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『懐かしい』という玉手箱

を、感じる作品が好きなんだよなぁ。
と、心の動かない日々に紅を差す。
無料放送期間でよかった() プレミアム会員になるにはもう少し貯金かな……。

ARIAとかもそうですね。あちらは漫画しか読んでないですが。(アニメ一話も見たけどツンリゼと同じ感じでやめた)

長男がうちに来た時に、
『着の身着のまま、キャリーケース1つと小さい鞄ひとつで出て来た』のを聞いた兄が
玄関にある鬼面と山姥の彫り物を見て、『これも「最低限」必要だったのか?』と聞いてきたことがあります。

元々は祖父母宅の正面玄関に置いてあったものです。形見分けに何でも好きなだけ持っていけと言われたので、日用品とかは親戚が持っていきましたが、お面とか木彫り人形に目をくれる人など居なかった。
鬼面は幼少期には悪魔に見えるほど恐ろしい形相だったのだけれども、すんごい存在感で、何かいるのかなとちょっと玄関に居たら
「子孫か。」と聞こえて、引っ張られるように「あんれ、聴こえるのかね。」と山姥も喋り、宿ってるやんって手に取ったのですが、鬼面と山姥の声は父には聞こえておらず、「何をしているんだ?」と。

夏目友人帳の夏目くんは(紛らわしいなw)、祖母との縁を「大事なものなんだ」と言います。
ARIAも似たような感じ。
綺麗に整えられた街並み、清潔にされて安全な食べ物、何不自由ない暮らし。そんな近未来的なところから、1世紀2世紀は巻き戻ったところで、不自由だから楽しいと言う。

私が古いものを好きなのもそうなのです。
縁を感じる。
大阪の骨董市によく出てるらしいお兄さんと話が盛り上がったことがあるんですが、確かにね、お兄さんが売ってる古物はガラクタみたいなものもある。
実際、頭のない木彫り人形など、一種のホラーですらありますよね。

でも、頭が朽ちるほどの年月、誰かの手に渡ってきた。頭がどんな姿だったか考えてもいい。
不慮の事故で欠けただけで、山姥の木彫り人形みたいに、大事に置かれていたかもしれない。

流れて去っていった時間への郷愁。
それは、先祖が宿ってる鬼面や山姥の木彫り人形だけではなく、家族関係にもあると思います。
まあ、親子関係は複雑で切りにくいうんたらかんたらと、心理学も一生懸命言ってますが。
もちろんそれを否定はしないが。

そんなものに、一々答えをつけようとは、私は思わない。
鬼面のじじ様と、山姥のばば様は、自宅にいる頃から『子よ、子よ。自分を投げ出してはいけないよ』と、話しかけてくれました。
時には他愛なく、「我々の時代は戦火の家長父制だから面白いかはわからんがね」とその時の話をしました。

アチラサマとて同じ。
「今のヒトの子らにはこう伝わっているけどね」と丁寧に話す。
通り過ぎて、振り返るだけの過去だけど。

ご先祖さま、大事じゃないですか?
遠すぎると言うなら、祖父母は?
話が得意じゃないから、黒飴をくれるばかりの祖父とか、黒電話の使い方を知らない私に黒電話を見せてくる祖母とか。
だからわたし黒電話もってかえったのよ。

そこに、祖母たちと生きてきた記憶があるの。
いいものばかりじゃなくても、愛しいと思ってしまうなら、それはしょうがないじゃない。
だから、服とかの大事なものを減らしてでも、私はそちらを優先して持ってきたんです。

親と分かり合えないなら、死ぬつもりでいました。今は保留ですね、長男が間にいるから。
死ぬ時は、みんな連れて行きます。
神様たちとの縁も、ご先祖さまも、みんな。

家族と分かり合えなくても
愛してくれる縁に囲まれて終えるなら
私はそれでいい

何も抱かせてくれない現代に
合わせた死に方など御免です。
大事なものを抱えたまま、眠らせて。

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