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銀幕の遠景:「銀行強盗」の肌感覚

昨日、銀座で高級時計店に強盗が入った、というニュースがあって、それを聞いて、こんなことをつぶやいていました(※日常のつぶやきなので、映画アカウント @CrushOnCinemaLL の方ではないアカウントの方でつぶやいてました)。

改めて見直して「銀行強盗の肌感覚」という言葉が我ながら面白かったので、少し加筆してみたいと思います。

銀行強盗の出てくる映画

つぶやきにも書いている通り、アメリカの映画では、現代を舞台にしているものであっても割とカジュアルに「銀行強盗」が登場します。パッと思いつく中でもやはり飛び抜けて有名なのは『ダークナイト』のオープニングでしょうか。

このシーンは、「掴み」としても完璧な上に、ジョーカーというキャラクターの「輪郭」を達人の一筆書きのように一気に描き出して提示するとともに、ウィリアム・フィクナー演じる銀行側のマネージャーがゴッサムシティという背景世界の「一筋縄では行かない、ただならなさ」をこってりと塗り重ねています。

名前も出ないようなチョイ役(役名: Bank Manager)にしてはオーラがありすぎるウィリアム・フィクナー

最近だと、マイケル・ベイ監督の『アンビュランス』で、ジェイク・ギレンホールが主人公である「プロの銀行強盗」ダニー・シャープを演じていました。

キレッキレのドローン撮影とキレッキレのジェイク・ギレンホールのキレ芸が見どころです

実際のところ、「銀行強盗の出てくる映画」というのは枚挙にいとまがなく、傑作・名作だけ絞っていっても『俺たちに明日はない』『狼たちの午後』『ヒート』『ザ・タウン』などなど延々と語っていけるわけですが、とりあえず「銀行強盗」(もしくは西部開拓時代の「列車強盗」も含めた「直接略奪型犯罪」)がアメリカ映画においてどれだけポピュラーなモチーフであるかというところは、論を俟たないところではないかと思います。

アメリカにおける「銀行強盗」の感覚

前述のつぶやきにも書いていますが、アメリカでは現在でも、かなりの数の銀行強盗が発生しています。改めて最新の情報を確認したところ、2021年の数字は1964件でした。なおつぶやきでは「2020年に2000件以上」と書いていますが、これは正しくは2020年に発表された、2019年の統計情報(2440件)でした。お詫びして訂正いたします。(2020年は1788件だそうです。)真偽までは確認していませんが、「1992年、LAでは銀行の営業時間45分ごとに銀行強盗が発生した」なんてことを言ってる記事もありました。

この「銀行強盗の多さ」というのは、「どれだけ銀行強盗が身近なものであるか」という点で、映画を観る上でも少しポイントになってくるところです。日本人である自分には「いや、どんなに金に困ったにせよ、よりによって銀行には強盗しかけないだろ」という肌感覚があるわけですが、アメリカの映画で描かれる「銀行強盗」はそういう感覚の延長線上にはないわけです。行くんですよ、人々は銀行に。

こうした感覚の違いはアメリカの映画を観ているとちょくちょくぶつかるもので、他にも結構頻繁に出てくるポイントとして「1000ドルの重み」というのもあります。「1000ドルって14万円くらい? 15万だとしてもそのためにそこまでする?」みたいな。こういう日常の中での「一般常識」とか「相場感」とか「肌感覚」の違いというのは、別に映画を楽しむ上で大きな障害というわけではないんですが、意識しておくと、作品がよりスムーズに吸収できる、という側面はある気がします。

アメリカにおける「銀行強盗の管轄」 〜 We Take It From Here 〜

ところで今回、話をしている銀行強盗に関するこの統計情報なんですが、これはFBIが公式サイトで発表しているものだったりします。

「銀行強盗の統計情報をFBIが?」という感はあるんですが、これは、アメリカでは基本的に、「銀行強盗はFBIの管轄」であり、「銀行強盗」は州を跨ぐかどうかにかかわらず「連邦犯罪」として扱われているためです。

FBIと地元警察の「管轄」に関するいざこざなどというのも、アメリカ映画では頻繁に目にするところですが、こと「銀行強盗」については、犯罪が単独で行われ、一つの州内で完結している場合でもFBIが出張ってくることになっているのは、1934年制定の「銀行強盗法(Bank Robbery Act)」が主な根拠になっています。(以下、原本の写しが閲覧できます。)

この原文を読んでも明確に「銀行強盗はFBIが管轄する」と書いてあるわけではないんですが、銀行というものの組織自体が「連邦準備制度(Federal Reserve System)」や「連邦預金保険公社(FDIC)」といった連邦レベルの組織構造の一端であるため、銀行に対する攻撃は連邦政府に対する攻撃と見做しうること、銀行自体が州ローカルな組織であっても現実上、すべての銀行の資金の流れは州の外にも及んでいることなどから、実効上はFBI管轄ということで処理されることになっているようです。

さらに「現実の事情」としては、この「銀行強盗法」の成立時の社会背景というものもあって、1930年代前半というのは、「大恐慌」や「禁酒法」などでアメリカ社会がある種の混迷を極めていた時代で、銀行強盗などの犯罪が増加し、さらにマスメディアによる報道がセンセーショナルな方向に傾いて、それこそ映画『俺たちに明日はない』で描かれているように「ボニーとクライド」などの「有名強盗」が華々しく世間を賑わせるようなことになっていた時代でした。

『俺たちに明日はない』のボニーとクライド

ただでさえ犯罪が増加し、社会が不安定になって司法機関のリソースが逼迫しているところに、銀行強盗があたかもヒーローのようにもてはやされるようになっていた、そんな状況を当時の司法省捜査局長官(翌年1935年に「連邦捜査局=FBI」に改組)だったジョン・エドガー・フーヴァーが見過ごすわけはなく、この銀行強盗法そのものに彼がどれだけ関わったかは不明ですが、ある意味、この法律も、フーヴァーによる怒涛のFBIの権限拡張の一環、と見るのも、あながち穿った見方ではないかもしれません。

ちなみにこのジョン・エドガー・フーヴァーは、クリント・イーストウッド監督の『J・エドガー』レオナルド・ディカプリオが演じていたりしますが、とにかく逸話に事欠かないというか凄まじい人物で、こういう「存在のボリュームが大きすぎる個人」があちらこちらに登場してくるのがアメリカという社会の面白いところだという気もします。

いつでも全力で演技しているディカプリオ

米国社会の鏡としての銀行強盗

基本的に銀行強盗は社会の不安定化、景気の低迷とともに増加する傾向があったようで、New York Postの記事にあるこちらのグラフでも、2000年代中頃までは概ね、景気の変動とともに件数が増減している様子が何となく窺えます。

アメリカの銀行強盗の年別発生件数

特に1980年代の中頃からの好景気の後、1990年初頭の「S&L危機」やイラクによるクウェート侵攻に伴う原油価格の上昇などで経済に急ブレーキがかかったタイミングでの銀行強盗の増加と、その後の景気の急激な改善に伴う件数減少は顕著ですが、映画と絡めた話の中では、その減少が激しかったタイミングで『ヒート』が制作されている、というのはひとつの注目点である気はします。

この作品はロバート・デ・ニーロ演じる犯罪のプロフェッショナル、ニール・マッコーリーと、アル・パチーノ演じる警官ヴィンセント・ハンナが主人公ですが、この作品の元となった現実の犯罪者ニール・マッコーリーが1960年代の人物であったところを、この作品は制作当時の「現代」を舞台にしています(ついでに、場所もシカゴからLAに移しています)。つまり、ある意味で「わざわざ」銀行強盗が減ってきているタイミングに、昔気質の犯罪者をフィーチャーした構造になっているわけです。

1990年代中頃からの銀行強盗の減少には、景気の回復だけではなく、「犯罪の流行の移り変わり」という側面もあります。金融犯罪、薬物取引、ネット上の各種詐欺など、よりリスクが少なく見返りの大きい犯罪が人を引き寄せるようになり、銀行強盗のようなクラシックな犯罪が「不人気」になりつつある時代を、主人公であるニール・マッコーリーを描く「背景」に選んでいるのは、単に現代を舞台にした方が撮影がしやすいとかそういう理由だけではないのではないか、という気もします。

思えば『俺たちに明日はない』のボニーとクライドや、『明日に向かって撃て』のブッチ・キャシディとサンダンス・キッドにも「移り変わる時代に対する抵抗」「新しい社会に居場所のない個人による反抗」みたいな側面があり、そうした系譜というか、血脈のようなものが『ヒート』にも少しだけ取り入れられているのかもしれません。

そもそも「銀行強盗」というのは、「自分のものを他人に預ける」という、貨幣経済社会における超巨大な「約束事」に対する叛逆なわけで、社会であれ時代であれ、そうした「個人」を超越した大きなものに刃向かう、というある種の「聖性」を付与するのに相性のいい依代であるのかもしれません。

ちなみに、『ヒート』はプロの犯罪者の話ですが、真偽は定かではないものの、アメリカの銀行強盗は初犯率が高いという話もあります。要するに、逮捕歴のない「素人」が「銀行強盗」をやらかして捕まるケースが多い、と。

これが本当だとすると、その背景には、困窮のあまりに突発的かつ即物的な犯行に及ぶケースが多いのか、とか、そういう刹那的な判断を下してしまう人々が生み出されている社会の実態とか、あるいは映画を含めフィクションの世界で描かれ続けている「銀行強盗」というアイコンがそれを後押ししていないか、とか、さらにまたいろんなテーマが出てきますが、そのあたりは今後改めて考えていきたいところです。

おわりに

今回はとりあえず「銀行強盗」というテーマについて、アメリカの映画を鑑賞するにあたっての視点や足場になるかもしれない話を少し取り上げてみました。

映画というものは数時間だけ、自分の現実とは切り離された別の現実を舞台として体験するものなので、観る側も自ずと心構えとして「別世界」に飛び込むような感覚は持って臨むものですが、それを単純な「別のお約束への飛躍」として「ああ、アメリカね、うん、銀行強盗するのね」とただ受け入れてしまうのではなく、「アメリカの銀行強盗」というものが、どういう「もの」なのかを自分なりに認識した上で臨むと、また少し違う鑑賞体験が得られるかもしれません。

そういう意味で、また他にも、そういう映画の中の登場人物や出来事、テーマやモチーフについて、スクリーンに映る背景のさらに向こうの最遠景について、これからもまたご紹介していけたらと思っています。


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