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「ハンサム病」闘病録

わたしはせっかちです。

それからハンサムでいたがりです。

このふたつを抱きしめて生きていると、おのずと「めんどう(そう)な作業はとりあえず自分が引き受ける病」「自分でやった方が速い病」にかかるわけです。

「どうする〜?」「誰やる〜?」の時間を待っていられない。「さすがはーこだわ!」の言葉が欲しくてたまらない。

そんなこんなで、わりとずっと何かの重要なパートを「わたしやるよ〜!」と担当しては、内側でどれだけテンパってようと外ヅラはなんでもそつなくこなす完璧ハンサム人間を保ってきたつもりです。

水面下の努力は見せないで、どんな時も臆せず、うろたえず、背筋をしゃんと伸ばして、さらりと難題を解決する白鳥みたいなハンサムガールになりたくって。

でもね、最近気づいたことがふたつあるんです。

まずは「人に頼るのって、結構イイ」。

「自分がかっこよくなれる分野・場面」をわたしが知っているように、周りのみんなにもそれぞれの必殺技があるんだな〜と、もろもろチームワークをやってみて思いました。むしろその方が速く、しかもうまくコトが進んだりする。

ついつい「ハンサムでいなきゃ」「完璧でいなきゃ」「先回りしてみんなの負担を減らさなきゃ」なんて呪いを自分にかけて、ひとりでなんとかしようとしてしまうけれど……

チームメンバーの必殺技を見極めて、必要なときに必要な人に頼って、目指していたゴールにみんなでたどり着くのも、それはそれでハンサムなんじゃないかと思うんです。

わたしとみんなとのコミュニケーションのとり方が正解だった証拠になるから。

次に気付いたのは「いついつでもハンサムでいなくてもいい」ということでした。

ハンサム病末期の頃は、親友相手にも気を張ったりして、素の自分が迷子になったり、勝手に疲れたりしていたのですけれど、ふと顔を上げてみると

だっさいところも、ぶーたれてるところも、ぐしゃぐしゃに泣いてるところも、愛してくれる人たちに恵まれておりまして。

あぁ、こんな顔を見せても大丈夫なんだ。かっこよくなくても、そばにいてくれるんだ。

と実感して、どうしようもなくホッとしたものです。大切な人たちが愛してくれるのに、自分で愛せないのは寂しいわいなあ。

てなわけで今年の抱負は「人にうまく頼って、ハンサムじゃない自分を愛する余白を作ってやる」になりそうです。

「ハンサム病」の諸君、手始めに練習を。サン、ハイッ

「これ手伝ってくれたらうれしい〜!」

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