一曲一記事/スピッツ「君だけを」

 スピッツの4thアルバム、『CRISPY!』に収録されている曲。

 子供の頃、このアルバムの収録曲が怖かった。

 幼い私はこのアルバムに収録された曲に全てに対して、等しく微妙な不気味さを感じていたのをとてもよく覚えている。それはアップテンポな「クリスピー」もそうだし、ド派手な「ドルフィン・ラブ」もそう。なんというか、このアルバムそのものが「怖いアルバム」だと認識していた。
 大人になってから聴き返してみて、その理由がやっとわかった。

 このアルバムは「失敗作」的な文脈で語られることが多い。
 当時のスピッツ、特に草野氏が抱いた「売れたい」という焦りの具現化のような作品だ。
 外部プロデューサーとして凄腕プロデューサー笹路正徳氏を迎え、ブラスやシンセ、ストリングスといった外部要素を大胆に取り入れた。曲はポップで分かりやすいものが揃えられ、アレンジも一気にバブリーに。更に歌詞では遂にずっと避けていた「君を愛してる」という言い切りの言葉を使った。ジャケットも初めてメンバーの顔(民族衣装に身を包んだ草野氏の顔のアップ)を全面に押し出したデザインにした。
 でも、売れなかった。チャートインするという目標は果たせずに終わり、草野氏は非常に落胆したという。

 今作に対して正直な感想を書けば、前作までにあったオルタナ志向を売れ線な方向に消化出来ている訳でもなければ、売れ線とオルタナ志向を両立させることも出来ていないような印象を受ける。
 そもそも4枚目のアルバムとはいえ、リリースペースが速かっただけで実際にはメジャーデビュー3年目。いくら才能あるバンドでも、そこまで器用なことが出来るわけがない(だが僅か一年後にリリースされた次作『空の飛び方』でその消化と両立をあっさりやってしまう辺りがスピッツのヤバさなのだが)。
 実際のところ、このアルバムで行ったトライは全て後の活動に反映されて発展していくので何も無駄にはならなかったし、駄作になったり聴いているのが辛い内容に仕上がったりしているわけではない。才能はちゃんと発揮されているし、これをベストに挙げるファンがいてもなにも不思議には思わない(「君が思い出になる前に」も入ってるしね)。
 ただ、どうしても「苦しそう」なアルバムだな、という感想は抱いてしまう。
 子供の頃の私は、この全体に漂うぎこちなさや苦しさを、不気味なものだと感じていたのだということが最近やっとわかったのだ。アートワークも無駄にサイケデリックで(そもそも原色満載のジャケットからしてちょっと”イっちゃった”雰囲気が醸し出されている)、そりゃ子供は怖がるよな~と思う。

 個人的にラストの「黒い翼」は今でもあまり得意ではない。壮大なロックバラードを志向した楽曲なのだけれど、最後の方で響くコーラスはその雰囲気にそぐわない妙にのっぺりとした質感が付き纏っている。そこにはまさに「慣れないことをやった」事が原因と思われる異様なぎこちなさが漂っていて、それをとても不気味に感じてしまう。
 そしてこの曲を聴くと、子供の頃、ドライブ中にカーステレオから流れるこの曲のコーラスを聴いているうちに怖くなってしまい、家に帰ってからもこのコーラスを思い出してしばしの間眠れなくなったことを必ず思い出す。

 ただ、このアルバムには”良い意味で”不気味な曲もある。
 軽やかなギターポップに乗ったSFファンタジー風のストーリーの行き先の不可解さが絶妙に怖い「タイムトラベラー」やスピッツの曲の中でも一、二を争う暗~い雰囲気が魅力的なフォーク「多摩川」なんかは、先述のぎこちなさから生まれる不気味さも「持ち味」の一部として楽しめる。
 後にシングルカットされる名曲「夢じゃない」も、このアルバム全体に漂うなんとも言えない空気が土壌にあったからこそ生まれた傑作だろう。

(そして「夏が終わる」は私的にはスピッツ史に残る名曲だと思っているのだけれど、この曲に関しては書いたら止まらなくなるので何れ別の機会に取り上げるとして)

 そんな”いい意味”で不気味な曲の中で、最近特にじわじわと来ているのが、この「君だけを」だ。
 トラックとしてはストリングスが効果的に使われている非常にシンプルなロックバラードだが、一歩間違えれば他のバンドでもできそうな曲に陥る危険性があるアレンジだと思う。それを唯一無二のものにしているのは非常に秀逸なメロディライティング、そして歌詞の異様さだろう。

 この曲はまず歌い出しがすごい。

街は夜に包まれ行きかう人魂の中
(スピッツ「君だけを」 作詞:草野正宗)

 この曲を初めて聴いた人や、この歌詞を初めて見た人は、絶対に「行きかう人…魂!?」となるだろう。この次に「大人になった哀しみを見失いそうで怖い/砕かれていく僕らは」という、「状況に慣らされていく人々」の悲しみを秀逸な比喩で描いたフレーズが続くだけに、「人魂」という言葉の違和感が猶更くっきりと浮かび上がる。

 この「人魂」を端緒にして他の歌詞を見て行くと(こちらで全文確認してみてください)、他の場所にも気になるフレーズが含まれていることに気付くだろう。
 生々しい孤独を描写したことばの中に突然「白い音」という謎めいた比喩が登場したり、「いつもの道」を歩いているようなことを言っているのにその次では「目を閉じ」ている状況が提示されていたり。
 そもそもこの曲は「君だけを」という言葉を表題に掲げているのだけれど、サビでそこに続くのは…

君だけを必ず 君だけを描いてる
(スピッツ「君だけを」 作詞:草野正宗)

 愛している、だとか、想っている、とかではなく、「描いてる」という閉じた状況なのである。そもそも「いつか出会える時まで」とまで言っているので、主人公はこの「君」と出会ってすらいないようだ。

 全編通してこうした泣きメロのロックバラードに載せられるような一種ありがちな歌詞を、絶妙に膝カックンしたような若干捻じれた言葉が綴られていて、そこから醸し出される妙な不気味さがとてもおもしろい。

 ここ最近、この曲はなぜこんな表現を必要としたのだろうかと考えていたのだけれど、先日近所を歩きながらこの曲を聴いた際に、不意にこの歌詞は当時のバンドの焦りと、そこにある心情を暗喩した歌詞なんじゃないかというふうに思った。
 一度そう思い込むと、「星の名前も知らず」というフレーズはまさに当時の焦りを具現化しているように思えるし、出会えていない「君」はもしかしたら恋愛絡みの人物ではなくもっと大局的な何かなのかもしれないとも思えてくる。だとすると「大人になった哀しみを見失いそうで怖い/砕かれていく僕らは」というフレーズの重さがちょっと洒落にならないレベルになってしまうのだが…。
 そんな歌詞を、当時のスピッツとしてはかなりの歩み寄りを感じる、「泣きのメロディが印象的な王道ロックバラード」に載せているのが痛々しくも切なく、堪らない。そこに『CRISPY!』特有の「不気味さ」が隠し味として効いている。
 そんなわけでここ最近、私の中で急速に好感度が高まっている一曲だ。子供の頃はなんかスピッツっぽくなくて変な曲だな~と思っていた。未熟である。

 そしてこの曲は昨年行われた特別公演「猫ちぐらの夕べ」にて、なんと20年ぶりにライブの場で披露された(多少のアレンジが加えられていたらしい)。
 最初に知ったときはその選曲を少々意外に思ったものだが、この歌詞をちゃんと読み込んだ今ならその理由が分かる。
 昨今のミュージシャン・バンドを取り巻く状況によって、この詞は図らずも時世に完全にフィットする形になったのだ。

君だけを必ず 君だけを描いてる
woo… ずっと
(スピッツ「君だけを」 作詞:草野正宗)

 発表から30年近い時を経たこのタイミングで、また新たな意味が生まれた、非常に稀有な曲だと思う。

 …と、らしくなく真面目に締めてもいいのだが、最後に付記。
 実は1997年に「夢じゃない」がドラマの主題歌に起用されシングルカット(一部のシンセを生演奏に置き換えるなど手が加えられたリミックス版で、ジャケットイラストはなんと真鍋博氏!)された際に、カップリングとしてこの「君だけを」が選ばれている。
 なんでもこの曲もドラマ挿入歌として使われたから…というのがリカットの理由らしいが、私はその理由を大人になってからwikiで初めて知ったし、表題曲「夢じゃない」と違ってリミックスもされていないみたいだし、「夏が終わる」(「君が思い出になる前に」シングル盤のカップリング)と並んで存在感の無いリカット曲ではないだろうか…。