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こころのない『いきもの』になるということ

『夜のいきもの』でも、ある子はありますけどね。

さて、今更ながら
「今日飯食ってなくね?」ってなったので、アチラサマから「1日1回は必ず食べる!!の!!」とぷんすこされましたが。
すみませんすみません。昨日食ったっけ?
もう食事という概念がどうでも良くて分からない

飯を食いながら、リア友が律儀に答えてくれた意見を振り返っていて、ふと

友達をクソミソ言われて嫌だと感じる自分が居ない』っていうことに気付きました。

だってさ。3年前さ。
友達を否定する意見しか出なくて、それがつらくて、でも友達はそれを「自分への侮辱だ」と勘違いして喚き散らしてるんですよね。
もうその子の事は片付けたからどうでもいいけど、むしろ死んで。

確かに居たはずの自分。
甘ちゃんにもほどがあって、それでも許したかった私。

どこに行ってしまったの?

父に関しても、まあ最初から冷めた目で見てはいましたが、『家族を愛する気持ち』みたいなものが、最近わからなくなってきているのが、最近の悩みです。←

どんどん抜け落ちていく。
友達を愛した私は?
家族を愛した私は?
いない。どこに?どこにいったの?

ひとは、生きるために何かを必要としますね。
復讐だったり、色んな形はありますが。

私は、誰かを愛せなくなったら
生きる理由を喪います。
愛しているから重ねていく努力。
愛しているから積んでいく知識。
愛しているから目線を合わせる時間。
言葉の端まで入念に。
言動の端まできちんと。
洗練してこそ生まれる信頼から、解消されていく悩みも。
悩みが消えるから、生まれる笑顔も。
それが私を形成する『愛』だった。
だから頑張ってきた。
他人からいくら無駄だとか社会的役割を果たせと言われても、無視できる。
愛こそ、私にとって最大の大事なものだった。

どこへ?
……そういえば、立花が意識を失った時に、『慈愛』を分割してしまった。喪わないために。三人四脚が成立するために。
『理性』が欠けた三人四脚に『慈愛』を宛がった。

わたしの愛は。
どこへ いってしまったの?

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