我々はAIとうまくやっていけるのか

 将棋は今でもほぼ初心者だが、子供の頃から将棋の本を読むのは好きだった。
 「強くなる!○○流」みたいな、いわゆる教科書的なものだけではなく、棋士が書いたエッセイなんかも読んでいた。

 その中で、谷川浩司(だったと思う)が「将来、コンピューターが人間より強くなったら、棋士という存在はどうなるか?」という質問にこう答えていた。
 「人間より速く走る機械はあるが、人間同士の陸上競技は廃れていない。同じように、コンピューターが人間より強くなったとしても、人間同士の戦いを観たいと思う人がいる限り、棋士は存在し続けるだろう」

 これを読んだ時、僕はこの見解には懐疑的だった。
 将棋は頭脳ゲームである。走ることと異なり、知性の領分なのだ。
 人間はもとより自然界で一番速く走っていたわけでも何でもないが、こと知性においては、ずっと一番だった。知性のなせる業は、すなわち「この世界で人間にしかできないこと」であった。そしてその中でも特に飛び抜けた頭脳を持つ棋士は、「この世界で人間にしかできないこと」の頂点を競ってしのぎを削っていたわけだ。

 それがもし、コンピューターに敗れればどうなるか。それはすなわち、この世界に「人間にしかできないこと」が存在するという神話が崩れ去ることを意味する。この衝撃は、「走り」で機械に負けることとは本質的に異なるのではないか?人間のアイデンティティが失われ、我々は深く失望して、人間の指す将棋など誰も観なくなるのではないか?そう思ったのだった。

 時代は巡り、AIが人間よりも将棋が強くなって何年も経った。

 しかし、我々はまだ人間の指す将棋を観ている。それどころか、「観る将」などという言葉に表わされるように、こと「観る」ことにかけては、かつてないブームが来ているとさえ言える状況だ。

 将棋が分からなくても、今はAIがどちらが勝っているのか教えてくれる。昔からの将棋ファンの方からすれば賛否あろうが、少なくとも、これまでより遥かに多くの人に、人間同士が指している将棋というゲームの勝敗の機微が分かるようになった。ドラマが伝わるようになった。これは大きな変化だと思う。

 この先、将棋を取り巻く状況がどう変わっていくかは分からないが、少なくとも今の段階では、かつて谷川さんが言ったことが正しかったわけだ。

 つい先日も、絵を描くAIに対して絵師たちが反発していたことが話題になっていた。AIそのもの、というよりはその運用法に対しての反発だったかも知れないが、こういうことは今後もあらゆる分野で起こるだろう。「令和のラッダイト運動」などと揶揄的に取り沙汰されていたが、明日は自分もその真ん中もいるかも知れない。おそらく、この流れを止める術はないし、止める理由もないのだろう。世界は加速度的に変化していくだろうが、将棋の場合にそうであったように、意外と我々とAIはうまくやっていけるのではないかという気もする。少なくとも、もうしばらくの間は。


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