見出し画像

変われない父娘

まいにち
ぽつんとしている
気分は華原朋美

友達は月1で来てくれるけど、残りの30日はひとりぽっち。
誰もいない伽藍堂の棺桶のような部屋にいる。
その感覚が今は懐かしい。高齢者施設で働いてる時に「たった30分の援助」を何よりも大切にしていた。
誰も来ない部屋の退屈さを。
1人で息をする虚しさを。
少しでも塗り潰せるように。

でもここには誰も来ない。
誰も私を気にしない。
そんな時代ではなくなったから。
そもそも


父はもう変われない。しってる。
70過ぎてんだもんよ。しかもカチコチの昭和育ちな上に、分かりにくくて頑固な察してちゃんです。
年齢抜きにしても無理なんだよな。

じゃあ私が変わればいいのでは、もしくは縁を切ってしまえばいいのでは、そのくらいしか選択肢は無いですね。
残念なことに私もまた変われないのです。

この30年、何にもなかったわけではない。
両親とも失言や失態が激しいので、一日に最低でも二回は失態を私に与えてきました。
それは虐待の項目にあたります。だから私は精神障害の講義で虐待の話になった時に発狂しかけたのです。講義室から出て行きたくて仕方がなかった。

知っていたのです
意識してなかっただけなのです
酷いことをされているのだと

それこそ、誰でも一回はあると言われるくらいには、不和のある家庭は「殺してやりたいと思ったことがある」でしょう。
私もあるわ。
武家ですから、身を守る方法は教わっていましたので、要するに相手を殺す方法も知っているわけです。包丁は(自主規制)と(自主規制)にしか使えない使いづらいものですから、(自主規制)のあたりを使えばまあ簡単に殺せたでしょう。

挫折も死ぬほどした。
やめたいと何度思ってきただろう。荷が重かったよ。いじめを受ける学校の方が、家よりはマシだと思ってたくらいには。
それでも。
何度やめたいと嫌になっても。
だめなんだ、戻ってくる。
愛していたいと、同じところへ何度も帰ってきてしまう。

叶わない望みしか存在しない
そんな寂しさしかない虚しい場所へ。

勇気をだして家に帰って、普通なふりをして、大丈夫なところを見せてから話をしても
私たちは交わらない。
分かっている。
分かっているのに。
思い知らされたばかりなのに。

愛せないことがつらくて虚しい。
大切なものを愛していたい願いは叶わない。
失った絆が修復されない。
何度「これで最後」と這い蹲っても取り返せない。

昔から
父のことは本当に尊敬していました。反面教師でもあったけど。
働けない妻と三人の子どもが居るからと、大黒柱として立っている姿を誇りに思わないほど無情ではありません。
父は興味無いんでしょうけど、「メアド変えて。」とか無茶振りしてきた時に私が使ったドイツ語のアドレスは「縁の下の力持ち」という意味です。

家族のために最後まで働ききった。
それを誇りに思いたいのに
誇りに思おうにも心が塗り潰されていて
父を誇りに思いますとも言えない。
金魚みたいな口パクしか出来ない無様な人間。

それでも変わらない気持ちが
もうどうしようもない。
捨てれば自分の人生が始まる?そうでしょうね。
捨てたら私は私らしさを一緒に失わなければならないのですが、そこまでして自分の人生を求める気がない。


この糸ちぎるだけ
笑えるでしょ?

ちぎったって
ずっと好きなままなのに
それでも引きちぎるのが正しい?

叶わない願いを持ち続ける愚かな娘。
それを感じる度に呼吸困難になり、涙が止まらなくなり、傷付いてボロボロになっても。
叶わない願いを持ち続ける愚かな娘。

そろそろ葬式代溜まるし
父も仕送りしたくないとかほざいてましたし
願いが叶わないのなら
大好きな人と憎みあって生きるくらいなら

あなたを愛したまま、眠らせて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?