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日本の学校と日本文化としての宗教

久々に新任式へ。1回目は3年前(2021年)だった。

3年前はパンデミック最中だったので(今もそうなのかもしれないんけどよくわからない)、新任式は個室で全校に放送して終わりだった。今年もそんなもんかな〜と思って学校に行ったら、体育館に在校生も全教職員も集まって行うちゃんとした式典だった。私は全然用意してなくてクマちゃん靴下で来てしまい、めちゃめちゃ恥ずかしい思いをするハメに……。

礼をして、私を含む新任の先生たちが登壇して話し、校長がお話したのち生徒が校歌を歌って終了。場所が学校なだけでやってる内容は宗教儀式に近いと思う。仏教の盆の坊さんが来るの(お盆法要?)も似た内容だし、キリスト教会の集会とか行くとこんな感じだった。頭を下げ、説教を聞き、賛美歌を歌う。友達の結婚式でも賛美歌が歌えなくて気まずかったなあなんて思い出していた。

しみじみ思うのだけど、日本はこういった通過儀礼的な式典が信じられないほど多い。そしてそれを一緒に受けないと仲間として受け入れてもらえない。逆に言うと、式典(洗礼)を一緒に受けたことを皮切りに赤の他人との距離がいきなり近くなる。どういった時間や経験を共にするかよりも、この類の洗礼を受けたか受けないかの方が仲間として認識するにはわかりやすいのかも。組織をまとめるうえでは簡単で手っ取り早いなと思う。それに参加しない人は従順な仲間ではないので炙り出しも楽。

仲間になるための洗礼を受けたことで、先住の受け入れ側がグイグイ来るようになる。毎回、新任式の前と後だと知らない人からの話しかけられる回数が全く違うのがおもしろい。別に新任式前に話しかけてくれてもいいんだけど、新任式の前は距離を置かれている(遠慮されている)のがこちらもわかる。日本の高校までの学校の場合、この洗礼は新任式が該当し、辞令交付式はそれに含まれていない気がする。

そういえば、よくわからんが辞令交付式は二回やった。一回目は校長室で文字通り書面で辞令を交付してもらい、二回目(別日)は口頭で辞令を全教職員の前で交付された。その後は夜に新人歓迎会の飲み会。出戻りだしめんどくさいので新人歓迎会は欠席させてもらった。(新人なのに。)

今回の新任式の際、新人歓迎会でもらうはずだった花束を授与(?)してもらったのだけど、ホント空気読まなくてごめんという申し訳ない気持ちと、人との距離感がいきなり近くなると私は戸惑ってしまうので、これでお互い良かったなとしみじみ思ってしまった。

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