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「普通」って基準がなくなればいいな

僕は1652グラムでこの世に生まれました。小さく生まれたし、早生まれだったこともあって幼稚園まではクラスでだんとつ小さくて、クラスで一番泣き虫で、クラスで一番何もできないやつでした。

だから「できない」ことが当たり前の状態で、親も「できなくてもいいよ」という考えだったので高望みされたりプレッシャーを受けて育った記憶はありません。

小学生になってからは、少しずつ「普通」でいることを親が望むようになっていました。今まで何でもビリだった僕は「真ん中」を目指すように言われたのです。テストでは100点は求められないけど平均点以上を取るように言われたし、運動会では1番になれなくてもいいから3番くらいを求められました。真ん中でいいと言われるのは楽でした。

そのうち、学年一小さかった背も真ん中くらいになり、6年生になると後ろから数えた方が早いくらいになりました。背が大きくなったせいか、体育が得意になってきました。走るのが急に速くなって、6年生の運動会はリレーの選手になったり、市の陸上大会で学校代表で走って100メートル走で1位を取ることができました。走ると一番になれました。目の前に誰もいない世界を走るのが気持ちがいいと思うようになりました。走っている時の風の音や体にぶつかる風の感覚が気持ちよくて、僕はもっと速く走れるようになりたいと思うようになりました。

ずっと、「真ん中でいいよ」「普通でいいよ」「平均でいいよ」と言われ続けてきた僕がはじめて一番になれたものでした。

小学校6年間、「普通でいいよ」と言われ続けた僕は、12歳、中学1年生の時に起業をして株式会社の取締役社長になりました。普通ではない選択をしました。

相変わらず僕に普通でいてほしい母は、「こわい」と言っていました。普通が何か分からないけど、普通と呼ばれる枠の中に子どもがいてくれたら安心なのだと言っていました。

普通が何か分からないのに僕に普通を求めるのは矛盾している。でも、子どもが人と違う道を進もうとした時、親は心配するものだろうなとは思いました。

さらに僕はせっかく受験して入った私立中学を昨日退学しました。N中等部という学校として認められている一条校ではないスクールに通います。プログレッシブスクールと名乗っていますが、フリースクールやインターナショナルスクールと同じようなカテゴリーに入るスクールです。

父は僕の好きにすればいいと言ってくれましたが、やはり母は「こわい」と言っていました。普通に中学、高校を出て、普通に大学を出て、普通に就職する流れはなくなったのです。もう一度聞きました。「普通とは何なのか?」と。それは「9割の人が選ぶ道」だと母は答えました。9割の人が選ぶ道が正しいかは分からないけど、楽で安心なのだそうです。

「普通」と呼ばれる道から外れることを怖いと思う人もいるかもしれません。しかし、逆に「普通でいる」ことの見えないプレッシャーで苦しんでいる人が多いように思います。

見た目、話し方、考え方、能力、職業、好きなもの、生き方・・・

色々なものに「普通はね」「普通なら」「普通に考えれば」「普通の人なら」という言葉で普通からはみ出ようとする人を普通の世界にいるように引き止めようとしています。

「普通」っていう考え方をやめませんか?
「普通」って基準をなくしませんか?

自分がいいと思ったものを、生まれつき備わっているものを、「それがいいね」と言える世の中になればいいなと思います。

#こんな社会だったらいいな


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