日本の指導者は持つ権限が多すぎるのが問題の根底かと…

照ノ富士関の劇的な優勝の裏側で残念ながら親方に加えおかみさんの不祥事が…。

そして、日大ラグビー部元コーチの暴行とこれでもかと指導者の問題が出て来る。日大は「スポーツ日大」と広告をうっていてこの有様とはお笑いですね。

しかし、何故にスポーツ界の指導者による暴力や体罰といった不祥事が出続けるのか?私は以下2つの日本の文化的背景があると考察する。

1. 日本は指導者の持つ権限が多過ぎる

2. 日本における指導の多くが「成功体験」に基づいているから

今回は1.について…

日本におけるスポーツ指導と選手の関係は学校の部活動がベースになっており、大多数の人間が部活動を経験しているだろう。

「◯◯校の△△先生に預けることにした」
「◯◯先生に託して甲子園を目指す」

なんて言葉を耳にした経験がある方もいらっしゃるかもしれない。

私的には自分の人生を誰かの頼りにするなんて恐ろしいのだが…。

崇拝の如く指導を受けることによって選手と親御さんが望んでいるもの。それは競技力向上だけという方は圧倒的少数だろう。

競技者としての実績、それにおける次の進路(大学やプロ、就職に実業団etc)。

学校の部活動の指導者が教員ならば、部活動の技術指導から試合に出場する選手の選定、そして通信簿の数字を付けて進路指導まで出来る。

日本の指導者には選手の人生を掌握出来る者が少なくないのである。選手の人生を掌握出来れば、勘違いする指導者が出ても不思議ではない。
(私は教員に「俺に逆らったらどうなるかわかって学校に来ているのか?」と言われたことがある。)

もし指導者は体罰や暴力に走っても、それを将来の進路のために我慢する選手と親御さんがいて当然だろう。

この構図が日本のスポーツ指導の現状であり根底にあるから、ステージが部活だろうがプロであろうと

『指導者=偉くて絶対に逆らえない者』

となってしまう。

意識改善やコンプライアンス等の研修を義務付けても無意味だろう。

日本の部活と教育制度を抜本的な改革が必要である。現状の部活制度を一度解体しても良いとも私は考えている。

日本の新聞社やテレビ局には部活動の全国大会で儲けている会社もある。よって、部活動が解体されたら彼らは利権を失うからこぞって反対運動を繰り広げるだろうな…。

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