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精神障害と共に生きるということ

タイトルが仰々しいな。すみません。
私事なんでこうなっちゃうのかな。

改めて自己紹介
精神障害2級、障害年金を頂かないといけないような重篤な状態です。
希死念慮いつものこと、破壊衝動いつものこと。
医師からも「今は働かない方が」と止められてるけど、自分では分からず、ただ知識として『今の自分には無理だ』という証拠になる症状を抱えて、痛みの取れない毎日が常に億劫で憂鬱です。

ただまぁ……病んだのが9歳だから。たぶん。
最初に自殺しようとしたのは9歳で間違ってないんですよ。間違ってても8歳かもくらい(誤差)
今33なんで、まぁ24年もよく生き長らえてしまいましたこと……って感じですが。
ちなみに鬱になった私が唱えてきたのは「嫌なことしてきた奴は100年後には必ず死ぬ」と「天将降大任於是人也、必先苦其心志、労其筋骨、飢其体膚、空乏其身、行仏乱其所為。(天は大任を命ずるとき、その心と体、ありとあらゆる苦痛を与えて、その者を試す。(意訳))」です。
他にもあるけど割愛。

さて本題ですが
なんでこんな題材を書こうとしたのみたいな。
精神障害って、ある意味トランスジェンダーと似てるんですよね。自分が書いた作品みたいだ。

自分の中にある矛盾を、どうしていくのか
それが精神障害者というものではないかなと。

叶わない理想だったり。
直視したくない裏切られた事実だったり。
精神障害にも色々ありますけど。
みんな『傷付いて』いて、それを『どう決着つけるか悩んでる』のは、共通じゃないかなと
ふいと思ったんです。

腑に落ちる答え。
納得できる思想。
たまには他人に全意見を依存してるのも居ますけど。
私たち、精神障害者が求めているのは
『自分が納得できる、腑に落ちる、それでいいと思えるもので、悩みに決着をつける』ことなんじゃないかなと。
思ったんです。ふわっと。ふわっとな。(2回目)

何が正しいのか分からないとか
誰かに答えを決めて欲しいとか
なんか色々いますけど
言い換えればそれは
「そうだ、それだ」と思える正しさを
「そうしてもいいんだ」と許されたい、もう決まりきった答えだったりを
求めているとも言える。

生き様を貫けない苦しさであったり
生き方が分からない迷いであったり
これもたくさんあるけど
精神障害者本人として思うのはやっぱり
「答えは自分が持ってる」ですね。

見たくない。
灯台下暗しで見えない。
きちんと確認したいから、他人っていう鏡が欲しい。
そこは変わらないのかなって。
いきなり不安になったり悲しくなったり泣いたりしますけどね。
そこはもう少し哲学していきますよ、せっかく病んだんだから。病んだ人間として考えて、言葉にして、発信しますよ。
じゃなきゃ日本医療進まないじゃない。

私たちは、悩みます。
生き様を。生き方を。悩みを。どうすればいいか分からない。
悩みを。つらさを。苦しさを。どう決着つければいいかわからない。
腑に落ちる答えがなくて、納得できないレールに乗せられることを嫌だと思う。
日本医療はまだ、トロッコゲームのままです

私たちらしい生き方がわからないの。
わかるようになりたいの。
自暴自棄にもよくなるけど
他人に操られた答えで進んでいきたくないの。

大切なことは、いつも心で決める。
精神障害(なやみ)と共に、生きていく。

BGMにでもどぞ。


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