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欧州マーケット総論とトレンド(後編)

2021年10月22日(金)17:00~19:30に、連続講座「実践者から学ぶ、ブランドデザインの哲学と手法」の第4回目を開催しました。

第4回目のテーマは「欧州マーケット総論とトレンド」とし、株式会社ユナイテッドアローズ上級顧問クリエイティブディレクション担当である栗野宏文氏を迎え、株式会社スズサンCEO / Creative Director であり Creation as DIALOGUE の統括コーディネーターを務める村瀬弘行氏との対談形式にて講演が行われました。

本記事は後編とし、栗野氏がコロナ禍で見た小売とブランドの関係やお客様の意識の変化、海外都市における取り組み紹介、村瀬氏がコロナ禍の先に向けて行いたいこと、といったテーマの対話を掲載しております。

前編はこちら、中編はこちら

一気に押し寄せる変化の中でハピネスを届けるには

栗野氏:もうひとつは、これまたラグジュアリーの話と繋がるんですけども、デパートというのは小売屋さんですよね。デパートさんはまさにセールスショップだったわけです。僕も大好きだし今でも行きますよ。でも大家さんになってしまったんですよね。場貸しなんです。だから、売れるお店に入ってもらって、売り上げの何%を家賃にしてもらえれば成立します。それはお客様にとっては、有名店、有名ブランドが入っているということで、やっぱりあそこは館として老舗でいいねと思う半面、どのデパートも全部同じ顔になっちゃったんですね。1階にエルメスがあってヴィトンがあってプラダがあってという、全部一緒です。じゃあもう全部どこ行ったっていいじゃん、ということになってしまいます。

一方でブランドのほうはブランドで賢いから、直営店を増やします。それからEコマースを増やします。デパートの役目は無いわけです。残念ながらデパートさん的なビジネスというのは衰退しています。いろんなそういう理由でこの2年くらい、ちょっとまずかったんじゃないかというものが、5年後に起きそうだったことが1年間で起きてしまったというのが僕の分析です。だから、在宅勤務も、そういう立ち行かないビジネスが本当に来てしまったという話も、あとは世の中の欠点が売り出されて、イジメの問題とか、ジェンダーバイアスとか、あるいはエネルギー問題とかが全部見える化してしまいますね。例えば新型コロナウィルスはどこが原因で、本当にはまだ特定できないかもしれないですが、過去何年かで起きたSARSもMARSもCovid-19も、感染症の元は野生動物だという説があります。少なくともSARS、MARSはそうなんですよね。アフリカに行ってわかったんですけど、エボラ出血熱もそうだったようです。元々エボラウイルスというのはコウモリはみんな持っているんです。でもコウモリと人間と同じところに暮らしていなかったんです。でも人間がコウモリの側に近付いてしまったのです。森を破壊して、山を破壊して、コウモリは里に下りてきました。そして人間が、コウモリが持っているエボラウイルスをもらってしまったわけです。同じことがSARSでもMARSでも起きていて、おそらくCovid-19もそうだろうと言われています。結局、環境破壊は大変だと言っていたのが、本当にそれのおかげでこんなことになってしまったと。

あるいは、世界的な異常気象もそうですね。ヨーロッパでもドイツやオーストリアみたいに、寒い国が30度越えみたいなことが普通になってしまったわけですね。やっぱり「5年後くらいには考えなきゃね」みたいなことが、コロナで全部可視化されたと僕は思っています。だから本当に、暮らし方やエネルギーの使い方や、資源の使い方や、お金の使い方をリセットしたり、考え直す時代になっているんだなというのは、今一番大きなテーマですね。その中で、小売り屋として何を売っていったら、お客様にハピネスを届けられるのか。何を売っていたら君たちそこに居てもいいよと、許してもらえる存在になるのかなというのが、一番大きな命題です。

村瀬氏:今回、参加事業者の方のおひとり漆屋さんなんですけど、すごく心に残ったことがあります。「僕たちは本物を作りたい、だけどそんなにたくさん作れないですが、どうしたらいいですか」ということだったので「それでいいですよ」とお伝えしたんです。それが本当に今求められている価値で、大量に作ることとか早く作ることとか、正確に作ることとかというのはすでに価値じゃなくなっているなと思います。それが求められて、それはもう栗野さんがおっしゃったように可視化されてしまったんです。そのあとで、非効率的なもの、不均一なもの、手で作られているものというのが、あらためて我々が提供できる、求められている価値だというのを感じますよね。

栗野氏:半分これ結論みたいな話になっていますけど、そういったプロダクツを今変わりつつある世界、変わりつつあるヨーロッパにどうやって売っていくのか、あるいはヨーロッパに売ることが答えなのか、ということを残った時間でいろいろ話していくといいんじゃないですか。

ユニバーサルランゲージ

澤田:ここまでのお話を伺っていて、スズサンがなぜヨーロッパで受け入れられているのかという話の中で、クラフトマンシップという要素を加えて、事前に打ち合わせさせていただいたときは、ユニバーサルランゲージと表現されてらっしゃいました。それはハンドクラフトであるということに加えて、それが必要であるということで理解でいいのか、世界語あるいはユニバーサルランゲージとはいったいなにで、それはどのような形で紡げるのか、伝えていくことができるのか。ここを少し教えていただいてもよろしいですか?

栗野氏:当事者としてどうですか?

村瀬氏:当事者として、ヨーロッパの面白いところではあるのかもしれないですけど、ユニバーサルに考えるということは、ヨーロッパでは割と当たり前に行われていることだなと思っています。なぜかというと車で30分行ったら言葉が通じないところにいくわけです。僕の街はデュッセルドルフという街なんですけど、そこから車で30分行ったらオランダに着いて、ベルギーに着きます。そこだと自分が普段話している言葉がまったく通じないわけです。コーヒー1杯頼めないわけです。そうなると常に、自分以外の人たちのために何ができるか、その人たちはどういう生活をしているんだろう、ということも考えたりします。言葉だけではなくて生活環境の考え方というのもかなり違うわけなので。そういった環境で18年育ってきた中で培われてきた部分があるかなと思います。

それをスズサンに置き換えると、日本の文化の中で400年続けられてきた、使われてきた、作られてきた文化の物がありますけれど、常に自分で思っているのは、それがイタリアの人がどう使うのか、フランスの人はどう使うのかということです。そうした場合に、「文化のアダプター」を付けなきゃいけないと思います。そこのアダプターの部分が、例えばそれがニットウェアに置き換えるということだったりして、それはストーリーになるというわけです。

常に心に思ってデザインをしているのは「風通しの良いデザインをしよう」ということです。というのは、僕は元々彫刻を勉強していたのですが。初めて彫刻を勉強したときに彫刻の先生が教えてくれたんですけど、彫刻というのは平面じゃなくて立体的なものなのだと。平面だけを見て彫刻は作れない。常に後ろの風景があって、その空気感の中にそのオブジェクトがあるものっていうのを考えて物を作ると良いというのは教わってきました。

今作っているスズサンも同じように思っています。イタリアや他の国に行ったときに誰かがスズサンを見て「それすごいね」と、ここ(洋服の正面)だけ見て止まってしまうと視点が終わりだなと思っています。後ろに例えばイタリアのビーチがあります、オーストリアの雪山があります、ニューヨークの高層ビルがあります、という中にこれ(服)が馴染んでいて初めて、ひとつ物として成立するのかな、という風には思っています。そういったことがひとつ、ユニバーサルランゲージというところに繋がるのかな、というのが僕なりの回答です。

栗野氏:やっぱり具体例を見ると、端緒が掴めるというか、きっかけになると思うんです。これはひとつのとても良かった例だと思うんです。それ以外にも、さっきの、漆をたくさん作る必要無いというようなことですね。「たくさんできないから良い」ということ自体がユニバーサルなんです。ヨーロッパでも、手作りのものは良いというのはあるわけですから。

よく例に出すのは、京都の開化堂さんの茶筒なんです。イギリスのデザイナーのマーガレット・ハウエルという人は、開化堂の茶筒をすごく気に入っていて、ロンドンのお店でも売りたいと言いました。開化堂さんもとても喜んで、ぜひぜひ使ってくれるならということで。幸いイギリスにもお茶のカルチャーがあったというのもありますけど。マーガレット・ハウエルは「じゃあこれにマーガレット・ハウエルのイニシャル入れましょう」と言われて、怒りました。「こんな素晴らしいもので、これでいいのに、それに私の名前を入れるつもりもないし、そんなことがブランディングだと思ってない」と怒ったわけです。でも、正しいなと思います。開化堂さんの茶筒は開化堂さんの茶筒として良いわけです。でも今見える景色のことでわかったのは、共通項が拾えたんですね。イギリスも日本もお茶の文化があるっていうことです。

歴史は魅力

栗野氏:村瀬さん作ってらっしゃるものに、例えばカシミヤ、コットンがありますね。カシミヤの着る歴史もコットンの着る歴史も、ヨーロッパにはありますよね。だからより受け入れやすいんだと思いますし、ひょっとしたらアメリカとかはまた違う感じなのかもしれないです。ちょっと意地悪な言い方ですけど、ファッション文化に対する理解度が、アメリカは足りてないのかもな、という気がします。アメリカ人もハンドメイドのものは好きですけど、でもどういう風に、というのがもう一つかなと思います。これはやはり歴史ということだと思います。

最近自分がアフリカに5回も行ったり、アフリカのデザイナーを紹介することが多いんです。思うのは、やっぱり魅力は歴史なんだということです。もちろんパリのLVMHプライズのコンペティションに出てくるぐらいだから、ある程度ヨーロッパの人にも理解されるような要素は持って出てきているわけですけど。とはいえ彼らが背負ってきているものには、アフリカの文化を感じるわけです。何百年、何千年と、言葉や書き文字が無かった時代から続いているものを、彼らは持って、それを一緒に出しているというのを思うわけですよね。あるいは自然との付き合い方とか、動物との付き合い方とかもあるでしょう。

一方、差別に聞こえてしまうかもしれないのですが、アメリカで生まれ育ったアフリカ系のデザイナー、あるいはアメリカで主に時間を過ごしたアフリカ系アメリカ人のデザイナーというのは、やはりそのカルチャーではないんです。ヒップホップだったりストリートだったりします。わかりやすいかもしれないけど、「浅い深い」という言い方は失礼なんだけど、僕は浅く感じてしまうことがあります。バズレベルといいますか。やっぱりこれからラグジュアリーという風に感じられるものは、カルチャーを感じられないと無理なんじゃないかなと思います。

村瀬氏:そうですね。僕は文化を作りたいっていう気持ちが元々ありました。まずはそもそも物を作らなきゃいけなかったですが、物を作りたい、その先に人を作りたい、地域を作りたい、それが最終的に文化になればいいなという想いはずっとありました。そこまで行ったら、それこそサステナブルですよね。文化は自走するわけなので。物や人は作らなきゃいけないですけど、文化は多分、継続性があるものだろうなと思います。それこそバズを作ることは継続性には繋がらないという風に思ってしまうんです。今回の事業者の皆様に先にお伝えしておきますと、僕はバズを作れる人間ではないので(笑)、そこだけはご理解いただきたいんです。

栗野氏:結果的にバズることや、インフルエンサーやYouTuberが気に入ってくれて紹介してくれるなら全然問題無い、それはいいと思うんです。ただそれを狙ったり、それをアテにしてしまうということは危険だという話です。

冒頭のレジュメじゃないですが、ものづくりの中心、名古屋東海エリアという言葉があったじゃないですか。すごく良い言葉だなと思っています。昔から物が作られてきたんだということです。

僕は「ツイードラン」というイベントをもう10年くらいやっているんですけど、ツイードを着て自転車乗るっていう単純なイベントなんです。それに第2回目からスポンサーで、大乗り気で乗ってくれたのが、尾州ですよ。それ以降は、名古屋城の周りも自転車で走ったことあります。それからこの数年間は、尾州のクラフツを見ようとことで、刀鍛冶も見てきましたし、畳のアーティストという方も見てきましたし。要は、物をつくるところなんだなということです。

感動したのは豊田佐吉さんの、豊田式織機をイギリスに売りに行って儲けようと思ったら、車の文化を目の当たりにして、これからは車だとなり、それで織機のパテントを売って、そのお金で自動車製造を始めてしまったという話です。それは豊田家の家訓なんだそうです。例えば村瀬家が5代目とすると、代々は、違ったことをやらなきゃいけないんです。「新しいことを始めなさいよ」というのが、豊田家の家訓なんだそうです。だから代々違ったことをやっているらしいです。現在のトヨタの社長は、街づくりやっていますよね。そういうことなんだなと思います。

言い切る重要性

栗野氏:それこそ、愛知東海エリアはものづくりの精神がある場所だと思いますし、さっきカルチャーを作りたいっておっしゃいましたが、それが育てば育つほど、たとえば「京都は古い町が残っていていいよね」とか「飛騨高山は歴史感じられていいよね」とか。そういう一言で返ってくるような、「名古屋愛知東海エリアはものづくりが盛んですよね。まだまだものを作れるところが残ってますよね」みたいなことが当たり前のように語られれば、それがブランドだと思います。今治のタオルだって一軒でやっているわけじゃないですよね。あのエリアで作られたタオルを今治タオルと言ったわけです。

ツイードランのスピンアウトでデニムランっていうのもやりました。尾道で自転車乗ったんです。要するにデニムを着て自転車乗るということですね。三備地区、備前備中備後はデニムの産地です。そもそもは、学生服で食えなくなってやったんです。だから、大元の話に戻れば、物を作る背景と、物を作って生き残ろうという強い意志と、そこにこういった知恵者が入って、村瀬さんみたいにアイデアを出してくれれば必ず残ると思います。大事なのはエリアとしての横連携じゃないでしょうか。それはもうエリアのブランド化につながると思います。

村瀬氏:そうなんですよね。パリというのは目の文化で育ったところと先ほど言いましたが、フランスというブランディングがうまくいった、パリというブランディングがうまくいった、その歴史的価値というところをうまく利用したというところがあるんですけど。そういった意味では例えばここ名古屋愛知エリアが手の文化の聖地だって言い切ってしまうことを、ある意味で作れると思ったのはあります。

栗野氏:言い切るってすごく大事だと思うんです。だって今治以外もタオルは作っているわけじゃないですか。鯖江以外にもメガネ作ってますよね。言い切っちゃったもの勝ちです。鯖江で言えば、ご存知のように鯖江は世界のメガネの産地になって、ついにイタリアの老舗の一番大きいメガネメーカーが本社を移しちゃうらしいですね、鯖江に。それぐらいに鯖江でなければ作れないというのがあるんです。一方でそういう風にしないと鯖江のものづくりカルチャーもやっぱりシュリンクしていってしまうということです。1社だけ頑張ってもダメですし、エリアでそうやっていくことで残っていけるというのがあります。そのときにどういう残り方をして、どういう世界語を作っていくかという話だと思うんですね。いろんなやり方があると思います。

ポートランドとベルリンの取り組みに学ぶ

澤田:そういう街を作っていくことを目指していく際に、栗野さんが世界でもいろんな土地を見られていて、非常に先進的、あるいはここは参考になるんじゃないかと思われる事例などいかがですか?

栗野氏:自分が行ったかどうかの話はちょっとここからズレるんですけども。オレゴン州のポートランドという街は、1970年代に、それこそアメリカで物が作れなくなったことに関係します。もともと重工業の町だったらしいんです。衰退に衰退を重ねてどん底になったときに、これじゃいかんということで、町興しみたいなものを始めました。若い人をどんどん誘致しました。確かキーワードというかモットーというかが「Keep Portland Weird」というのがありました。「変でいこう」ということですね。

村瀬氏:「ポートランド・メイカーズ クリエイティブコミュニティのつくり方」という書籍を読みました。その本で僕が面白いなと思ったのは、イノベーションをやることはリスクも伴うから、リスクや失敗したことに寛容であったという話です。例えばサンフランシスコで今、浮浪者がたくさん増えて、残念な状況だと思うんですが、挑戦して失敗して人生がダメになってしまうということです。それは手を差し伸べる人たちがいなかったからだと思うんです。挑戦したことは要するに財産だと思うんです。ポートランドでは他の人たちが結局その経験を求めた、受け皿が町全体であったと本には書いてあったんです。会社を2~3個潰した人たちがザラにいるとありました。それはすごく面白い地域ですね。

栗野氏:だから、1年2年じゃポートランドはできていないんですよね。30年40年かかって、そういう魅力がある街になったわけです。フランス語英語で「アントレプレヌール」というんですけど、若き創業者のことです。思いつく人、始める人。アントレプレヌールがどんどんポートランドに集まりだして、自転車屋さんとか、コーヒー屋さんとか、雑誌を作るとか、スポーツウェアメーカーとかを立ち上げたり。あと、ナイキも本拠地をポートランドに移したんですよね、確か。なぜかというとそういう良い空気ができてきたら、そこで仕事したほうが良いからです。

ある時期ベルリンもそうだったんです。多分今でもそうだと思うんですけど。20年近く前にベルリンに行きました。社会主義圏の東ベルリンと、自由主義経済圏の西ベルリンで比較したら、西のほうが楽しかろうと思っていました。西のほうが進んでいるだろうと思っていたんです。でも、実際に行ってみたら、ベルリンの壁が1989年に崩壊して以降、本当に面白くなったのは東ベルリンだったんです。多分村瀬さんはしょっちゅう行ってらっしゃるんじゃないかと思うんですけど、若い人がいっぱいいます。何が多いかというと、ギャラリー、美術館だらけなんです。おしゃれな街なんですよ。でもファッションブランドがいっぱいあるという話じゃないんです。そして洋服屋がいっぱいあるという話でもないんです。

村瀬氏:そうなんです。ベルリンは稀有な街で、大きくて、人口もすごく多いんです。首都で、もちろん政治の中心ではあるんですけど、ドイツは分権なんです。東京みたいに一極集中ですべての機能があるわけじゃなくて、ベルリンは政治の街と言っていて、機能的なところで言えば。商業は例えばフランクフルトだったりとか、出版っていうのはミュンヘンだったりとか。そういうのはドイツはうまく分かれているんですけど、元々西と東に分かれていたときはボンが首都だったりしましたが。

それでベルリンの面白みというのは、そのあと若い人たちが入ってきて、東側が、僕も初めて20歳のときにバックパックで行ったんですが、手作りでできている国だなと思ったんです。まだこの国に伸びしろがあるという風に思えたということは、それは若いながらに当時の風景は新鮮でした。

栗野氏:そうですね。若干怖い話なんですけど、戦争で多くの人が亡くなったので、ある町では30歳以下しかいないと言っていました。へぇと思うと同時にぞっとしました。それくらい戦争というものは激しかったんですが、同時に生き残った人や、第2世代、第3世代が、そのあとの面白いベルリンを作っていったわけです。元々資本主義圏の一番端っこの外れみたいな西ベルリンは、結局手垢のついた価値観しか持ってないわけです。でも東ベルリンは、お金は無いけどアイデアはあるという子たちがいるわけです。20年前に聞いた話では、アパートを借りるのに、1坪という言い方はしなかったけど、3900円くらいだった気がするんですよね。だから全然安いんです。月収5万円くらいあれば全然面白いことができますし、10万もあれば相当面白いことができました。若い子が次から次へと面白いこと始めたりしました。

あと僕はクラブに行ったんですけど、クラブも、多分行かれたことあると思うんですけど、場所変わっちゃうんです。今週はここ、来週はここ。でも、変わったこともあえて公には言わないんです。仲間が知らせてくれるということだけで、今晩はあそこらしいよみたいな感じです。電話番号もないです。誰かが紹介してくれて、また次の人が行くということです。わかっている人しか行かないというか、気心知れているだけにそのノリがわかっている人しか行かないんです。ある意味ポートランドもそうだったと思いますし、ある想いやある価値観やある美意識やあるパッションを共有している人たちが、街づくりしていくということかと思います。好きなこと、面白いことをやっていくというのはとても大事だと思うし、そこに前のジェネレーションの知見や、良い意味での財産があったらもちろんもっといいですよ。

これからこの愛知東海エリアが、手の街、手のエリアにもっとなっていけるキーワードや可能性は、いっぱいあると思うんです。だから、変にヨーロッパナイズドされることを目指す必要は無いと思うんです。

プルミエール・ヴィジョンに集う想い

栗野氏:僕が最初にスズサンの商品を見たのは10年くらい前でしょうか。プルミエール・ヴィジョンというパリの生地展なんです。その生地展は見本市みたいなものの巨大会場で、2千軒も3千軒も生地屋さんが出ていて、何万人という人がその生地展に来るんです。右も左もわからない人には、フォーラムみたいなのがあって「これ今年一番押している生地です」とか「この生地屋さんに注目です」とかの簡単なガイダンスコーナーもあります。行き慣れている人は自分が知っているところに直接行って商談します。それをもう何十年もやってきているんです。それで偉いのは、その中の一角を、なんていうんでしたっけ?

村瀬氏:メゾン・ド・エクセプションですね。

栗野氏:そうだ、メゾン・ド・エクセプションです。直訳すると「別格な家」という意味で、会場の一角にある特別なエリアです。そこにスズサンのものがありましたね。そのときに取引したのかな。スカーフかなんかやらせてもらいまして。

村瀬氏:そうですね。あのエリア、まさに僕も偉いなと思ったのが、オーガナイザーが選ぶんです。世界中から30企業くらい、本当に個人でやっているところもあるくらいなんですけど、その当時の僕らもほぼ個人みたいな会社だったんで。手仕事とラグジュアリーをつなげようという、そういう目的で作られたエリアです。そのエリアだけは招待状が無いと入れないです。その招待状が貰えるのは、世界中のラグジュアリーブランドの関係者、例えばディオール、シャネル、エルメス、そういった方々です。実際そういった方々の名刺しか溜まらないんです。ただそこで、少なからず我々、父親も一緒に行ったんですけど、感じていたのは、父親が日本語しかしゃべれないのにフランス人と談笑しているなと思いまして。「誰と話したの?」と言って名刺を見たらエルメスだったりしました。そういったことが普通に行われる場所なんですね。

やっぱりそこには彼らが求めているものがあるからというのがあります。そこがおそらくプルミエール・ヴィジョンというテキスタイルのトレンドを作る場所ということで、次に求められるものはこれだろうというところをきちんと定めていたというのも思いましたね。

栗野氏:今聞いていてわかりました。なぜそのメゾン・ド・エクセプションというのができてきたか。なぜそこからスズサンが出てきたか。なぜプルミエール・ヴィジョンがそういうことをやったか。なぜそれがうまくいくかというと、共通のミッションがあるからです。ラグジュアリーブランドはより良いもの、世界の中でまだ埋もれている、手の技が欲しいんです。ディオールから発注がいったんですね。織り手作り手のほうはそれを使ってくれる人を求めます。両方にニーズがあるじゃないですか。両方が、そこで共通に持っているミッションというものは、良いものを一緒に作りましょうということなんです。

だから、もちろんビジネスですよ、これは。でも、もっとイージーに儲けようと思ったら、そんなややこしいところに行かないんですよ。限られたバイヤーしか来ないし、メゾンのほうも高いことがわかってますから。もう本当に1メーターあたり5万円とかになっちゃいますよね。高級品でも1メーター5千円くらいのものが、1メーター5万円とか、下手したら1メーター10万円になっちゃうような生地を作っていたりする人たちが、大して広くないところに集まっていたと思います。オランダ、日本、あとアフリカの人もいました。目線が良いんです。つまり、そこには偏見も優越感もないのです。

村瀬氏:すごく、フラットです。

栗野氏:そう、良いものを作っている人たちです。他ではできないものを作っている人たちという目線しかないんです。僕は、1985年くらいからパリ・コレクションを見ていますし、10年くらい前からプルミエール・ヴィジョンも見ていますけども、どっちにより感動するかというとプルミエール・ヴィジョンなんです。

いわゆるファッションスナップみたいなものはパリ・コレクションで捉えることが多いです。なぜなら、世界の例えばジャーナリストとか、スタイリストとかが来るからなんですけども。その人たちの格好って一発でわかっちゃうんです。最新版のディオール着ていたり、最新版のプラダ着ていたりしますから。でもプルミエール・ヴィジョンに来る人は、それを作っている人のアシスタントだったり、それを作っている人の懐刀だったりするから、何を着ているかわからないんです。

でも僕らみたいな業界の人が見ると、一番オシャレなんです。自分のオリジナリティがあるから。アシスタントとかを見ると、「なんか見たことないもの着ている」と思うわけです。前回まであの人黒ばっかり着ていたけど最近黒着ていないよとか。ハイヒールばっかり履いていた女の人がスニーカーだったり。あるいはスニーカーばっかり履いていた女の子がいきなりハイヒール履いていたり。一番先のことを考えている人は、どんな感性で生きているか、とキャッチアップできるんですよ。そういう意味でも、プルミエール・ヴィジョンは行くのが大好きなんです。

おそらくそこには、ものを作るという人たちの、より良いものを作りたい、面白いものを作りたいという想いがあります。そういう人の集合体だから、良いエネルギーがあるんですよね。自分のこの本の中でも、トレンドという言葉はあまり使わないほうが良いと書きました。トレンドで物事が動いているわけじゃないよと何度も何度も言っているんですけど、トレンドは結果なんです。結果として今年は黒が売れていますよねとか、来年はきっとグリーンとか黄色とかが売れますよねと。これは結果です。でも、トレンドを作る大元の人は、トレンドを作ろうと思ってやってないです。これが綺麗でしょ?とか、これが面白いよね?とか、これ好きなんだよなあ、とか。あのときに見た夕焼けの色が良くてねとか、そういうことなんです。

先ほど申し上げたラグジュアリーやヨーロッパの美意識を支えてきた、富、地位、インテリジェンス、エモーションで言うと、富、地位の占めるパーセンテージがどんどんシュリンクしていって、インテリジェンス、エモーションのほうは多分これがどんどん増えていくと思います、そこからヒントを掴んでいたのかとか、そういう発想なんだなあとか、そういう個人の極めて個的な体験みたいなことが、これからものすごく重要になっていく気がします。

アジア発のラグジュアリーを

村瀬氏:数年前に、ロシアのバイヤーが来てくれて、物を見せていたんですけど、そのときは結局買ってくれなかったんですよ。「どうして?」と訊いたら「とても良いものだ」と答えてくれました。ただ「Too intelligent」と言われたんですよ。すごくダイレクトな言葉で返ってきました。なるほどそういうフィルターのかけ方もあるんだと感じました。ただ、インテリジェンスなところの価値観が上がってきているというのは感じます。

それこそ中国のマーケットも、やはりマスな部分で、フォロワーというところの部分というところが多かったのはありますが。先日中国の上海出身のZiggy Chenというブランドとコラボレーションしました。現在人の移動ができない中で、ずっと6ヶ月ドイツで言えばロックダウンがあって街も薬局とスーパー以外はずっと閉まっているんですね。クリエイションがどんどんシュリンクしていると感じています。何かもっと、外に出す、何かつながりを感じる、クリエイションしたいと考えたときに、Ziggy Chenというブランド、パリでレクレルールのお店で見たんですけど、素晴らしいクリエイションだなと思って、彼にコンタクト取ったんです。

でも元々知らなかったし面識もなかったので、どうやってやろうかなと思って、Instagramで検索していたら、どうやらこの人はZiggy Chenの会社で働いているという人を見つけました。その人に「スズサンというのをやっていて、日本でこういうものづくりしている、あなたたちのものづくりに興味あるから一緒にやってみない?」と言いました。そしたら返事が来て「スズサンもちろん知っているよ、何なら有松にも行ったことあるしあなたのお父さんにも会ったよ」ということでした(笑)。

そこから話が進んで、結局上海で服を作って有松で染めて、パリと、東京の伊勢丹だったんですけど、あと上海の三都市で売るっていうプロジェクトをやったんです。僕がそれの半年間のクリエイションの中で感じたのは、まさにインテリジェンスな部分です。軸が本当にブレないデザイナーだなというのを改めて感じました。メイドインチャイナということをまったく引け目を感じていない、すごくそれこそ誇りに思っているんです。それが自分たちの強みだという風に分かっているんですね。それこそ地政学がそのうち変わる兆しなのかなと思います。

僕はそのアジアの中から新しいラグジュアリーというのは生まれるべきだという風に思っています。そういった彼との取り組みを通じて、ファッションのメッカであるパリとか、それこそ伊勢丹のラグジュアリーの集約であるところで、アジアで作られたものをラグジュアリーとして出す、次のラグジュアリーはこれだという風に出す、というのが僕なりの発信、メッセージだったんです。

(終わり)

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