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支援者と格闘家の共通項とは〜権力の抑制〜

最近「あれ、これって支援と似てる」と感じたことがありました。

それは、

「格闘家は喧嘩してはいけない」

です。

どうゆうこと?ですよね。噛み砕きます。

例えば、、プロボクサーは「拳」を凶器として扱われ、たとえ売られた喧嘩であってもやり返すことで「過剰防衛」として逮捕されることもあるとか。

※複数名から暴行を受けた時は正当防衛になることもあるらしい。ガッツ石松は弟が8人くらいに暴行を受けたのを聞きつけその場の8人をのしたらしい。一時逮捕されたが正当防衛として釈放。ガッツ石松かっこええ…


格闘家が自ら喧嘩をしてはいけないというのは大前提です。ただし時と場合によっては正当防衛にもなるし、過剰防衛で逮捕もされてしまうという立場にいるのが格闘家です。

対人援助職の支援と似てると感じたのは

「自らの“力”を抑制しなければ罪になりうる」

という前提であり

「“力”を抑制している状態を周囲から評価されづらい」

ということでした。


ここからは数年前に一緒に働いていた後輩職員に教えてもらったことです。

児童、障害者、高齢者に対し、「職員⇄利用者」という関係性になると「支援する⇄支援される」関係となります。

利用者の尊厳の保持というのが対人援助職の仕事の重要な要素です。

それでは何をもって「尊厳の保持をしている」状態というのか。

とても曖昧で分かりづらいですよね。

それは具体的に

「虐待をしていない」という状態

といえます。

・経済的虐待
・身体的虐待
・精神的虐待
・性的虐待
・ネグレクト

このいずれの虐待もなされていない状態をもって「尊厳の保持」をしていることとなります。

支援現場では一般的に支援者が強い立場にたち、利用者が弱い立場になりがちです。
「支援する⇄支援される」という関係に生まれがちな「権力の非対称性」を常に振り返り、自らを律するのが対人援助職に重要なマインドです。

この

「いずれの虐待もされていない状態」とは”目に映らない“

のです。

何の変哲もない何も起きていない生活空間の景色がこういった尊厳の保持という支援者の意識によって成り立っているのです。

そんなの当たり前と思うかもしれません。しかし、過酷な現場になればなるほどこの尊厳の保持をする難易度は高まります。

尊厳の保持を優先していたら支援者が身体的にも精神的にもズタボロになるという現場が確かにあります。

支援者に正当防衛は認められるのか?格闘家と同じでその行為に至るまでの文脈や状況をケースバイケースでみていかなくてはならないと思います。

しかし、基本的にというか

絶対的に虐待はNG

です。

格闘家の正当防衛か過剰防衛かの見極めに比べて、対人援助職の現場では「虐待」という行為に対して情状酌量の余地はなく、個室で行われていることで文脈も伝わらないことが殆どと思います。

目には見えない“権力の抑制をしている“という実践に対して支援者はもっと誇りをもっていいと思います。


何かあれば世間から袋叩きにあうこの仕事。何も起きずに終えた1日をもっと褒め称えていい。

マイナスからゼロにする仕事は周囲から派手には映らないけれど、それが大変なこの仕事です。

格闘家は総じてかっこいいです。「喧嘩すれば勝てるけれどしてはいけない」なんて縛りかっこいいだろ。

けれど対人援助職の実践もやってることは少し似てるんです。

そんなことを伝えたくて書きました。

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