禍話リライト「マイガイカン」

 あのー…おいしい貝とかじゃないよ。沖縄で穫れるおいしい貝とかじゃないよ。

「あの、なんていうんですかね…意味不明な話なんで、全然笑ってもらっていいんですけど」
 そう言い添えて、Dさんが語った話である。

・・・

 Dさんの両親と父方の祖父母は、端的に言えば仲が悪かった。
 そうは言っても「孫は特別な存在」だったのだろう。そんな環境でもDさんは祖父母に普通に可愛がってもらっており、父方の実家にも頻繁に遊びに行っていたという。
 田舎にある祖父母の家に遊びに行けば、おじいちゃんもおばあちゃんも自分のことを可愛がってくれるし、やたらとお小遣いもくれるし、美味しいものがたくさん出てくるし、昼間は家の前にある川で遊ぶこともできる。
 子供にとっては至れり尽くせりの環境であり、悪い気はしない。
 故に両親と祖父母の折り合いの悪さも「そういうこともあるんだな…」程度に捉えていたそうだ。

「それでね、あれは小学校…高学年ぐらいの時かな。中学がどうこう…みたいな、そういう話をしなかったんで、多分小学五年か六年のどっちかだと思うんですけど…」

 ある夏の日。
 いつものように祖父母宅で遊んでいた。その日は屋外ではなく、家の中で何かしらの遊びをしていた。どんな遊びをしていたのかは、Dさん本人もよく覚えていない、という。

 随分と遊びに熱中していて、周りが見えていなかったようだ。
 ある瞬間に、ふっ、と我に返って気付いた。
 辺りが静まり返っていて人の気配が全く無い。
 どうやら、この家の中には今、自分しかいない。

(え…俺なんで一人なんだろう?)
 はて、おじいちゃんもおばあちゃんも外出の予定なんて口にしていたかしら、という疑問が頭に浮かぶ。
 しかし、それよりも。
(…なんか寂しいな…)
 祖父母の家は、典型的な「田舎の古い一軒家」だ。敷地が広いうえにやたらと部屋数が多い。そんな環境で一人きり、というのはいくら小学校高学年まで年齢を重ねた身とは言えども、心細さを感じる。

 寂しさに耐え切れなくなったDさんは、玄関を見に行くことにした。
 自分が玄関に赴いたタイミングで、おじいちゃんとおばあちゃんが帰ってきたりしないかな、という期待を抱きながら。

(あれ…?)
 玄関に着いたDさんは、すぐに違和感を抱いた。
(靴、全部あるな…)
 靴箱に収められた靴は全て揃っている。
(それに戸も閉まってるし…え、じゃあ二人とも家いるの?)
 疑問に思ったDさんは家の中をくまなく探してみた。
 台所、居間、トイレ、寝室…しかしどこにも祖父母の姿はない。
(あ~…裏に勝手口があった筈だよな、この家。そこからどっかに出かけたとかかなあ?)
 そんな推測を立てつつ、最後にもういちど確認しようと玄関に戻った。
 すると。

(え、誰か来てる)

 玄関の土間の先、ガラス戸の向こうに誰かが立っていた。

 摺りガラス越しなのでぼんやりとした像しか見えない。
 なので、服装、性別、年齢、そういった特徴は全くわからない。
 確実にそこにひとりの人間が立っている、ということだけが分かる状態だった。

 しかしその何者かは、直立不動の状態のままで何の行動も起こさない。
 呼び鈴も押さない。ノックもしない。ドアポストに何かを入れることもしない。ただ、そこに突っ立ったまま。
(用事があるなら、なんかやってくれてもいいのにな…)
 そう思いながら玄関に近付いたところで、Dさんは戸の向こうの人物がぶつぶつ何かを言っていることに気付いた。
 まるで誰かに話しかけているような、結構はっきりとした音量だ。ひとりごとにしては声が大きい。
 これはもしかして、家の中の人間に何かを伝えようとしているのではないか。なんだろう、と思いながら耳を欹てる。

 正確な言い回しなどの細部は覚えていないそうだが。

”マイガイカンに目を通したら、名前を記入する決まりである”

 戸の向こうの何者かは、そのような意味合いの言葉を繰り返し発していた、という。

(…いやマイガイカンって何???)
 Dさんが一番気になったのはその点である。全く聞き馴染みのない言葉だ。
(う~ん…目を通して名前を記入する…ってことはなんか…リスト的なものなのか?)
 断片的な情報を基に色々と推測を立ててみようとするが、全く見当が付かない。
(…あ、回覧板のことをそういう風に言ってるのかな!?)
 自分には馴染みがないが、方言で回覧板をそういう風に表現するとか、あるいは…訛りかなんかで「回覧板」が「マイガイカン」に聞こえてるんじゃないだろうか…そんな訛り聞いた事ないけど…。
 あとになってみれば聊か無理のある解釈だが、その場ではそう考えるほかなかった。
(でも回覧板とか言われてもなあ…俺ここに住んでる人間じゃないし…)
 そこで、Dさんは扉の向こうの何者かに声をかけた。
「あの~…すみません。今ちょっと、大人の人いないんですよ。僕、この家に遊びに来てる孫で、だからこの家の人間じゃなくて…」

 しかし。
 扉の向こうの何者かは、Dさんの言葉に一切反応を示さない。
 同じ姿勢のまま、「マイガイカンに目を通した人間は名前を記入しなければならない」というような意味合いのことを、ずっとぶつぶつ言い続ける。
 何回か繰り返し声をかけたが、結果は同じだった。

 …思えば、この玄関のすぐ隣には庭が広がっていて、そこからは居間が見えるはずだ。急を要する用事があるなら、そちらから声をかけてきてもよさそうなものなのに、この何者かは玄関前から動こうとしない。
 摺りガラス越しの像は相変わらずぼやけていて、この人がどんな人間なのかさっぱり見当が付かない。思えば、こんなに声をはっきり聴いてるのに性別もよく分からないままだ。
 なんだか気味が悪くなってきた。
「…ああ…じゃあ、なんかあるならそこに置いておいてください」
 扉の向こうにそう伝え、奥の部屋に戻ることにした。

 しかし一度耳を澄ませて声を認識してしまったせいで、どこに移動しても玄関から声が響いているのが分かってしまう。
 そのせいでずっと居心地が悪い。
(え~…なにこれ?そもそもマイガイカンって何なんだろ…もしかしたら俺が受け取らなきゃいけないのか?え~…気味悪いし面倒だし、やだなあ…そういやあの人、あんなふうに言ってた割には手になんか持ってた感じじゃなかったな、はっきりとは見えてないからわかんないけど…)
 そんなことを考えていると。

 声が聞こえなくなった。
(あれ?)
 すぐに玄関に確認に行く。そこにはもう誰もいない。
(あー、諦めてどっか行ったんだ。よかった~)
 と思った直後。
(いや、よくないな…)
 瞬時に悟った。

 誰もいなくなった玄関口の風景を見て、やっと気付いたのだ。
 当時、Dさんが両親と暮らしていた家の玄関の戸には、確かに摺りガラスが嵌められていた。
 そのせいで気付かなかったのだが。

 この家の玄関の戸に嵌められているガラスは、摺りガラスではない普通のガラスなのである。

(そうだよ!ここ普通のガラスじゃん!え!?じゃあなんであの人ぼやけてたの!?えっ、怖!)
 Dさんの背筋に冷たいものが走った、その刹那。

「スイカ切ったけど食べる~?」
 全く緊迫感の無い祖母の声が背後から響いた。
「え!?」
 その声を合図に、家の中が急に生活感で満ちた感じがあった、という。
 振り向くと、奥の台所で祖母がスイカを切っている。さっき調べた筈の居間では、祖父が茶を啜りながら時代劇を見ている。
 なんの変哲もない日常の風景がそこに広がっていた。
 Dさんからしてみたら、完全に意味が分からない。
(いやいやいやいや!さっきまで誰もいなかったじゃん!)

 混乱する頭を何とか抑えて、祖父母に先ほど起こった出来事を説明したものの、祖父には
「マイ…なんだそりゃ?なに言ってんだお前?」
 と一笑に付され、祖母には
「まあ、こんだけ暑いからねえ。きっと暑さでやられちゃったんよ。ほら、スイカ食べ。あとアイスもあったから持ってくるね」
 と心配され、スイカやアイスを振舞われた。
 どうやら、祖父母も「マイガイカン」という言葉には全く心当たりがないようだ。

 出されたスイカにかぶりつきながら、
(…まあ、おばあちゃんの言う通り、暑さで頭がボケてちょっとおかしくなってたのかな?)
 と自分を納得させた。

「…変な夢を見たんだな、ぐらいに思って。だから正直ね、マイガイカンなんて言葉、次の日にはすっかり忘れちゃったんですよ」

・・・

 最近になって、Dさんはその奇妙な言葉を思い出す羽目になった。

 先の出来事から長い月日が経ち、その間にまず祖父が亡くなった。
 ひとり残され長生きした祖母も、最近になって大往生を迎えた。

 祖母が亡くなったことで父方の実家が完全に消滅する、ということもあって、祖母の葬儀は親戚が一堂に会する大きな規模のものになった。
 しかし父方の親戚には若い人がおらず、葬儀の受付を担当できる人がいない。
 そこで、若いDさんに白羽の矢が立った。
(まあ、椅子に座って挨拶するだけだし、別に良いか…)
 そう思い、Dさんが受付係を担当することになった。

 だからDさんは葬式に来た来客の様子を全て確認している。
 そもそも田舎の片隅で行われた一般人の葬式である。いくら「規模が大きい」とは言えども、親戚以外で出席するのは近隣に住む付き合いの深い老人たちぐらいで、大した人数など来ない。
 その筈なのだが。

 葬儀が終わったあとに芳名帳を確認すると、誰の物かわからない名前が書き込まれていたのだという。
 その名前は筆記体を独自解釈したようなぐちゃぐちゃの字で書かれており、全く読むことができない。

 当然、親戚の間で話題になる。
「え、何これ?」
「なんか気持ち悪いですねえ」
「ね。こんなん書く奴いるか?」
 Dさんも芳名帳を覗き込む。
「…いや、この名前、NさんとSさんの間に書いてあるじゃないですか」
「そうねえ…あ、そうか!D君受付だったもんね。NさんとSさんの間って誰が来たの?」
「いや、それがですね…俺の記憶ですよ?だから完全にはアテにして欲しくないんですけど…誰も来てないんですよ」
「…え、どういうこと?」
「いやぁ…俺もわかりません」
「ええ…」

 先に記したように、受付を担当していたDさんは全ての来客を確認していたはずである。
 しかし、そのDさんも例の名前を書いた人物に全く心当たりがないのだ。
 くだんの名前は芳名帳の中でNさんとSさんという方の名前に挟まれる形で書き込んであるのだが、何度思い返してもNさんとSさんの間には誰も来ていない。

 やがて、話題は「この名前は一体なんと読むのか」に移り変わった。
「そもそもさあ、これ、読める?」
「いやあ、こんな字読める人いないでしょ」
 そんな会話を聞きつつ、読めない筈の名前を改めて見返したDさんは、
(あれ、これって―)

「マイガイカン…」

 一体、このグチャグチャな字のどこが「ま」で、どこが「が」なのか。
 そういったことは全く分からない。
 しかしその瞬間、Dさんだけがその名前を直感的に「マイガイカン」と”読めた”のだという。
 子供の頃。あの夏の日に聞いた、すっかり忘れていた言葉―

「いや、マイガイカンってなんだよ!人の名前じゃないじゃん!」
 …横から聞こえてきた突っ込みで我に返った。何も知らない周囲の親戚は、Dさんの発言をちょっとした小ボケと捉えて笑っている。
「…え、あ、え?あ、確かにマイガイカンってなんすかね?」
「D君、今日一日ずっと座ってたから頭ボケッとしちゃったんじゃないの?」
「あ、あ~、そうかもしれないですねえ」
「これは今夜はいっぱい食べて飲んでもらって、いっぱい休んでもらわないとな!」
「いや~ほんとにお疲れさま!あはははは!」
「あ、どうも、あはは…」

 親戚に合わせて愛想笑いを浮かべながら、Dさんは心の中で
(繋がっちゃったなあ…)
 と感じていたのだという。

・・・

「だからね、かぁなっきさん。僕が子供のころに見たあの”マイガイカン”の人、たぶん葬式に来てたんですよ。あの家に住んでいた人たちがみんな死んだ後に、もう一回、見に来たんです」

 Dさんはそう言って、話を締めくくった。


◇この文章は猟奇ユニット・FEAR飯のツイキャス放送「禍話」にて語られた怪談に、筆者独自の編集や聞き取りからの解釈に基づいた補完表現、及び構成を加えて文章化したものです。
語り手:かぁなっき
聞き手:加藤よしき
出典:"禍話フロムビヨンド 第9夜"(https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/801090304)より
禍話 公式twitter https://twitter.com/magabanasi

☆高橋知秋の執筆した禍話リライトの二次使用についてはこちらの記事をご参照ください。