一曲一記事/スピッツ「夏が終わる」

 スピッツの4thアルバム、『CRISPY!』に収録されている曲。

 忌々しい夏が終わった。
 私は季節の中では夏が一番苦手だ。一方で秋が好きなので、この活動を始めるときには「秋」の字を入れようと思いこの名前にした。…ということを、一応前提として書き添えて。

 前に「君だけを」の記事でこのアルバムが怖かった、という話を書いたのだけれど、一方で子供の頃のこの曲に対する印象は限りなく薄かった。なんとなく良い曲だったような、という印象は持っていたけれど、どんな曲か?と訊かれると思い出せない。それぐらいの存在だった。
 印象が激変したのは、成長してから何となくスピッツの作品を再聴した時だ。「スピッツにこんな曲があったのか!私は今まで何をやっていたんだ!?」と、割と大袈裟じゃなく衝撃を受けた記憶がある。

 というのもこの曲、スピッツとしてはかなり異色の”ちょっとモータウン入ってるAORチューン”なのである。
 メロディにもアレンジにも聴いて一発で「スピッツだ!」と分かる世界観、響きが内包されているが、一方でスピッツの中ではなかなか似た曲を見付けられない。似たような志向のもと作られた曲となると、目下最新作の『見っけ』収録の「YM71D」しか見つからないような気がする(この「YM71D」も名曲なのでいつか取り上げたいところ)。
 例えば次作『空の飛び方』収録の「恋は夕暮れ」もアレンジ上で若干似た手法を用いているが、一方で「恋は夕暮れ」はギターが大きくミックスされていたり、ドラムも湿り気のないデッドな鳴りになっていたりとロックバンドとしての要素をかなり強く前面に出しており、この曲程”やり切って”はいない。
 そんなちょっとレアキャラ染みた佇まいが、この曲を数か月おきに何回もリピートさせるのだ。

 歌詞の方も、とりわけ初期のスピッツの曲としては異質で、とにかく驚くぐらい「夏が終わる」ことしか書いていない。草野氏のセンスで描いた写実的な風景画、とでも表現したくなるような趣になっていて、こちらも他の曲とはやや印象を異としている。

遠くまで うろこ雲 続く
彼はもう 涼しげな 襟もとを すりぬける
(スピッツ「夏が終わる」 作詞:草野正宗)

 例えばこの歌い出しでは結局なにが襟元を「すりぬけ」ているのかはよく分からない(「彼は」で始まっているので、素直に受け取ると彼自身が襟元をすり抜けていることになってしまうが、それだと「襟もと」の対象が他人だろうが彼自身だろうが意味不明になってしまう)辺りに草野氏のセンスを感じるが、一方でこのフレーズは驚くほどに写実的だ。「うろこ雲」という、繊細ながら確かに現実的なモチーフと、「彼」という三人称(注1)、「涼しげ」という気温の提示で、詩的な「襟もとを すりぬける」ということばにまで、目に見える「風景」を与えている。

 思えばこの曲の歌詞はうろこ雲、日に焼けた鎖骨、「キツネみたい」な「君の目」と、スピッツの歌詞としては現実的な風景を描写したフレーズがとても多い。そしてそのどれもに、草野氏の非凡な視線の置き方を感じる。その視線の置き方がひときわエッジーに現れるのが、二番のメロのこれだ。

軽い砂を 蹴り上げて走る
濡れた髪が 白いシャツ はずむように たたいてた
(スピッツ「夏が終わる」 作詞:草野正宗)

 明確な言葉に出さずにその場所が水際、恐らく砂浜であることを、僅か一言で示してしまう「軽い砂」という言葉のチョイスも驚異的だが、なんといっても「濡れた髪が 白いシャツ はずむように たたいてた」がすごい。
 あくまで非常に現実的かつ映像的な描写でありながら、「白いシャツ」というモチーフから察せられる日光の強さ、少しのフェティシズム、夏という季節に纏わる記憶が持つ根源的な刹那、そうした様々な要素を見事に凝縮している。
 更にこのフレーズは曲の中で歌のフロウに乗せられることで意味合いが増す。実際の歌の譜割に着目してみると、一番の「うろこ雲 続く/彼はもう」と同じ個所で、「蹴り上げて走る」と「濡れた髪が」の二つのことばがまるで繋がっているかのように歌われている。
 その譜割によって、曲の主人公の視点―足元で跳ねる砂から揺れる髪への視線の移動が、きわめて自然に表現されている。

 そして詩的なことばと現実的なことばを絶妙に織り交ぜたこの曲の作風の到達点が、サビのこのフレーズ。

またひとつ夏が終わる 音もたてずに
暑すぎた夏が終わる 音もたてずに
深く潜ってたのに
(スピッツ「夏が終わる」 作詞:草野正宗)

 現在進行形だった夏が少しずつ過去のものへと形を変えていく、あの時期の感覚を、「音もたてずに」と表現する凄味。そしてサビ終わりで突然挟まれる「深く潜ってたのに」のひとこと。

 歌詞全体を読んでも、誰がどこに「深く潜ってた」のかは全くわからない。しかし、このひとことが「夏が終わる」という極めて現実的な事象をテーマにしたこの曲に、どこまでも深い解釈の余地を与えている。
 その余地がこのバンドの楽曲のとても大きな魅力のうちの一つであることは、皆さんご存じの通りである。

 そして詞で描かれている風景を映像へと変えていくのが、おそらくプロデューサーを務めた笹治氏のセンスがいかんなく発揮されたアレンジだ。
 とりわけストリングスとブラスの使い方があまりにも的確。「君だけを」の項でも触れたとおり、『CRISPY!』にはブラス隊を起用した曲が何曲かあって、そのうちのいくつかは正直なところ聴いていると若干引き気味になってしまうのだけど、この曲におけるブラスはメロディの持つ哀愁と瑞々しさをより煽るスパイス的な役割をきっちりとこなしている。
 ストリングスの素晴らしさについても書き記したい。おそらくこれこそが笹治氏のセンスが強く発揮された個所だと思うのだけれど、この曲におけるストリングスの鳴りは本当にヤバい。特にメロのメロディに戻って静かに終わっていくアウトロにおけるストリングスの醸し出す哀愁たるや凄まじいものがある。

 メロディについては何を書けばいいのか、よくわからない。
 なのでものすごく主観的に描いてしまうと、あの夏の終わりに漂う、爽やかな諦め、幸福な悲しみとも言うべきよくわからない感覚を、極めて正確な形で音楽に落とし込んだもの、とでも表現してしまおうか。
 このメロディと歌詞を一緒に摂取すると、目の前に夏の終わりの風景が本当に見えてきそうな、そんな気さえしてくる。

 アルバムの2曲目という非常に重要な位置に置かれているところを見るに、当時のバンド的には結構な「勝負曲」だったのではないのだろうか。
 贔屓目なのかもしれないけれど、この曲がシングルカットされていたら(注2)スピッツの歴史は少し違ったのではないかとさえ思う。
 とはいえ『CRISPY!』が売れなかったのは作品そのものに焦りが出ていることもさることながら、もうちょっと複合的な、どうしようもない理由によるものだと思うので、結局は何も変わらなかったのかもしれないけれども。

 そしてこの曲にはとても印象深い思い出がある。2013年の特別公演、「横浜サンセット」。

 私は同公演に家族の付き添いという形で行くことになった。
 色んな意味で特別な公演だったので正直セットリストにはあまり期待していなくて、恐らく新譜である『小さな生き物』の収録曲を中心にして(※これは実際そうでした)、いろんな時期のシングル曲や有名曲をやるぐらいだろうな、と思っていた。それでも数年ぶりのスピッツのライブだったし、その頃ちょうどスピッツを再聴していたので、まあそれなりに楽しみではあったけれども(「今日「テレビ」やらないかな!?」って家族にしつこく話して「やるわけないだろ」と何回も言われた記憶がある)。
 実際最初の数曲はそんな感じで、野外ライブの常連である「恋のうた」やアルバム収録曲ながら有名な部類に入る「ハチミツ」「みそか」など、ライブで盛り上がる有名どころがセレクトされていた。それでもだいぶ満足だったけど(特にこの日の「僕はきっと旅に出る」は本当に素晴らしかった記憶がある)、6曲目の演奏前に、思いもよらないことが起きた。草野氏がいきなりこんなようなことを言い始めたのだ。

 次にやる曲は暑い夏を見越して作ったのに、リリース時は記録的な冷夏だった。歌詞に「暑すぎた夏が終わる」って書いてあるのに。

 え?え?と思っているうちに、「夏が終わる」が演奏されたのである。イントロのあのギターリフが聴こえた瞬間、比喩でも何でもなく変な声が出た。

 夏の終わりの屋外ライブで「夏が終わる」を聴くことをできた、ということは、私の人生の中でも数少ない、本当に胸を張って誇れることのひとつ…かもしれない。

遠くまで うろこ雲 続く
彼はもう 涼しげな 襟もとを すりぬける
(スピッツ「夏が終わる」 作詞:草野正宗)

注1:ちなみにこの曲の歌詞で一番の謎はこの「彼」が一体誰なのか、ということ。「君」と「彼」が同一人物なのか、それとも別人なのかが、この詞の上ではおそらく意図的に曖昧にされている。
 ネット上では「夏」そのものを擬人化して「彼」と表現している、という説も見かけたけれども、果たして…。

注2
:…と書いたのだけれど、実はこの曲は「君が思い出になる前に」がシングルカットされた際にカップリングに選出されており、間接的なシングルカットを果している。
 しかしシングルそのものは結構ヒットしたはずなのにいまだに「ファンが知る隠れた名曲」ポジションからは抜け出せていないような気がする。それどころか「君だけを」とタメを張るレベルで存在感のないシングルカット曲ではないだろうか。
 どんなにシングルカットされようとも、カップリングはシングルベストに入らないし、アルバム曲なので『花鳥風月』などの企画盤にも拾い上げられないし…、といった微妙なポジションに嵌ってしまっていて、ほぼほぼシングルカットの意味がない。結果としてこの2曲はスピッツのシングルカットの中でも格別に不遇。
 そのぶんライブの場において、「夏が終わる」は横浜サンセット、「君だけを」は猫ちぐらの夕べ、とそれぞれけっこう重要な局面で取り上げられている。