最近モヤモヤが極まって...内観しました
この数ヶ月とっても素敵なことばかり起こり
やりがいもあって充実感も一杯でいたのですが😀✨
一方で悶々とすることも多く
ちょっとしたことにも引っかかるし😅
周りでもおかしなことが起こるし、
これはなんかまずいぞ〜と思い内観ワークへ行ってきました。
この大元はいつから始まっていたのか?と思うと
短く見積もっても多分昨年のあの旅が始まりだったのではないかと...
この数ヶ月のモヤモヤの始まりとは
昨年11月モロッコへ旅をしてきました。
*トドラ渓谷の水を浴びると人生が変わるそうです
そんなトドラ渓谷の水を浴びて日本に帰ってみると、
まるで歌舞伎の舞台がぐるりと回って場面転換したかのように
自分の置かれている状況がガラリと変わっていました💦
それは今まであり得ないような奇跡の出来事やサポートやご縁が💕
それはそれは沢山受け取らせて頂くことが起き感謝で一杯💖
なのですが、一方で
私の周りの方を通して”生きる”ことを考える場面に直面することが、
多数並行して進んでいくようになり…😰
ハッピーとアンハッピー
プラスとマイナス
天と地
白と黒
陽と陰
同時にあまりに多く起きていくような感じです。
天使と悪魔が同時に降りてきて私の両脇に並んで…
私の両腕に掴まり両方で引っ張りあい
やじろべいとなった私は足を踏ん張り倒れないでいるので精一杯。
陰陽合わさって1つの完成形であると言いますが
その一つとなった状態の丸が
今までにないようなスピードで膨らみ
自分の世界が広がっていく。
ということは明るいことが増える一方暗いことも同じだけ増えていく…
自分という存在は、必死に変化に追て行っていると思いたいのだけれど、
一方で取り残されているような感覚が続いている…
(昨年はそれすら感じていなかったのですがね^^; )
目の前で起きていることは自分の心の鏡
ということは自分の中の何がそうさせているのか?
深く自分の中を見ていくけれど”寂しさ”というところで止まり
その先の答えにたどり着けないでいる…
そんな中途半端な状態のまま今月に入り
いつしかちょっとしたことにもイラっとしているのがわかり
最後、19日の誕生日に如実に吹き出て来ました 😅
これはヤバイ気がする (;´д`)
これではいかんと、21日の昨日内観ワークに行ってきました。
鏡のもとの観念を見つける
内観ワークの詳細は割愛しますが、
そこで”寂しさ”の元は
・自分が存在していないような虚しさだったり
・目の前の人を亡くす不安や寂しさだったり
であり全てが
存在
に関係しているのでは?と先生からご指摘を受けました。
確かに、生きることも死ぬことも”存在”があるからこそ!!
ここでいう存在とは自己のことです。
そして自己の存在とは自分を信じる力、
自己信頼
でした。
母親との関係性の中で、
常に上へ上へと求められて育てられたことにより
培った感情が浮き彫りになってきました。
自己価値の受取拒否
もちろん、それをバネにチャレンジできたからこその今があるので
そのものを否定するものではありません。
ですが
自分の奥深い意識に潜み、
時々現れるけれど普段は隠れているその厄介な観念を
もう一段感深いところで手放す時がきたのだと
優しく言っていただきました😊
ただ人は自分自身で居るだけだった
ワークの中では”母からみた娘(自分)”と”新たな娘を通した自己信頼”を感じる役をさせてもらいました。
これにより感じたことは
母とは大きな大木の中に流れる生命力のような、
または
大いなる宇宙にある大きな川の流れの中にある存在
自分がどうこうすることはできない
脈々と古来より受け継いでいくカラクリの中
1点を切り取った時にみえる
1人の”母”という存在
そして”私”という存在
母のできることは
ただ自分自身でいることだけで
そこに良し悪しはない
母は大いなる存在で
ただあり続けるだけ
その母の足元に子供達が遊びまわる
子供達は時に母のその流れに合流したがるけれど、
完全に融合することはできない。
なぜなら子供は子供の流れがあるのだから…
それで良かったのだ
それしかできないのだから
母は傷付けようとも虐めようとしたわけではなかった
どう受け取るかは全て子供の選択なだけだった
そしてその選択は全て自分のために最前の選択であった
ただ双方とも、
ただ自分が自分であるだけで
自分が自分でいるだけで
自分が自分を受け入れるだけだった
と、そんな風に感じることができました。
時に子供の立場としてはわかりやすい愛を欲しがるものですが、
母は母として愛が欠落したわけでも子供をおざなりにしたわけでもなく、
ただただ母はその時できうる最前のことをしていただけであったと…
わかりやすい愛を提供できないこ事実もその子にとって必然であったと…
母は自分という存在を自分らしく自分でいただけであり
そこから見る母の行動に”良い/悪い”は存在していなかった
子供側にも”損得や良し悪し”は存在していないこと
そして、
全ての人が自分が自分でいることしかできないし
それで良いということ
そしてそんな自分こそが価値がある存在であったと…
そんなことを感じて
母は大いなる泉の源
命は大きな宇宙のうねりの中に存在している
小さな存在である
その小さな存在は大きな奇跡的なことなのだと
この奇跡を大切に受取り続けようと
そんなことを感じて
涙が溢れていました。
翌日廻り舞台がまた回転していました
ふーと心の縺れがほぐれていった翌日は
眠りも深かったのか、久しぶりに朝早くそれもスッキリと目覚めました。
そして何もかもがスムーズに流れていきました。
それこそ1日のうちに廻り舞台がくるくると5回転はしていました 笑
友人から誕生日プレゼントに花束を頂いたり、
1ヶ月音信不通の長男が顔を見せに家に寄ったり(生きてた・・・ 笑)
数年来買い換えたかったコートをやっと今年は買えたり
モロッコの先生と電話で色々話せたり etc.
今日は嬉しいことが一杯。
わかりやすいですね^^
私にとってトドラの奇跡というギフトはこれだったのだなぁ〜
と書いていて気付きました🎁
定期的に瞑想や内観で自分を整えることって
大切で気持ちの良いことだなぁ〜と
受け取り直しましたよ😊
これからも自分メンテナンスは欠かさずやっていこうと思います♡
ちなみに内観ワークはこちらに行きました^^
身体にどこまでも良いキャンドルを求めて研究しています。 サポート頂けたら嬉しいです😊❤️