見出し画像

【RHODA】窪田望氏・丹原健翔氏の二人展にふらりと行ってみた

日比谷線の広尾駅に初めて降り立ち、会場へ向かう。
窪田望氏・丹原健翔氏の二人展【RHODA】の設営のお手伝いとオープニングパーティーに参加するために。

広尾駅から会場へ向かう道

日焼け止めをぶち抜いてくる日差しを遮る木陰を歩いていると、上空に飛行機の音。

西麻布の上空を飛行機が飛ぶ。
羽田空港の離着陸の空路は、風向きによって変わる。

会場のコートヤードHIROO

快晴で心地よい南風を感じながら歩くと、文字通りの閑静な住宅街に溶け込んでいるコートヤードHIROOに到着した。

まずは設営のお手伝い。
設営のお手伝いについては、こちらの記事をご覧ください。

窪田さんにも読んでもらいました!
ありがとうございます!!!

窪田さんから、「作品の感想が無いぞ!」とお叱りを受けちゃいましたので、
恐れ多いですが、作品をみた率直な感想を書いてみます!
作品のコンセプトは、割愛します。

Self-Confessed Critic

会場に入ると、最初に目にする窪田さんと丹原さんの共同制作されたもの。
個展会場で、生成AIが美術批評の文字を生成し続け、白い紙に書き続けられる作品。

美術批評そのものに、意味があるのかという問いを投げかけていると感じた。
作品がなくても、生成AIが意味を理解せぬまま、批評の文字を書き出していく。
作品を見た美術批評家が行う批評と何が違うのだろうか。
誰しもがAIを利用できるようになったこの時代で、自分の感情や言葉なのか、AIが生み出した言葉なのか曖昧になり得る、美術批評とはなんなのだろうか。

ペンプロッターで文字を書き出す動作を眺めると、アルファベット一文字を何筆かをかけて書き出す。
一文字一文字を時間をかけて書き出す姿と上記の2つの問いを感じた作品であった。
文字を書き出す機械音は、焚き火をずっと見ていられるように、ずっと聞いていられる音。

Massive ugly hands
Massive ugly hands

階段の登り始めと登り終わりに、2枚の絵を目にする。
AIで画像作成するときに、「手」に違和感が残ると聞く。
この違和感にフォーカスを当てた作品。
「違和感」とは、あくまでも親指から小指まで5本の指があることを本来の手であるという無意識の考えがあるから生まれてくるものなのだろうと気付かされる。
生まれてきたときから、手に障害を抱えている人たちもいるなかで、この「違和感」にAIが忠告しているのかもしれない。

革命の夢

2階には、映像・文字・音声(日本語・英語)の作品がある。
2つの超指向性スピーカーから、1つは日本語、1つは英語でフランス人権宣言が読み上げられた音が聞こえる。
場所によっては、英語が、
場所によっては、日本語が、
まるで耳元で囁かれているかのようだ。
初めて聞いたときには、全身が身震いするような感覚だった。

窪田さんは、人とAIの境界線を曖昧にする作品を作られていると、理解している。
この作品もまさに、AIが読み上げた音を耳元で囁かれているが、まるで人に囁かれているかのように感じることができ、窪田さんが作る曖昧の世界で溺れているような印象であった。

以上が、私なりの感じたことを、なんとか言語化してみました。
一言であらわすと、めっちゃ楽しかった!
6月30日(日)まで開催されているので、ぜひ足を運んで、体感してみてください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?