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悲しみと怒りは親しい感情だと思う

と、青オケ見ながら思ってました。
糸目釣り目毒舌打楽器先輩はさっさと好きになりました(※厳しいから)

コンクールの話のところを見ていて

阿久井真『青のオーケストラ』小学館

自分が今、家出娘なんだよなぁということが、ふと過りました。
なんでかな?悲しいとは思ったけどな……と思って考えていたら、悲しみと怒りはとても近い感情なのを思い出しました。

前にカウンセラーさんにも言いましたが
ひとは、ひとつの事象に対してでも、複数の感情を持ちます。これは普通なことです。
根っこが同じで別の感情を複数抱くこともあります。
それを理解してる人は少ないみたいだけど。

であるならば、この違和感は取っ掛かりなのだ。
悲しみが怒りと近いなら。
そういえば私は3回+αほど親に裏切られました。

この漫画がコンクールの回で描いているのは『怒りを超えた憎しみ』。
憎しみまで行ったかといわれるとそこまでではないけれど
糸目先輩が自分を許せないと思ったように
口無しの他人が嫌いだと毒を吐くように
それは私も感性が同じ

綺麗事を並べる。
協調性という言い訳の無言。
主張を是としない現代社会。
波風立てないための『自分のためだけの』笑顔の仮面。
無言という喧しさ。
自分のためだけの自己主張だけを繰り返す残念さ。

そういったものには、イライラします

ああ、これが怒り。
誰かがしてくれると丸投げしながら、なんで相談してくれないのと綺麗事を宣い、主張すれば鬱陶しがる。
なんて残念な現実。

なんて無情で愛のない世界

期待することを諦めるのは、何も失望だけではないのですね。
いや怒りから来る失望といわれたら否定しないけど。
見るに堪えない。
我慢ならない。
泣いてる子どもがいても無視していい世界。
それが許されてる社会。
虫唾が走る。

その『泣いてる子ども側』になってしまった私を
誰もが簡単に見捨てた
綺麗事ばかり並べて口は石のように堅く。
笑顔は仮面のように薄っぺらく。
鬱陶しがって手を振りほどいた友人へのこの感情も。

自覚してはいけないと目を隠してきた
理解してはならないと蓋をしてきた
怒り。

でも今はなんでだか、すとーんとしています。
怒りだったのかぁ。みたいな。
再燃しないとは言わないですけど。
怒りは憎しみや恨みに育っていくから
どこかで心がセーブしてる

私は怒りを理解しても怒れない
無様なこと……

それとも、もう
怒りを感じるほどの心が
欠片も残っていないのだろうか。

だってさ
みんな黙るじゃん
祈るしかできないから?
事実的に何ができるでもないから?
その主体性のなさに辟易する

東日本大震災の時にどれだけの人が救助のボランティアに行きました?
うちの大学にも要請が出ました。
高校の無人島研修は擬似災害時訓練、私にはやる理由もありましたし下地もあったけど
他の人は?何人行きました?何しました?

指示を待つだけ。
祈るだけ。
何も出来ないから。
募金もしない。
ボランティアなんてするわけもない。

そんな人の祈りなんて要らないよ

おにぎり握るだけの女性。
子どもの不安を和らげるために元気づける若者。
とりあえず撤去作業ならできると黙々と片付ける男性。
取り柄は無いけど配るだけでもと動き回る少女。
どれだけの人が自主的に奉仕活動した

消極的な社会に、イライラします。
綺麗事しか言ってくれない親と喧嘩もできなくてイライラします。

前に進めないまま
イライラするだけの自分にイライラします。

わたしこんなに怒りを持っていたんだなぁ。
燻るどころか燃え盛ってるのに気付かなかった。
だって無駄だもんね誰もが順風満帆我関せずなんだもの。馬鹿みたいだ

ほんと馬鹿みたいだ
だから人間なんて嫌いなんだ

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