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♪叶えたい夢になんて名前をつけようか

色々と整頓してみて
・仲直りは十中八九無理。
・ただ宙ぶらりんはなんか嫌。
・相手の意思を確認できていない。
・あちらが決別を取ろうがなんだろうが、言いたい事は言ってしまった方がいい。
・そこに許しはあっていいし、嫌いも同時に存在していい。
・私がスタンスを変える必要はない。
・しらばっくれてる奴は痛い目を見るくらいでちょうどいい。(一応法に抵触してるため、法で引っ叩くことはできる)

までは洗い出せたかな。
あとは捨て方ですね。やれ疲れる。
最近キッズと言うかピーターパンシンドロームというか、幼児から成長してない大人多過ぎんか。
もう少し人間らしくなれよ猿じゃん

私はこの、矛盾した2つの感情(「許したい」「許せない」)を、どちらも許すことにした。
仕方ない、片方を捨てると自分らしさが消えてしまうなら。
ていうかこの書き方するとhereみたいですね。

もらったものは捨てます。
もう必要ないから。

ただ、あちらが軽率な発言をしたことは
譲らずいます。あちらが悪いのだから。

甘い蜜だけが欲しい、だから謝らない。
社会人として恥ずかしい振る舞いを自覚しない。
憐れみます。
別に同情()は侮辱ではないですからね。

私は相手より長生きしている分際です。
温室育ちのおひいさまでも、
聖女でもなければ聖人でもないです。
でも、修道女程度の慈愛は離せない。

怒りや、侮蔑などはするべきではない。
それは、大人として恥ずかしい。
しかし、幼い成人を叱ることはした方がいい。
それを相手が受け入れなくても、
叱るという行為は愛があるものでもあるはずです。

子どもが火遊びをしていたらキツく叱る。
やんわり叱ってもやるから、二度とやらないように叱るのです。燃えますからね。
家でしょうか?大切なものでしょうか?資産でしょうか?自分でしょうか?
────大事な人でしょうか?

失くしてからでは遅いのです。
火が燃え移らないために、怖いと泣かれてでも、言い聞かせないといけない場面はある。
それでもヤダヤダするなら失えばいいでしょう。責任は持ちません、親じゃないし。そもそも『成人』なのですから。自己責任。

見苦しいことをして失くしていくということを
逃した魚は大きいということを
よく理解すると良いでしょう。

酷いと言われても、これが私の最大限の愛。
これ以上は、もう、あげられません。
疲れてしまったから。



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