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私が厳しい人を好きな理由

などを書いてみようかと思いました。
まぁ短絡的に言ってしまえば「マゾなんで~」とか「罰が愛みたいな環境で歪んだんで~」とか色々略せますが、今回はきちんと書こうかなぁと。

甘やかしてくれないからです。

別に、褒められても伸びるタイプですが、私はどちらかというと厳しくされて伸びるタイプです。
だからマゾなんです付属品です。

今まで日記に書いてきた通り、クズのオンパレードな人生である傍ら、同じ重さで恵まれていました。
みんな『可哀想』しか言わないから後者の存在を知るに至れないんだけど、半々なんですよ。
そこには優しさもありましたが、多くは

自分の価値観を破壊する出来事。
自分の弱さを叱る優しさ。
甘やかしではない、厳しさがたくさんあったんです。
ひとつ挙げましょうか。

高校の時に、全校集会がありました。
その時、私はベランダに居たので、「そろそろ行く時間だよー」と私に声を掛けに来た友達を

何故でしょうね、猛烈に怖いと思いました。

まあ小中高で虐められてますから、フレネミー(死語)も居たことあるんですよ。
フレネミー(フレンド・エネミー)になれるような性格の子ではなかったんですけど、信じられなかった。
1人だけ、余計な子が混ざってたので。
脱線するので割愛します。

で、怖かったので反射的に逃げようとして、靭帯を損傷しました。あほやね。
その時点では「転けたから痛いのだろう」と思って全校集会に行きましたが、私の様子がおかしいのに気付いたクラスメイトの勧めで、教師とかが揃ってる後ろへ回りました。
保健室登校とかの、学校に馴染めない子とかがいる場所ですね。
保健室登校組の知り合いの先輩が「どしたん?」と聞いてきたので、ちょっと足捻って。みたいな。

しかし、捻挫ではありません。
靭帯損傷です。
次第に立てなくなります。
校長の長いお話が終わるまでもつわけがなく、先輩に無理やり担がれて()、保健室のベッドまで連れて行かされました。

怒られました。そりゃそうだな。
痛いなら我慢せずに痛いって言うの!
そりゃそうだな。
翌日から松葉杖登校になり、友達も唖然です。
大変だったな何とは言わないけど。

その先輩がしたように、心配するし、無理して欲しくないから、叱る。これは優しさです。
八つ当たりしてる大の大人は無視して差し上げましたが、怒鳴ると叱るは違いますよね。
今の子どっちも耐性がないから鬱陶しいけど

その人のために叱る。
だから私は厳しさというものは好きです。
一番身近だったの親父なんですが、話が9月から止まってて進まないのもすごくない。認知症なったのか?だから早くしろって言ったのに

昔話をしましょう。
私世代ならTOIのスパーダ、メルスト民ならグレア、まあいわゆる筋の通ったヤンキー。
私の素の口調はそうなります。法螺じゃないよ。
ヤキ入れるとか言うよ。()

一人称も男。
仕方ないね男が育てたんだから男勝りの口調性格なるよね。周りにヤンキー居なかったけどね()
当時はそれでは社会人として通用しなかった。
それこそ「飲み会のお酌は新人社員がやる」みたいな時代です。
女言葉を喋らない、座り方もヤンキー()、もう当時の女性像的には頭が痛い女児です。
なので、全部直されました。全部です

私が「俺」と言う度に「私。復唱。」と言わされました。これが一番多かったかなぁ。兄貴の一人称が両方俺ですから、自動的に私も一人称が俺になるんですよね。
座り方は正座を推奨されたため、体育の時間に見学を選んだ時は大体正座してましたね。「(50分もそれで)痺れない??」と聞かれましたが、痺れない座り方で育てられてます。

幼少期は兄弟喧嘩などもしましたので「るっせェな、文句あんのかコラァ!!」みたいなとこにも指示が入る。「異論があるならそう仰ってください、分かりません。復唱。」
どんな英才教育かなぁ。

特に厳しかったのは、視覚障害の兄の箸の使い方ですかね。本人も辟易したとか言ってた。
片目がないというのは、片方が見えないだけではありません。遠近感がないのです
私もやりましたが、豆を摘めるようになりなさい、米粒を残さないように綺麗に食べなさい。
兄はまあ多少汚くても許してやりなさいでしたが、魚の食べ方だけは妥協されず苦労したそうです。
今や「目が見えてないとかマジ?」みたいな魚の食い方ができます。

親父がそこまで厳しくしてきたのは、社会人になって恥をかかないため。
欠陥があれば大人でもイジメをする時代ですから、それをひとつずつ潰していたと言えます。

あとはニゴKAITOがよく当てはまりますが
人をよく見ているから厳しい

それがお前のやりたい事か。
自分を踏みにじろうとするな。

向き合いたくなくても、向き合え。

人って。
嫌なものの先にしか、望みがないこと、よくありますよね。裸足で歩いて、地面は茨だらけで、血塗れになりながら行かないといけない。
最近の子はそれを嫌がるよね。

でも、その先にしか望みがないなら。
行くしかない。
止まりながらでも、膝を折りながらでも。

『きちんと見ろ。目を逸らすな。歩いて行け』
ニゴKAITOの辛辣さはそんな感じです。
そこが~好き~ばた。

厳しさという優しさを持っている。
優しくしてるつもりは皆無だろうけどね。
強いて言うなら…
『大事なものから目を背けるな』ですか。
見たくない、知りたくないとよそ見をする現代っ子を見たら、さぞかしイライラしてるニゴKAITOが見れるんだろうな~。
すぐ逃げるもんな。直視しないし。

厳しい人、好きですよ。
大事なことを大事にできるということだから。

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