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【8月8日(月)鵜住居 北上】

ホテルに依頼して、朝食の開始を10分早めて頂き、大急ぎで朝ご飯を食べる。貝焼きもあったのだが、時間がないかなと思ってパスしてしまった。このホテル、インテリアがなかなか素晴らしい。フロントの上の細かい木組みも、まるで水戸岡先生が作るJR九州の列車みたいだ。

格子細工が美しいロビー
ロビーの格子細工

エレベーターホールの上に、「悲母観音」がある。狩野芳崖の絶筆となった名作である。日本画でも洋画でも、宗教画でもない、全く別のジャンルの絵に見える。フロントの方も、この絵をとても大事にされているようだった。だが、どうしてこれをロビーに飾っているのか、それは聞かなかった。

悲母観音と子どもの絵
悲母観音(狩野芳崖)

大船渡からBRTに乗り、盛で三陸鉄道に乗り替える。乗換時間が30分あり、この駅でなつかしい「クロジカせんべい」を買う。

くろじかせんべい
三鉄クロジカせんべい

後で会いに行く石川さんが主宰するAMITA(アクセシブル盛岡in東京)の会合には、岩手から増田知事やいろいろな企業が参加していた。さんてつの社長さんもいらしていて、この頃は「赤字解消せんべい」を売っていた。震災後、三鉄が復旧した直後に、嬉しくて全線踏破したことがある。そのときに売っていたのが、「クロジカ(黒字化)せんべい」だったのだ。もちろん奈良の鹿せ んべいと違い、人間が食べるものである。三鉄は、やませの中を走っていく。ところどころ、真っ白い霧の中を進む。私は三鉄に乗っていることそのものが、うれしくてたまらない。せっせと写真を撮る。

霧の中を走るさんてつ
やませのなかを走る三鉄

電車は鵜住居に着いた。ここは、津波が来たら逃げろ、という言い伝えを子どもたちが守り、みんながそれぞれ「てんでんこ」に逃げて助かった、有名な場所である。この小中学校の跡地に、今は釜石鵜住居スタジアムが建っている。2019年のラグビーワールドカップの試合会場として立候補し、建設された。釜石はもともと新日鉄釜石チームがあったところだ。ここに復興記念として新たなスタジアムが誘致されたということなのだが、平日のスタジアムは、がらんとしていて、少し寂しかった。休日には子ども向けのスポーツイベントなども行われているようである。

スタジアムの案内板
鵜住居スタジアム 避難場所の掲示

駅のそばには、「うのすまい・トモス」という複合施設がある。ここは、かつての地区防災センターで、192人がここに逃げ込み、160人以上が命を落とした場所でもある。防災センター=津波の避難場所ではないということの悲しい証拠でもあり、その反省としての展示施設でもある。ここには、さきほどの鵜住居小学校・中学校の子どもたちが地域の伝承に従ってとにかく高い所へと走ったこと、高齢者が山崩れに気づいて「ここでは危ない、もっと高くへ」と伝えて更に逃げたこと、4日前に高速道路が開通したばかりで、そこへ逃げ込めたこと、トラックのドライバーたちが高速道路に避難した子供たちを無事に送り届けたこと、などが、克明に記録されていた。小学生が「てんでんこ」に逃げて、家族がみな助かったという話が、子どもにもわかりやすいアニメーションで説明されていた。震災の記録と、そこから学ぶものをまとめるという意味では、このトモスの展示は、大変素晴らしい内容であった。スタッフの方も、地場産品を販売する店の方も、大変親切で、岩手県の人柄の良さが現れている。多くの方に訪れてほしい場所だと思った。

うのすまいトモス建物
うのすまいトモスの入り口

もやいのツアーはここまでである。その後は、私は鵜住居から三鉄で釜石へ出て、花巻経由で北上へ行った。ここには、アクセシブル盛岡の代表を長く務めた石川さんがいる。ホテルメトロポリタンのマネジャーとして岩手県内に幅広い人脈を持ち、岩手県のユニバーサルデザインを強力に推し進めた人だ。岩手は、知事が議長を務めるUD推進会議を2002年ごろから開催していたが、そこで、舌鋒鋭く、歯に衣着せず、竜が火を吹くように、正論を述べる姿を見て、岩手県にはすごい人がいるなあと度肝を抜かれた方である。岩手県内のUDの場や、推進する人々を、本当にたくさん紹介して頂いた。311の震災後の6月に、経済という雑誌の企画で被災地を回ることになったとき、石川さんが車を出してくれたからこそ行けた場所がたくさんあった。大槌の図書館や町役場など、まだ何一つ手がついていない状態の場所を見た時の衝撃は忘れられない。震災後も、各地の店や観光地の復興に、そのUD化に、一方ならぬ支援をされてきた方である。

ぱれっと内の案内
おはしも の案内 可愛い

石川さんは、今は北上で、ぴーかぶー・ぱれっとという名前の学童の施設に勤めている。児童発達支援・放課後等デイサービスの場であり、主に発達障害の児童生徒が通ってくるそうだ。施設内にも、避難する際のおやくそくとして、「おはしも」の可愛いポスターがあった。おさない、はしらない、しゃべらない、もどらない の頭文字を合わせたものが「おはしも」である。東北では必ず見かけるなあ。ここで石川さんと、岩手県のUDや、震災後の岩手県の各所を回ったときの話に花が咲いた。そして、いつか、北上展勝地の桜を一緒に見たいね、という話になった。世界最高齢国家の日本で、歳をとることがこわくないように、どこへでも自由に移動出来て、情報を受け取ることが可能なように、街もモノも情報もサービスも、UDであるようにと願ってきた。震災後にさらに高齢化の進む東北を、UDを前提とした場所にしていくことの重要性を、再認識した旅であった。

もやいのみなさま、本当にありがとうございました。

もやいメンバー集合写真
もやいツアーのみなさん@福島駅


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