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欧州マーケット総論とトレンド(中編)

2021年10月22日(金)17:00~19:30に、連続講座「実践者から学ぶ、ブランドデザインの哲学と手法」の第4回目を開催しました。

第4回目のテーマは「欧州マーケット総論とトレンド」とし、株式会社ユナイテッドアローズ上級顧問クリエイティブディレクション担当である栗野宏文氏を迎え、株式会社スズサンCEO / Creative Director であり Creation as DIALOGUE の統括コーディネーターを務める村瀬弘行氏との対談形式にて講演が行われました。

本記事は中編とし、日本のものづくりの背景や、ヨーロッパのデザインの新しい動き、といったテーマの対話を掲載しております。

前編はこちら

日本のものづくり、それを支えてきた人々

栗野氏:話を日本に戻しましょう。日本のアパレル業界がこの2年間生き残れた理由のひとつは、マスクと医療用ガウンなんです。メイドインジャパンで医療用ガウンやマスクが作れたのです。研究が需要に大急ぎで応え、何なら工場もラインを変えたり、素材の扱いも変えたりして、工場で働く方の雇用も守ったし、キャッシュフローも回ったんです。これはすごく大きなことで、物が作れない国だったらこんなことはありえないんです。

今は日本が物が作れない国になっているとか、これからもっともっとアジアにそっちをとられちゃうとかいったことをすごく言われるんです。確かに値段だけを追っていったらそうです。日本より安く作れる国はいくらでもあります。絞りなんて別に、それを真似してアジアを作ることはきっとできます。でも、人が今、物を買う理由というのは、安いから買うということはもう終わりなんです。

ファストファッションって日本から次々と撤退していますよね。TOPSHOPが撤退して、Forever21が撤退して、H&Mが縮小しました。安く作って安く大量に売れるから、それはこの時代においての答えですよ、というその答えが終わってしまったんです。

ところが、そういう図式自体を作ったのはヨーロッパなんですよね。だから自分たちはその図式を作ったが故に、自分たちは物を作れなくなってしまって、マスクや医療用ガウンもできなかったんです。この2年間、メイドインジャパンを作り続けた日本の縫製工場の方だとか、そういうマスクも作れるような工場の方というのは、並々ならぬ努力と発想の転換をしています。さっきの村瀬さんのお言葉をお借りすれば、手なんです。だから手で物を作るということに対してリスペクトがあるから、消えてないんです。

例えば卑近な例で言えば、うどんとそばです。日本ってオープンキッチンですね、昔から。手打ちうどんとか手打ちそばとか。もちろん最近ヨーロッパでもそういうのはあるし、イタリアの老舗のレストランに行けば、キッチンは見えます。でも一方でフランスの高級レストランとかは、作っているところの意思は見えないことが格上なわけです。これは僕の感覚値で、最近は違うと思いますけどね。だから裏方さんを見せないということがあるわけです。作ったものを、いかにかっこいい衣装を着たギャルソンが運んでくるか。そこが付加価値を作っているということです。これはブランドというものの成り立ちだと思います。

日本にもそういう考え方ももちろんあるとは思います。料亭はそうかもしれないですけれど、料亭は本当に限られた人しか行かないですからね。日本で1人5万円のお寿司屋さんに行っても、見えないところで作っているお寿司屋さんなんか絶対ないですよね。回転寿司から1人5万円のお寿司屋さんまで、全部目の前で作るじゃないですか。

よくガラパゴスって言いますよね。でも、いいんですガラパゴスで。ガラパゴス島はガラパゴスだったからガラパゴストカゲが残って、世界でも珍しいエリアになったわけです。たとえばコロナの状況で、手を使わないということをやたらと言うようになりました。ところがお寿司屋さんがコロナで廃業したという話はそんなに聞いてないですよね。お寿司屋さんは手で作って握るのが当たり前ですから、びっくりするくらい常に手を清潔にしています。ですからコロナがあろうがなかろうが、生き残ったわけです。いろんな角度から見たときに、日本には手のカルチャー、ハンドクラフトのカルチャーがあるんだということです。それを理解できる、宅配寿司と1人5万円のお寿司の味の違いがわかる国民が、それを支えてきたっていうのはあると思うんです。

村瀬氏:本当にそうだと思います。支えてきたとおっしゃいましたが、いいなと思いました。

Covid-19の影響で世界中のビジネスが揺らぐ中で、少なからず自分たちの仕事が続けられてきているっていう状況を考えたときに、有松を例にしていうと、今までおそらく400年の歴史の中で、これに似た危機があったはずなんです。ただそれが400年続けられてきたということは、要するに400年前に初めて誰かが東海道で手ぬぐい1枚買った時点から、脈々と誰かが買い続けてきてくれたというのが、幸いにもたまたま続いた、ということがあると思います。物が作れる人たちがいたということももちろんあるんですけども、使い続けてきた人たちがこの国にまだいて、そこに価値を感じる人たちがいたということも事実なんだと。この状況にして改めて感じましたね。

次に求められるもの

栗野氏:結論めいたこと1個言っちゃいますと。世界の価値観の揺らぎ、いわゆるラグジュアリーという概念も揺らいでいく中、次に求められるものというのは、ある意味で人間の手の痕跡がある、「これは人が作ったんだ、だから高くてもしょうがないじゃん」っていうことなんですね。

我々の店頭でも、見るからに大量生産のものよりも、例えば手縫いのスーツとか、ジャケットの襟のフラワーホールだけは手で作ってあるとか、ボタンが手付だということはボタンを見ればわかるとか。何がしかハンドメイドな部分、人の手が入っているよね、という部分が売れていくんです。

同じものがいっぱいダーッと並んでいたりしますね。例えばそれはコンビニエンス性だけ、利便性だけ取り上げたときには、もちろん品切れしなくていつでもSサイズがあるとか、いつでも5色揃っているとかの利点があります。ある意味で便利かもしれないですけど、それはきっともう付加価値じゃないんですよね。コンビニエントなんです。世の中が安い方や大量生産の方向に進めば進むほど、コンビニエントなことや大量生産大量消費ってことを良しとしていってしまいます。そうすると、利便性に価値があることのように思えるけども、利便性は利便性でしかないんです。

ところが、(今日着ている)こういう服とか、有松の手ぬぐいというのは、利便性を越えたものがあります。洗ったら風合いが良くなったとか、おばあちゃんの代から使っているんだとか。コンビニエンスストアで買ったものや、コンビニにも果たしている役割がありますよ。でもコンビニエンスストアで買ったものやファストファッションで買ったものが、次世代まで伝えられていくとはとても思えないんです。日本にはそういうものを伝えていっているカルチャーがあります。

そもそものヨーロッパのラグジュアリーを支えてきたのは富・地位です。先程、その円グラフの話の中で、インテリジェンスとエモーションのことを言いました。ではそこがどう変わったかということです。

LVMHプライズっていう、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンがやっている、新人デザイナーの賞の審査員を8年やらせてもらっています。この8年間で受賞者がどんどん変わってきているんです。当然時代を反映しているんですけども、加速度的に時代を反映しています。一昨年受賞したグランプリの人は、南アフリカの人です。テベ・マググっていう南アフリカのデザイナーです。ベスト8に入った中には、ケネス・イズっていうナイジェリアの人がいます。それから去年のベスト8は、結局Covid-19でコンペティションが今まで通りできなかったから、8人全員に配ろうということになりました。これは世界一賞金が高いプライズなんです。賞金は約4千万円なんですね。4千万円を8人にあげても1人500万です。若いデザイナーが500万入るってすごいことなので、それはそれで意義があるとなりました。今年はアルバニアの人です。ネンシ・ドジョカというアルバニアの人がグランプリをとりました。

また、シャネルのデザイナーだったカール・ラガーフェルドを記念したカール・ラガーフェルド賞というのが、2年か3年前からスタートしたんです。それをもらった1人はこれまたアフリカ人です。1人はアメリカ人です。もう1人は、初めての中国人です。ロンドン在住のルイという中国の女の子が入りました。さっき中国マーケットの話をしましたが、中国マーケットを見ていると、日本の戦後だなと思うんですね。日本の戦後というのも、オキュパイドジャパンと言われました。当時一生懸命に物を作られた方には申し訳ないんですが、安かろう悪かろう的なことを言われたわけです。日本で作れば安いということってやっぱりあったんです、残念ながら。ただ、今では古道具マニアとかブリキのおもちゃマニアとかの人には逆に受けているんですけどね。アメリカの占領下の日本で作っていた、世界向けの安いプロダクツがありました。1945年からの10年間ぐらいを支えました。それから朝鮮戦争特需で日本経済がグーンと伸びました。その勢いで東京オリンピックを1964年に開催しました。そのあと今度は、池田勇人の所得倍増計画があって、日本経済がぐんぐん伸びたんです。

ところが作る国だったのが消費する国になりました。僕らがちょうど海外出張に行き始めた1985年はバブル絶頂期でした。ミラノにあるプラダの本店は日本人が長蛇の列を作って、1人でナイロンバッグ5個10個と買っていました。向こうも「金さえあればなんでもOKでしょ」という日本人の態度に辟易して、投げるように物を売っているわけです。

この状況は聞いたことがないですか?これはまさに去年までの日本における中国の方じゃないでしょうか。パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークにおいても、中国の方たちは同じ扱いを受けていたんです。「買ってくれるのは嬉しいけれど、買い方がちょっとね、お行儀がちょっとね」ということで投げるように渡されたのです。でもこれは昔の日本の姿なんです。それを横目で見ながら、そのうち中国はきっと自分たちでデザインを出すなぁと思ったんです。

日本は安い物を作る国から、お金を得て買う国になりました。次に80年代に、コムデギャルソンやヨウジヤマモト、イッセイミヤケが出てきて、クリエイションを作る国になりました。今は両方ありですよね。ただ、作る国としては以前ほどのボリュームはないです。しかしフランスやアメリカよりまだマシなことがあるのは、それでもやっぱりメイドインジャパンが残っているということなんです。イッセイミヤケもヨウジヤマモトもコムデギャルソンもアンダーカバーもほとんど日本製ですからね。

例えば今、フランスのブランドを見たときに、フランス人のデザイナーであっても作っているのはフランス以外のところです。フランス人のデザイナーのブランドで、メイドインフランスのものですとか、あるいはアメリカ人のデザイナーのものでメイドインUSAのものというのは極めて少ないんです。物が作れないんです。それはさっきガウンとマスクの話で申し上げたように、物を作るというよりも頭脳労働、さっき村瀬さんがおっしゃった、目のほうを上に見過ぎちゃったから、「物を作るみたいな下なことやらずに、頭使えばいいのよ君たちは」みたいな方向に進みすぎてしまった結果なんです。

古い価値観に囚われない動き

栗野氏:今日お集まりの方たちは、物を作る機能を持っていらして、それでこれから世界に打って出ていこうというわけです。であれば、どう世界に打って出るかということや、皆様のどこが受けるかという話が、後半ですごく重要になってきます。

もう一個だけLVMHプライズの話させていただきます。今年優勝したのはアルバニアの人で、それから副賞(準優勝)が、ナイジェリアの人と中国の人とアメリカの人とお伝えしました。その中国の人は勉強をロンドンでしているんですけども、中国とイギリスを行ったり来たりしながらブランドやっているルイという女性なんです。この方にしても、グランプリをとったネンシ・ドジョカというアルバニアの人にしても、2人とも女性です。2人とも今時珍しいような、肌の露出がすごく強い服を作ったんです。ただ男性から見て、男性の興味をそそるというものではまったくないんです。これは女性が女性のために作っているんです。LGBTQの時代ならではの、女性が女性の為に作っている、その美意識において作られた肌の露出度が高い服です。そこに性的な誘惑性というものは、少なくとも男性に対する誘惑性というのは僕はゼロだと思っているんです。

これも日本のファッションデザインとすごく似ていると思います。コムデギャルソンもヨウジヤマモトもイッセイミヤケも、モテない。

村瀬氏:セクシーじゃない。

栗野氏:だから売れたんです。これは世界のファッションの歴史においてものすごく珍しいことです。日本が、セクシーじゃないものが、かっこいい、美しい、それも価値がある、というのを作ってしまったんです。それを横目で見ていた1980年代後半のベルギーのデザイナーのマルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンが、セクシーじゃなくてもいい、金持ちっぽく見えなくてもいいというので、ポストファッションみたいなものを80年代後半から作り始めたんです。

マルタン・マルジェラはもう引退して10年なんですが、自身のことを語っている、”Martin Margiela in His Own Words”という、「マルジェラ自らを語る」という映画が公開されています。名古屋でも東京でも上映されていますがすごく当たっていて毎回満席なんですよ。チャンスがあったら、ぜひその映画をご覧になると良いです。それをご覧になると何がわかるかといいますと、乱暴な言い方ですが、ファッションというものを壊したが故に次のファッションが作れたんです。マルタン・マルジェラは古い価値観にしがみついてないし、古い価値観のグループに入って認められようとはしていないんです。自分で価値観を作り上げたからこそ、「One and Lonely」で、誰にも比べられることない自分の位置を作ったんです。

最初、彼は20年間くらいブランドをやったんです。今は違う人がデザインしているんですけど。前半の10年間くらいは本当にもう実験の連続です。よくこれが商売になったなという感じです。でも結局、お客様は育つんです。お客様はついてくるんです。だからマルタン・マルジェラが作った最初の5年10年間のものすごく実験的な服にみんな熱狂して、それを支えたわけです。エモーション的には、おそらくマルタン・マルジェラ本人が、「もう実験でやりつくした、僕はもうここでやることないかも」と思って引退してしまった原因だと思うんです。

それも含めて、ファッションというのは明らかに美意識、価値観は変わりつつあったし、マルジェラが出た1988年くらいで1回変わっているんです。だからマルジェラが、そのあと2000年代に、エルメスのデザイナーを3年間6シーズンやったんです。これもそのときは大して評価されていないんです。日本だけが評価したんですけどね。というのは、彼が前衛的なデザイナーということをみんな評価していたから、エルメスで前衛的なことをやってくれると思っていたんです。でもマルタン・マルジェラという人は、僕も1回会っているんですけど、ものすごく真面目で愛情のある人なので、エルメスというものを大事に考えて、エルメスという100年続く、それこそハンドクラフト精神にあふれたブランドをリスペクトするが故に、突拍子のないものは作ってないんです。その中で、例えばもう50年も60年も続いているエルメスのケリーとか、バーキンとかに匹敵するようなものを服で作ろうとしたんですね、明らかに。

僕はそれを作り得たと思うんですけど、それをジャーナリストは評価していない、評価できないんです。なぜなら欧米のジャーナリストは、変化こそが価値だと思っているからです。ブランドの神髄を理解して、ブランドの神髄に近いものをクリエイターがグーッと近寄って作ったということ自体が、ジャーナリストには理解できなかったみたいです。僕は小売り屋だしバイヤーだから、むしろマルタン・マルジェラのやろうとしたことを評価しますね。ブランド自体を毀損することなく、ブランドのより良い面を引っ張る。それこそ村瀬さんとスズサンみたいなものですよ。

村瀬氏:(ベルギーの)アントワープでマルジェラとエルメス時代の展覧会やられたのが5年くらい前でしたよね?

栗野氏:そうです。

村瀬氏:あれ見たとき素晴らしいなって、本当に感動しました。エルメスがそういったマルジェラという前衛的なデザイナーに託したというところは、すごく信頼があるなと思います。ジャン・ポール・ゴルチエから推薦だったとか。

栗野氏:ではなくてですね、ジャンルイデュマ・エルメスの娘が、マルタン・マルジェラのショーのモデルだったんです。「お父さん、すごい良い人がいるから」ということで紹介されて一緒にやったんです。今度逆に、エルメスでマルジェラがやった後に今度はジャン・ポール・ゴルチエがデザイナーになりました。僕はそれが恩返しだと思ったんですけどね。

村瀬氏:先ほども栗野さんがおっしゃったように、前衛的なデザイナーだったんですけども、すごく謙虚なタイプですね。それはお人柄というのもあるのかもしれないですけども、そこが物の一つ一つに表れています。展示自体で面白かったことが、同じ時期同じシーズンに出した、「こちらはマルジェラです、こちらはマルジェラがやったエルメスです」と2体並べられて展示されていたことなんです。その対比がすごく面白かったです。かたやすごく破壊的なコンテンポラリーなことをやられていて。ただそのエッセンスというのが、エルメスの中にも少しだけ出ているわけです。おそらくエッセンスが、エルメスが欲したのだろうと思います。だからエルメスを変えてくれと言ったわけじゃなくて、あなたのエッセンスが欲しいということかと思いました。それがすごく素晴らしい関係だったんだろうなという風に感じましたね。

栗野氏:まさに今、村瀬さんおっしゃったことに、ラグジュアリーというものは、あるいは伝統工芸というものはどうやって生き残るか、いかに次の世代に引き継がれていくのか、いかに新しい世代のお客様を獲得していくのかについても、秘密がそこにあるんです。それは、おっしゃったエッセンスなんです。日本語で言えば精神とか、矜持とかです。僕は矜持という言葉がすごく好きなんです。ジャンルイデュマ・エルメスは、マルタン・マルジェラの中に「この人のものづくりの真面目さというのはエルメスに通じる」と思ったんだろうと思うわけです。であるがゆえに、その人に次っていうものを託してもいいと思ったんじゃないかと。そういう形でブランドやメゾンが次のデザイナーを選ぶということは、僕は一番いいと思うんですけど、残念ながら今ヨーロッパのラグジュアリーブランドは、それをやれているメゾンは極めて少ないんです。

村瀬氏:そうですね。

栗野氏:あとはバズさえ起こせばいいって言われたんです。だから、先ほどから名前の出ている大きなコングロマリットは、いろんなデザイン、いろんなブランドを今持っているわけですね。その持っているいろんなブランドのキャスティングが、僕は結構危険だと思っているんです。話題を作れる人ばっかり選んでいるといいますか。この人は日本の若い子に強いな、この人はヒップホップ強いな、この人はアメリカのアフリカンアメリカンのカルチャーに強いな、この人はストリートに強いな、みたいなことです。それがDJあるいはミュージックビデオだったらわかります。でも何百億何千億円のメゾン、これから100年も200年も続いていかなきゃならないメゾンをキャスティングするにあたって、そういう人選びって大丈夫かということはすごくあるわけです。

変化するお客様の意識

でもこれはやっぱり冒頭に申し上げたように、中国マーケットを意識してのことなんです。中国や韓国での物の買われ方は、ソーシャルメディア優先型だから、バズを起こせるかどうか、バズを起こしたもの勝ちなんです。それは物の売れ方に繋がります。ただし、ブランドさんが考えているほどお客様は愚かじゃないから、当然エデュケート、教育されているわけです。例えばソウルのお店のバイヤーと仲良いんですけども、最近どうかときくと、明らかに品揃えが変わっているんです。今から例えば5年くらい前だったら、有名なもの、話題のあるものを集めてくることが、ソウルの役目だった。でも今はもっとカルチャーを感じられるものだったり、それからハンドクラフトが感じられるものだったり、日本のブランドで言うとCOMOLIだったり、それが韓国で受けているんです。これは明らかにお客様が育った、お客様の意識が変わったということを、その現象から僕は感じます。

僕なんかはバイヤーであり、ビジネスディレクションもやっていますけど、常に自分のスタンスは消費者なんです。物を買うときに、「これ正価で買うかな、これセールだったら買うのかな、これどんな安くても買いたくないな」そういうお客様だったらっていう視点で僕はやってきたからです。そうするとお客様が、5年10年前にすごく派手で自己主張の強い服を買っていた人たちが、今や5年後はもっと作り手の誠意が感じられるようなものづくりのほうに寄っていっているというのが、今の時代を非常に表しています。これは日本が、特にファッションにおいては今世界をリードしている美意識と価値観の一番典型的な部分だと思うんです。であるが故に、スズサンが売れているのはそこだと思うんですよね。イタリアで売れているんですよね?

村瀬氏:イタリアでもそうですね。

栗野氏:あとどのあたりの国なんですか?

村瀬氏:ドイツとフランスは、ずっと大きなマーケットでまったく凹みません。ぼくはクリエイティブディレクター、ディレクションをやっている立場でもあるんですけど、昨年からCEOという会社全体のことも見ることもやっているので、経営も少しかじり出したんですけども。数字を眺めていると面白いなと思うところは、ドイツとフランスに関してはまったく数字が落ちてないんです。元々かなりドイツはコンサバティブな国ではあるんですけど、前はコンサバティブって言葉はそんなに好きな言葉ではなかったんです。ただ、ブランドをやり始めて数年経ったときに、コンサバティブっていうのは、要するに一度こちら側に取り込めると、ずっと来てくださるということだとわかりました。もちろん栗野さんはすごくご覧になっていると思うのですが、ファッションのトレンドがあるんですよ。サイクルが早いです。去年これがヒットしたけども、来年にはまったく見なくなったよねっていうところです。やはりバイヤーもそれなりに目移りはするものなんですけども。それはこの2つの国に関しては、コンサバティブというのは僕は感じますね。

その方々が惹かれているところっていうのは、先ほど栗野さんがお話されていたヒューマニティなところ、ものづくりであれば誰が作っていて、どういう人たちが息をしているのか。そういう人たちの生き方が感じられるものというところに惹かれているのかなという風には感じます。

栗野氏:先ほどから新型コロナウィルスの話をしていますけど、この2年間で世界がどう変わったかというと、人が移動しない、会社に行かない。会社に行かないで家で仕事する。それから日本で言うと外食しない、人に会わない。「じゃあもう別にオシャレする必要無いじゃん」みたいになります。そうすると、その部分だけ捉えると、そりゃ服売れないよねと。「洋服なんか必要ないじゃん」と。だからギアみたいな、洗って家で乾かせて、シワにならなくて、着ていて楽ちんなものが人気になります。極端な話、今パジャマとスーツが一緒になったものが結構打ち出されていて、世の中的には、売れてもいるんです。そうなるわけです当然。

ただし、それは大多数というか、多いパーセンテージの人がそうなるだけの話であって、それでオシャレが終わるという話じゃないわけです。その辺をマスコミ、あるいは業界自体が安易にそういうこと言いすぎなんです。一方でデパートが立ち行かないとか、デパートが売れていないとか、デパートが潰れるとか、これの理由はまったく違う理由です。自分の本に書きましたけど、品揃えが良くないとか、接客を真面目にやっていないとか、単純にそういう話なのです。デパートさんが作ったビジネス方程式というのは委託商売ですからね。預かったものを売れなかったら返せばいい。売れた分だけ自分たちのところに入ってくるから、こんな安全なビジネスはないですよ。でも、返ってきたら今度は自分たちのテリトリーでファミリーセールしたり、最終的にはバッタ屋さんに流したりして帳尻合わせるみたいなことが、戦後ずっと続いてきたわけですよね。そうすると、デパートもリスクを持たずに儲かるし、納入業者さんも痛手を被らずにビジネスができるという図式が続いてきたわけです。

でも買うのはお客様ですからね。お客様は物の原価ということに対してすごく今シビアなんです。パッと見て、ペットボトルの水が30円でできているのに100円で売っているんだとはわかりますよとは思いますけど、じゃあデパートで売っている1万円のセーターが原価が3千円なのか、原価が4千円なのか、原価が5千円なのかはわかります。なぜならそれをもうちょっと、リスクを負ったところで売っている値段と比べてしまうからです。だから、そういうことがだんだんお客様に見えてきたときに、結局デパートが今までやってきた、委託で物を預かって、売れなかったのは返せばよいという図式自体が半ば崩壊してしまったのです。

(後編に続く)


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