社会を数十年かけて沸騰する大きな鍋に例えるなら、 温度の上がり始めに発生する小さな泡。 そんな出来事を身近に感じることが多い。 やがて沸騰して吹きこぼれるまでその火を消すものは現れない。 村上春樹がガザでのエルサレム賞のスピーチで「壁と卵」の話をしたのが2009年。 壁をシステム、卵を個人に例えた秀逸なスピーチだった。 それ以降も鍋の温度はゆっくりと上昇を続ける。 SDGSしかり、道理や道義すらシステムとして利用されながら。 主に都市部で、 私はハードボイルドの主人公気取

    • 科学が哲学を殺す間に

      90年代から00年代にかけて 本を読むことが好きで良く読んだ。 娯楽小説に始まり、国内外の古典文学、哲学書などいわゆる難解な本も紐解くようになり、1ページ、ひとつの文章に向き合ったりして、頭の中でたくさんのことを考え、思いを馳せた。 それは過去の賢人たちの目線で物事を覗き見る喜びだった。 とても素敵な時間だったと思う。 さて時は流れ、2023年。 iPhoneが生まれ(そういえばずっと昔に、進化した人類にアンテナが生えると予見した哲学者がいた)、 SNSが普及し、アルゴリズ

      • 空が光って

        時代遅れになったもの 手紙 消しゴムの跡 チョコレートの染み 妄想 思いを馳せること 下手でも思いを伝えたのはいつ? コロコロした文字とか、ヘンテコな文字とか 思いは重い いっぱいあったのに 世界中で僕だけ使える魔法とか 僕たちはあれからいろんなことを覚えて 得意げに世界を横に広くした そして縦に狭くした 僕たちはゴムと一緒 伸ばせる限界とか 本気で考えると笑われるから 優しさは縦の世界のおとぎ話 空が光って 雨が上がって

        • 都市と自然の境界線〜九州一周を終えて〜

          九州一周の撮影旅行が終わった。 約20日の旅だった。 今回、釣りとキャンプと九州の自然をテーマに、ビデオカメラを携えて被写体となる相棒について回った。 頭の片隅には、将来の良い移住先に出会えるかなという期待もある。 大阪を出発して戻るまでの行程は3000キロ弱。 アメリカ大陸横断が4000キロというから相当な距離を車で走った。 行程は 大分→宮崎→鹿児島→熊本(天草地方)→長崎→福岡 佐賀は日程の都合で割愛した。 南は佐田岬から西は長崎の生月島の大バエ灯台まで、沿岸部を余す

          子供たちへ

          君たちが遊園地で乗り物に乗ってる間に考えたこと。 「自分の人生を生きなさい」って伝えたいだけなんだけど、 ところが、これがなかなか簡単じゃない。 だからこそとても楽しいことでもあるんだが、、、 そこで、パパが見つけた良いアイデアを文章で残しておくことにしました。 パパは自転車で一人で旅をしたりしてるよね。 だから、自転車の旅に例えようか。 上り坂はとても辛い。頑張ってペダルを漕いでもそんなに進まない。 その坂の勾配と長さとその人の体力に応じて、必ず限界が来る。 でも上り

          子供たちへ

          南森町Bar GaraGeクラファン達成祈願!自転車で四国一周1000キロ旅へ

          今回の旅の3つの目的知っているようで知らない日本という国を感じるため 「旅」とひとことで言っても、どのような交通手段で旅をするかでその体験は全く異なるのだと思う。移動に時間をかけない手段であればあるほど、景色は通り過ぎて行き、スポットからスポットを移動するだけの点の旅になる気がする。 昨今はインスタグラムなどのSNSでリサーチしたスポットを巡るだけの旅が多くなっているのではないだろうか。 「日本人は」「日本という国は」というくくりで語られることの多いその「日本」、おれは一体

          南森町Bar GaraGeクラファン達成祈願!自転車で四国一周1000キロ旅へ

          ライブスポット 南森町GaraGe始動

          モッシー&ヨッシー GaraGeのオーナーのモッシーさんと出会ったのは今から1年半ほど前。 それがまさか一緒にライブスポットを作ることになるなんて、人生は不思議だ。 当時モッシーさんは、所有しているビルの地下ガレージを仲間たちと一緒に改装してバーを開店した。それがGaraGe。俺は事務所が近くだったのでよく仕事終わりに飲みに行って常連の一人になった。 若いころに絵描きを志したモッシーさんと、かつて売れないミュージシャンだったヨッシー(俺)はすぐに意気投合して仲良くなった

          ライブスポット 南森町GaraGe始動

          置かれた場所で咲いてんじゃねえよ。人間なんだから。

          過激なタイトルすみません。 先日、くだらない6年間、その準備を含めると9年間の通信代理店の業界を引退し、コールセンターの会社もたたんだ。敗北を素直に認める。自分にとってそこで勝利する意味がないことも良く分かった。 ミュージシャン出身でビジネス経験がなかった俺は、その過程で、使う言葉も他者を否定しないように気遣うようになった。でも、それって良いことなんだろうか?平均的なビジネスマン面のやつらに囲まれて、パッションも何も沸いてこなかった。どんどん平均的な人間になっていってるのを感

          置かれた場所で咲いてんじゃねえよ。人間なんだから。

          ネコベッドというバンドの物語(6)

          それからのネコベッドは濃淡は違えど、ずっとラブソングだけを作り続けた。 ボーカルの座を明け渡したぼくには大きな発見があった。 自分以外の人間が歌うという前提で歌詞を書くことで、より客観的に作品と向き合うことができるようになったのだ。 たかがラブソング、されどラブソング。 その頃、悲しい歌はこの世に必要なのか、と、単純な問いを自分に投げかけた覚えがある。 それで、応援歌のような歌ばかりの世界を想像してみたら地獄のようだった。悲しみに暮れている人をポジティブな何かで

          ネコベッドというバンドの物語(6)

          ネコベッドというバンドの物語(5)

          初ライブから数日後の話。 キッチンでは特大のフライパンが盛大にガシャガシャ鳴っていた。 だれかが大声で注文を叫ぶ。グループで一種類同じ物を注文しろ、と店主の悲鳴のような命令が聞こえる。 大学のすぐ側の「エルム」という店。 名物の「カルボナーラ」という名前を騙った焼きそばのようなスパゲッティをすすりながら、メンバーの一人が言った。 「女性ボーカルとか、いいんじゃない?」 彼の高校の同級生の女の子が、今東京にいて、ソニーミュージックの育成部門にアーティストの卵とし

          ネコベッドというバンドの物語(5)

          ネコベッドというバンドの物語(4)

          当時はメロコア、スカコア全盛期。 Hi-STANDARD、スネイルランプ、KEMURI、SCAFULL KING等々。 英語の歌詞が海外直輸入っぽい雰囲気で、ストリートカルチャーと音楽が一体となって大きなムーブメントになっていた。懐かしのSmart、Ollie。 「スコット・ファーカス」は中南米研究会の1回生たちが組んでたスカコアバンドで、女の子のホーン隊が並んでいて、すごく華やかに見えた。 そうだ、このジャンルで行こう!楽しそうで人気出そうだ! ギターは平歌の

          ネコベッドというバンドの物語(4)

          ネコベッドというバンドの物語(3)

          2000年だったか2001年だったか。 椿山荘の近くに、就職で上京してきた兄と古いビルの改装されたワンフロアを借りて住んでた頃だ。 春になって雨が降ると、神田川沿いは桜色に煙った。 ぼくは早稲田の3回生で、バンドメンバーを見つけるべく、学内の音楽サークルを渡り歩いていた。 そこで出会ったのが早稲田大学中南米研究会。 3号館地下の部室にはPAシステムがあって、ガラム煙草の匂いがして、こぼしたラムコークで床がにちゃにちゃしていた。壁にはボブマーリーとジャマイカの国旗

          ネコベッドというバンドの物語(3)

          ネコベッドというバンドの物語(2)

          なんで今になって昔話を書こうと思ったか? それを説明するには、2021年現在のぼくの状況から話す必要があります。 5年前に大阪に小さなコールセンターを作り、そこで社長をしています。 自分で作ったり演奏するという意味での音楽には一切未練がなく、あの音楽漬け、バンド漬けの日々は本当に自分の人生の一部だったのが信じられないほど、今は真逆の生活をしています。 30過ぎまで音楽にしがみつくようなこってりした人間がビジネスの世界に転向するには相当な意識改革が必要でした。 簡

          ネコベッドというバンドの物語(2)

          ネコベッドというバンドの物語(1)

          42歳のおっさんの昔話です。 大学生~27歳?くらいまで、ネコベッドというバンドでギターを弾いたり曲を作ったりしてました。 たとえばこんな曲 「君はいまでもあの頃のこと 思い出したりするかい? ぼくらのワンツートーク バラ色の街角 ぼくは今でもあの頃のこと 夢で見たりするよ 吹けないはずの口笛 上手に聴かせてる」 (オールド・ストローハット/ネコベッド アルバム「Bonkers」 発売日2004年06月23日 規格品番SCHOOL-053 https://

          ネコベッドというバンドの物語(1)