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マイナス99%を楽しみながら、1%を100%にしていく【新庄剛志の生き様まとめ】

こちらの番組をみて、新庄剛志のことを思い出しました!

阪神、日本ハム、メジャーでプレーし、記録より記憶に残る選手としてファンを魅了した新庄剛志(48)。2019年11月、インスタグラムで “現役復帰” を宣言して、世間をザワつかせた新庄。

常に物事を楽しみ、真剣に挑戦する彼の記事をまとめます。


現在は、インドネシアのバリ島に在住。かつて「宇宙人」とも呼ばれた新庄に、前代未聞の挑戦への決意を直撃した。

「2019年に、YouTubeとかインスタで野球を教え始めたんですが、教えるとなると、体を動かすじゃないですか。すると、『相変わらず肩が強いな』って言われるわけ。

 そしたらある日、朝起きて2秒後に、『もう一度プロ野球選手になろう!』って閃いたんです。これまで人生で決断する際は、勘と経験と度胸を大事にしてきましたが、インスタにアップした途端、一気に拡散しちゃって……。もう、やるしかないじゃないですか。

 現役時代から、『人がやっていないことをやりたい』と考えていて、それが(1999年6月、巨人戦の)敬遠球サヨナラ打や、(2004年の)オールスター史上初の単独ホームスチールに繋がった。アラフィフになって、もう一度プロ野球選手を目指すというのも、その延長なんです」

 復帰に向け、率直な気持ちを明かす新庄剛志。だが挑戦に対して、「さすがに無理」「無謀」との批判も少なくない。

「やっぱりアンチがいないと、プロ野球選手になったときの喜びが減るんでね(苦笑)。メジャー挑戦を決めたときも、『日本でたいした成績も残してないくせに、バカじゃないか』とか、いろいろ言われました。

 でも俺は、『もっと言ってくれ』と。メジャーで打席に立ったときは、『ここで打ったら批判していた人は、どんな顔をするんだろう』って思ってね。俺は、どんなことでもポジティブに考えることのできるスペシャリストだから」

 批判をバネにすることこそ、新庄流ポジティブシンキングの真髄だ。だがなぜ、そこまで前向きでいられるのか。

「経験ですよ。何かで落ち込んだとき、ずっと沈んでいてもしょうがないじゃないですか。どんな状況も楽しまないと。もう一度プロ野球選手を目指すと言うと、『話題を作ってカネ儲けか』と叩く人もいる。たしかに、それはあります。

 だって、現役時代に貯めたつもりだった10億円単位のお金を騙し取られたんですから、稼がないとあかんでしょ(笑)。昔は高級マンションに住んで、フェラーリやベントレーに乗って、洋服だって好きなだけ買ってました。

 それが今は、1泊1500円の6畳ひと間のアパートに住み(1カ月住むと月3万円に割引される)、原チャリでショッピングモールに行って、7500円のプーマか9000円のアディダスか、どっちの靴を買うか迷っていますから(笑)。

 でも、こういう生活も、やってみたらおもしろい。俺の人生は、山あり谷ありドブあり。前を向くしかないじゃないですか」

 復帰実現の可能性は、「1%あるかないか」と言いつつ、宣言以来、毎日欠かさずトレーニングをおこなっている。最近は、SNSなどで積極的にファンと交流し、“浦島太郎状態” だった日本のプロ野球の情報も手に入れつつある。復帰に向けて、ここからのプロセスを、どう考えているのか。

「こっちから売り込むし、球団からオファーがあるかもしれない。なければオフのトライアウトに参加するし、やり方はいろいろ。実際に、レギュラーを狙えそうな球団も見つけたしね。

(復帰を果たして)俺が打席に立てれば、1スイングで時代を変えられる。自信? ないと思うのが最大の敵だし、なかったらやってないですよ」

 復帰先は、NPB(セ・パ12球団)に限られるのか。

「それはそうでしょ。もちろん、球団側にもタイミングがあるのはわかってるし、地道に練習を続けて待つしかない。

 俺を獲れば(ファンもメディアもスポンサーも)いっぱい連れていくのに、みんな何を迷ってるんですかね」

実際、メジャーから戻った日本ハム時代には、「新庄劇場」と呼ばれたパフォーマンスで話題をさらい、北海道に移転して間もないチームが、球界きっての人気球団となる立役者になった。復帰後のパフォーマンスも考えているのか。

「俺はいつも、“カンピューター” なので。(2004年9月のストライキ直後に披露した)ゴレンジャーのかぶりものをかぶっての、“ストになっちゃってゴメンジャー” もそう。いまは何も考えてないけど、そのときになったら何か浮かぶはず。やるときは、誰にも言わずに仕込みます!」

*カンピュータとは物事の解決や選択をする場合に、勘に頼って進めていくという方法のことを言う。

 メジャー挑戦前の阪神時代に指導を受けた故野村克也氏とは、水と油のような関係に見えたが、2人は固い師弟関係にあったという。

俺が一方的にグイグイいってたけど、かわいがってもらっていたのは確かです。野村さんが監督に就任した際に、『ミーティングが長すぎるから短くしてください』って言ったんです。

 みんな驚愕してましたが、野村さんは受け入れてくれた。だって、人間の集中力は2時間も保てないですし、学校の授業だって50分間じゃないですか(笑)。その後、野村さんが解説者になったとき、落合(博満)監督が2時間くらい練習させているのを見て、『人間の集中力は50分やぞ』と言ったらしいですよ。

 野村さんはプロ中のプロでしたけど、俺に『何番を打ちたいんや?』って聞いてくれたり、なにより選手をやる気にさせるのがうまかった。プロになる選手は、本来みんな力があるので、監督のいちばんの仕事はそこじゃないですか。


 それだったら俺も断トツでうまいですよ。だから、日ハムで優勝できたわけだし。当時の日ハムって、世間じゃ誰も知らない球団でしたからね。

 俺はもともとまわりの選手を乗せるのがうまいし、野村さんの考え方も知ってるので、最強じゃないですか(笑)」

 日ハム時代には、「若手を買い物に連れ出し、おしゃれさせることで、やる気を引き出した」という逸話もある。「デパートに連れていって、『あれ着ろ、これ着ろ』ってね。お金を出すのは全部俺。おしゃれすると、まわりから見られて自信がついて、それがプレーにも繋がる。見られることに慣れると、試合でも緊張しなくなりますから。

 ダルビッシュ(有)なんかもそう。俺が勧めたサプリを飲んでいて、『ひとまわり大きくなったね』と言うと、またトレーニングを頑張ってましたからね」

 6月15日には、『もう一度、プロ野球選手になる。』(ポプラ社)を発売予定。新著に、どんな思いをこめたのか。


「なぜ、もう一度プロ野球選手を目指すかということも含め、新庄剛志のすべてを晒け出しています。

 俺は小さいころに8回も交通事故に遭って、頭を打ったりしているので字が読めないんです(苦笑)。でもそのぶん、違う才能が芽生えたというか、人と違った発想ができる。トム・クルーズやスピルバーグ、エジソンと一緒。


 以前、テレビ番組に出たときには、美輪明宏さんと江原啓之さんから、『あなたの右手から金粉が出てる!』って言われましたから。ビジネスマンはもちろん、小学生から60歳のお爺ちゃんまで参考になるはずです」

新庄は「少しでも日本を明るくできれば」と強調する。プロ復帰の道は険しいが、この男が本気なことだけは、間違いない--。

新庄剛志 1972年1月28日生まれ 福岡県出身 1989年、ドラフト5位で阪神入団。2001年にニューヨーク・メッツに移籍し、2002年にサンフランシスコ・ジャイアンツでWシリーズ出場。2004年に日本ハムに移籍。2006年の日本シリーズを制し、引退。2010年にインドネシア・バリ島に移住。2019年11月、インスタグラム(@shinjo.freedom)で現役復帰を宣言。インスタライブでも新庄節が炸裂


*そんな新庄さんですが、実は、騙されたことも...


数々の伝説をつくり、“記録より記憶に残る選手”と評された新庄剛志さん。イチローと並び日本人野手として初めてメジャーリーグに挑戦し、その後は北海道日本ハムファイターズに加入。チームを44年ぶりの日本一に導いた。現役を引退してからはバリ島に移住し、自由な生活を謳歌している新庄さんに金銭哲学をインタビュー。

「50億あれば、ビルだって車だってなんでも買える。コンビニでドリンクを買ってきてもらうような感覚で、マネージャーに『ちょっとフェラーリ買いに行ってきて』とか、本当に言ってたから(笑)。うらやましいって思われるかもしれないけど、なんでも手に入る生活だからこそ、つまらなくなっちゃったんだよね」

知人にだまされて25億円が2200万円に……!


現役引退後、インドネシア・バリ島への移住を決め、資金をすべてバリに持って行くために口座を確認し、驚いた。残高はなんと2200万円のみ。プロ入りした頃から金銭管理をすべて任せていた知人のAさんが使い込んでしまっていたのだ。

「俺の感覚だと、税金とかを払っても25億円ぐらいは口座に残っているんじゃないかと思ってたんだけど、Aさんが勝手に会社の資金に使っちゃったらしくて。『返してほしい』と言っても拒否されたんだ。Aさんはいくつもの会社を経営していて、もともと母の知り合いだった人。付き合いも長く、親戚のおじさんのような存在だったから、ショックだったな」

訴訟を起こしたが、Aさんが自己破産したことで裁判は終了。戻ってきたのは8000万円だけだった。

「まかせっきりにしてチェックしていなかったオレの責任でもあるんだよね。Aさんは、『銀行にお金が溢れすぎて青カビが生えていた』って例えていたけど、まさにそのとおり。当時のオレにとっては1億円が1000円ぐらいの感覚だったから。お金に対する感覚がずさんすぎたんだと思う」

しかし、転んでもただでは起きないのが新庄という男。頭を切り替えて、自分で稼ぐためにはどうすればよいのかを必死に考えた。


「ちょうどそのころ、アデランスの広告の話が来て、条件が坊主にすることだった。それまでだったら坊主なんて絶対に考えられなかったけど、そんなのんきなことを言ってられないから、思い切って引き受けたよ」

高校卒業と同時にプロ入りした新庄さんは、仕事もアルバイトも経験がなく、もちろんお金の管理もやったことがなかった。しかし、この事件をきっかけに40代になって初めて自分でお金を管理するようになり、お金の大切さを知ったという。


「バリに移住してからは、年間120万円の家賃を90万円に下げてくれないかって交渉もした。お金があるときは120万円なんてひと晩で使ってた額だから、最初のうちは『何をしてるんだろう、オレ』って思ったこともあったよ。

でも、だんだん交渉したり節約するのが楽しくなってきたんだよね。普段の買い物でも、近くのスーパーの50円の水ではなく、少し遠いスーパーまで20円の水を買いに行く。面倒だけど、普段から工夫を凝らしてコツコツ努力するのって、すごく楽しんだよね。『幸せってこういうことなのか』って感じたな。お金があったら、人を雇えばいいから自分は動かなくていい。でも、それじゃつまらないって初めて気づいたんだ」

欲しいものは現役時代にさんざん買い求めたので、今では物欲もない。むしろ物価の安いバリでの生活が人間的で楽しいという。知人にだまされた苦い経験から、金銭の管理はもちろん、テレビ出演の企画内容なども自ら積極的に動いている。


お金にしろマイルにしろ、目的もなくただ貯めておくだけでは有効に活用できているとは言い難い。新庄さんは「お金は使わないと入ってこない」という哲学を持っているそうだ。

「ただし、使い方を考えることは重要。オレは現役時代、テレビ出演のときの服や時計もすべて自腹で買って数百万円するものを身につけてたの。すると、いろいろなブランドから声がかかってスポンサー契約の話が来たり、ベストドレッサー賞をもらったりもしたんだよね。だから、プラスになるような使い方って必ずあるはずなんだ。投資も同じで、貯金と違ってリスクはゼロじゃないかもしれないけれど、自分の経験値を高めるという点では有効な“使い方”なんじゃないかな」

これからも一生夢を見続けながら笑顔を忘れずに生きていきたいという新庄さん。「もし監督のオファーが来たら、これまでの日本野球界の常識を覆すような監督になりたい」と白い歯を見せて笑う。

メジャーへの挑戦をはじめ、これまでのオレの人生ってなにかと『新庄だからできたんだ』ってよく言われるんだけど、誰だって人より優れているものが何かしらあるはずなんだ。でも、たいていの人が頭で考えているだけで行動しないでしょ? オレが成功できたのは、実際に行動したから。まさに今もオレの野球の経験を野球を愛するみんなに還元するために『日本全国どこでも行って新庄が野球を教えます!』って企画を秋には実現する準備をしてるところなんだ。「新庄に野球を教えてほしい!」って人はぜひ楽しみに待っていてほしいな。野球も、きっと投資も同じだと思うけど、初心者の時から興味を持ってやり方を学ぶことが大切だからね。まわりにバカにされようが、自分を信じてトライしていれば必ず道は開けると思うんだよね」


新庄さんの記事を紹介させていただきました。

いかがでしたか?

彼がもう一度、日本を盛り上げてくれることに、期待しています!

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