SDGsは多様性を受け入れられるのか?
僕は今、「小中高生ライターで運営する自分探究・社会探究メディアTANQ-JOB」のを運営している。これは自分の会社の事業ではなく、僕の完全な個人活動で、自由に考えを表現できる場として参加できればと思っている。
メンバーは中高生5人いて、好きなことを発信してOKなのですが、月に1回テーマを決めてみんなでそのテーマについての考えをnoteに書く。これが難しいし、締め切りもあって忙しくなるんだけど、なんか楽しい。
今回は「SDGs」がテーマになった。SDGsの中で自分が興味のある課題で書く。
僕が興味がある課題は
3:すべての人に健康と福祉を
4:質の高い教育 みんなに
8:働きがいも経済成長も
17:パートナーシップで目標を達成しよう
あたりだ。今回、1つの課題に絞って書くことになっている。僕は今、感覚過敏研究所の取り組みに一番力をいれているし、そのことを書きたいから「3:すべての人に健康と福祉を」になるのかなと思い、TANQ-JOBメンバーにも「3で書く」と宣言しました。
そして、noteを書こうとしたのですが、全く書けないのです。
僕は感覚過敏研究所を通して実現したいことは、「感覚過敏の人が暮らしやすい社会にすること」「感覚過敏の人がやりたいことがある時にあきらめなくていい社会にすること」です。
このビジョンやミッションのために、①感覚過敏の啓蒙活動②感覚過敏の人のための商品・サービス開発③感覚過敏の研究に取り組んでいるわけですが、究極のゴール設定をしています。
感覚過敏という言葉も概念も不要な世界です。
アイディア商品やサービス、テクノロジーによって感覚過敏の困りごとを1つずつ潰していくことはできると思っている。それも実現させていきたい。
しかし、もっと究極的なことを言えば、それらの商品・サービスで課題が解決これることとによって、あえて「感覚過敏」と言わなくてもいいようにしたい。もっと言えば、感覚過敏があることで不自由さを感じないような社会にしたい。それは、技術革新も重要だが、もっと大事なのは、感覚過敏という特性があっても、社会がそれを受け止められる状態になっていることです。つまり、感覚過敏による不自由さや困りごとが発生しないような社会や人々の価値観の変革です。
これは感覚過敏に限ったことではありません。年齢、性別、国籍、病気、障害、職業など色々なことで不自由さがあります。この問題の解決は「多様性を認め合うことです。」
「僕は、感覚過敏って特性があるんだけどね」
「へーそうなんだ。もし困ったことがあったら言ってね。私はね・・・・・って部分があるんだ」
「そうなんだ。そういうこともあるよね」
みたいな世界観です。特性や個性があるからといって、そこには何の問題も生じない世界。それを僕は目指したい。
そういう部分をnoteに書こうと思ったのだが、SDGsを眺めても、「これだ」と思えるものがないのです。3番で書くと宣言したので、3番に合うように書くこともできるけど、学校の作文じゃないのだから制約はない。誰かに合わせて書く必要もない。
じゃあ何番で書く?
そう思って、その気持ちをツイートしてみる。
「多様性を認め合う」に一番近いのは「10:人や国の不平等をなくそう」である。しかし、10番の解説を読むと以下のように書いてある。
参照:https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/17goals/
つまり、格差の解消なのです。格差はないほうがいいとは思う。でも、格差があると思う側の思想がそこにはある。そのままでも幸せな人や国がいるかもしれない。自分の幸せの基準を他人や他国にあてはめていいのだろうか?それは自己満足ではないだろうか?
多様性とは、本人が望むそのままを認めあうこと。
多様性はSDGsが求めるものではないのかもしれない。そんな時にスッキリする回答をいただきました。
その後のやりとりも是非、ご覧ください。
気がつけたことは、「SDGsは持続的な開発をするために2030年に達成したい項目であるということ」。
・多様性社会は開発目標にはなりにくいこと
・SDGsを考えた頃、多様性社会の実現は視野にはなかったかもしれないこと
僕たちの世界は常に進化していて、自分が目指すものや取り組みたい課題がSDGsにない場合だってある。その時、SDGsに疑問を抱いたり、SDGsに興味が出ない自分をダメ人間なのか?って思う必要はない。
SDGsのゴールは2030年だ。僕は24歳だ。まだやれるはずだ。
SDGsの先を行こう。
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