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2018年を振り返って

今日で、2018年が終わる。
今年が終わるの、早い!というような話を友達として2018年を迎えたが、今年もやはり、今年が終わるの、早い!という話をした。そして、2019年を迎える。

2018年、どんな1年だっただろうか。
なんだか、とてもよく泣いた気がする。

***

1月2月は、大学院の修了をかけた研究が大詰めで、ゆっくりする時間をとることができず、ずっとピリピリしていた。
そして、ふと我に返り、私は今、何をしているんだと、泣いた。
研究室の同期もぼろぼろで、上手くいかない、と、たびたび泣いた。
成人してから、鼻水が垂れるくらい泣いて、しかもそれを慰めあうことがあるとは思わなかった。
共に頑張ってくれる友達がいて、よかった。

研究室生活のラスト数か月、本当につらかったのは覚えている。
母に、あの時のあなたは、家に帰ってきても疲れ切っていて、ゾンビのようだったよと言われた。
でも、あのときの苦しさだとか悔しさだとかは、もう、すでに忘れかかっている。
あんなに、たくさん、つらかったのになぁ。

***

どうにかこうにか、研究を終わらせた私は、春休みを思う存分満喫し(1か月のうちに、4回も旅行をした)、入社した。
1か月の東京での研修を終えて、静岡に住み始めた私は、情緒不安定を極め、ぐらんぐらんと、毎日過ごした。
先輩の些細な一言で、会社のトイレで泣き、家に帰っても、新しい部屋に落ち着かず、泣いた。

そういえば、私は、新しい環境に慣れるのが下手くそだった。
新しくバイトを始めたときも、研究室に入室したときも、わかりやすく体調を崩した。

今までは、家に帰ればお母さんもお父さんもいて、温かいところで休むことができた。
自覚はなかったけれど、家族がいるというのはその存在だけで、無条件に安心する何かがあるらしい。

でも、静岡で一人暮らしをしている私の部屋に家族はいない。
ただしんとした空間があるだけだった。
そんなときに支えてくれたのは、研究室で一緒に慰め励ましあった友達であり、お付き合いしている人であった。

帰り道、友達と電話しながら駅に向かうと、場所は違うけれど、あの子も新しい場所で頑張っている、と励まされた。寝る前、お付き合いしている人と電話すると、泣きながらでも、よく眠れた。

電話で話して元気になるというのもあったけれど、何より、心配してくれる人がいる、というのが心強かった。しかも、家族ではない。
新しい環境に一人ぽっちだったから、私のことをちゃんと知っていて、気にかけてくれている人が確かにいる、というのが嬉しかった。

距離があっても、声が届く、電話を発明してくれた人に感謝だなぁと思った。
ありがとう、アレクサンダー・グラハム・ベルさん(今、調べた)。

***

よく泣いた1年だったけれど、悪くはなかったと、思う。
遠く離れても心配してくれる人がいること、切れない人がいることに気づけたから。
これからも、この縁を大事にしていきたい。


それだけではなく、新しい縁もしっかり繋いでいきたい。
静岡で出会った人たちとの関係は、まだ吹けば飛んでいきそうなものだから。
どんくさいから時間はかかると思うけど、ゆっくり、関係を築いていけたらいいな。

***

読んでくださって、ありがとうございます。
これもきっと、縁ですよね。
大事にしたいと思っているので、何か心に残るものをかいていきたいなと思っています。
(振り返りのつもりだったのに、来年の抱負みたいになってきちゃった)

みなさま、よいお年を。

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