200422

優しさが受け入れられないとき、ポジティブなことを否定したくなるとき、そんな自分も受け入れたい。

soarさんのオンライン説明会に参加をしました。口下手な私はちゃんと感想を言うことが出来なかった気がするので、記録として熱の冷めないうちに書こうと思います。

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soarさんのサイトを見つけたのは高校3年の冬頃。そのころの私は体調を崩していて学校にいけない状態でした。そんな何もかも嫌になって自暴自棄になっている私の心の中に、すっと入ってきたのがsoarさんの記事でした。長文の記事にも関わらず、するすると読めたことに驚いたことを今でも覚えています。

「弱さの共有」というのがテーマとして挙がったときに、私自身は発展途上であると感じました。というのは、近しい相手に少しだけ自分の悩みだったり弱さを打ち明けられることが出来つつあること、しかしそれはあくまでも個人レベルの話であって、それが組織化すると私はきっと臆してしまうだろうなということです。(たとえ環境が整っていたとしても)

今回、soarさんの組織文化や心がけをお聞きして、組織のシステムが整っていること以上にメンバー間の信頼関係の重要さを感じました。パーソナルな事柄であっても打ち明けられる、それによってお互いがお互いを気にかけられる雰囲気が生まれる、それによって職場の風通しも良くなる。NPO団体だからこそ実現できることもあるとは思うけれど、もっとこんな職場の環境づくりが広まればいいなと思いました。個人が集団に埋もれてしまうのではなく、一人の人間として価値ある存在として仕事ができる、というのはきっと沢山の努力の上に成り立っていることなんだ。

冒頭の言葉は私が今日の説明会に参加して感じたことです。「困難を抱えている人に暗かったり辛くなるような情報だけでなく、希望やポジティブさを含めた情報提供をする」というのは、時に読者がその記事と比較して自分にはそのような希望がないと悲観してしまうのでは?という議論がありました。でも、その「希望を見いだせない、ポジティブさを受け入れられない」というのもたいせつな自分自身であって、そういうところも受容していくことが回復への一歩なのかなとも感じました。(過去の自分にも言ってあげたい!)記事に書いてあること全部を受け入れられなくとも、「あっ、今の自分はこんな気持ちなんだ」と一旦自分自身から離れてみて、部分部分で拾えるものだけ拾って読むのもきっと良いことだと思います。

海外に行っていたときに、”Be yourself"  "Love yourself" という言葉を耳にする機会が多くて、私の自己肯定感はそこから少しずつ取り戻せている気がします。きっとそれは「弱さの自己開示」とも通じるところがあって、完璧でない自分を愛したり必要な時に誰かを頼りにすることは恥ずかしいことでもなんでもなくて、むしろ誇るべきなんだとことを自戒を込めて書いています。

最後に当事者研究について。普段の日記もSNSも自分が障害当事者だということを書かないのですが、今回はちょっと触れることにします。少し前に同じ車いすユーザーの方と知り合う機会があり、彼とはバックグラウンドは何もかも違って、ただ、同じ車いすユーザーであることとソーシャルワークを勉強していることが共通点でした。それでも色々やり取りをしていく中で感化されるものがあって、今まで自助グループに躊躇いを覚えていた身からすれば大きな発見でした。「障がい者」といえども私は今まで健常者の中で育ち、マイノリティだという劣等感は自分の得意なもので何とか打ち消してきました。結果としていろいろなものから目を背けてきたのだと思います。ただソーシャルワーカーを志す上で、じゃあ私は一生この問題から目をそらし続けるのか、「障がい分野」のことをもっと知り自分のことも知っていった方がいいのでは、という気持ちになりつつあります。前述の友人から説得もされたけど、今はまだAdvocatorになろうとかそんな風にもなれなくて、ただ自分のことを知るという意味で当事者グループに関わるのもアリなのかなとも思ったり。

soarさんが近々当事者研究に関する新たな取り組みを始められるとのことで、とてもわくわくしています。また機会があれば何らかの形で関わることが出来ると嬉しいです。

なんだかとってもパーソナルな内容になってしまったけれど、一読者としてこれからもsoarさんの活動を応援したいと思います!




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