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ペテロ第一の手紙 3章5節       私たちの基礎化粧品

2021年11月7日 礼拝メッセージ

【新改訳改訂第3版】
Ⅰペテ3:5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。

οὕτως γάρ ποτε καὶ αἱ ἅγιαι γυναῖκες αἱ ἐλπίζουσαι εἰς θεὸν ἐκόσμουν ἑαυτάς, ὑποτασσόμεναι τοῖς ἰδίοις ἀνδράσιν,

https://youtu.be/7xuf08BYRV0

はじめに

前回は、4節を通して、クリスチャンらしいファッションについて語りました。それは、髪型や、身につけているものや、装いという外観ではなく、聖霊による聖められた心を装うことが神の前に最も重要であるということを伝えました。ペテロは、3章1節から女性に向けての勧めを記しておりますが、これは、女性に限らず男性も心得なければならないことと思います。今回は、5節からペテロは何を身に着けていくべきかを詳しく見ていきます。

敬虔な婦人たちとは

新改訳聖書の5節を見ていきますと、まず目に飛び込むのは、『敬虔な婦人たち』とあります。本文では、αἱ ἅγιαι γυναῖκες(アイ ハギアイ グナイケス――聖なる女性たち)となりますから、新改訳は、後半の文脈を見て意訳しているようです。KJVもNASB等英語聖書では、聖なる女性たちと訳しているところを見ると、英語聖書は、本文に沿って訳しているようです。なるべく本文に近い訳を願うのですが、やはり、意訳されるとニュアンスが変わってくるので、そこは翻訳元にお願いしたいところです。

ところで、新改訳の訳者は『敬虔な婦人たち』と訳したのかが気になるところです。

αἱ ἅγιαι γυναῖκες(アイ ハギアイ グナイケス――聖なる女性たち)という意味で読みますと...

日本で「聖」と「女性」が結びつきますと、言葉のイメージとして、「処女性」を意味するものです。ですから、聖なる女性たちと訳しますと、男を知らない処女たちというようなイメージでとらえられてしまう危険性を防ぐためであったのではないかと感じます。

ところで、こうしたとらえ方は、日本だけではなく、カトリック教会でも、「聖」すなわち「処女マリア」というように関連されてしまうことでしょう。推論ですが、新改訳では、誤解されないようにあえて『敬虔な婦人たち』というように意訳したのかもしれません。

聖という意味の誤解

また、ἅγιαι(ハギアイ――聖なる)という言葉ですが、新改訳では『敬虔な』という言葉に置き換えられております。

 これも先ほどに「聖」という言葉が誤解されやすいということもあるでしょう。この言葉が持つイメージとして「おごそかで犯しがたい。けがれがない。」というイメージがあります。割と広範な意味を「聖」という意味が日本語にはあるということです。こうした日本語を基準とした読み方をしてしまいますと誤解を受けやすいのも「聖」という言葉です。

では、聖と訳されるἅγιος(ハギオス)ですが、このハギオスという言葉の意味は、「分離する」ことを意味し、したがって「区別される、異なる」ことを意味します。 つまり、「この世から分離している状態」を示した言葉になります。

また、ἅγιος(ハギオス)は「聖霊」という言葉の形容詞です。聖霊という存在は、この世とは、まったく異なる霊的な存在であり、信者をこの世界とは異なる存在に変えます。つまり、聖なるという言葉には、無限性、永遠性、完全な善という意味があり、『この世』が示す有限性、時限的、罪に限定されるところからの分離を示す言葉です。

つまり、αἱ ἅγιαι γυναῖκες(アイ ハギアイ グナイケス――聖なる女性たち)という言葉は、単に『敬虔な婦人たち』というような訳ではなく、『聖霊によって聖め分かたれたあらゆる女性たち』と訳すべきかと思います。

ただし、『あらゆる女性たち』としますと、5節の後半部分との齟齬が生じてしまうので、『婦人たち』としているのでしょう。

むかしの女性たちのコスメティックス

新改訳では、冒頭で『むかし』と訳しています。「昔」ではありません。本文ではοὕτως γάρ ποτε(フートース ガル ポーテ――このように、かつては)というような意味です。ペテロが活躍した時代、1世紀の古代ローマを見ますと、現代からすれば、この書が書かれた1世紀もはるかに昔でありますが、ペテロは、旧約聖書時代に活躍した女性たちを念頭において記しています。6節では、アブラハムの妻サラについて記していますが、ペテロの時代からさかのぼって3,000年前のことについて語るわけですから、相当な昔の時代の女性について語っているわけです。

ここで、『むかし』と新改訳で訳していますが、「昔」としなかったことには意味があります。「昔」としてしまうと 時間的にさかのぼった過去や、遠い過去を意味するものですが、「前世」も含まれますから、『むかし』としたのでしょう。

ペテロが語る過去とは、曖昧で伝説や神話といった、史的確実性や根拠がない、遠い過去を示すのではないということです。聖書が明確に示す具体的かつ、歴史的な過去を意味しておりますから、新改訳の訳者は『むかし』としたのでしょう。

【新改訳改訂第3版】
Ⅰペテ3:5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。

 6節では、サラという女性という具体的な事例を挙げて、旧約聖書時代の女性はどうであったのかを示しております。サラに代表される旧約聖書を彩る女性たちは、『自分を飾って』いたことがわかります。「飾る」と訳された言葉があります。本文でἐκόσμουν(エコスモーン)という言葉です。原型はκοσμέω(コスメオー)です。コスモス(世)という意味が語源にあります。意味は、美化するために、飾るために、魅力的で、非常に魅力的なものにするという意味になります。転じて、準備する、整えるといった意味を持ちます。また、英語の化粧を意味するコスメティックの語源でもあります。

奔放な生き方に対して

 ペテロの時代、古代ローマは、前にも話したとおり、文化が成熟し、服飾や化粧の技術が向上し、美を競っていたということでした。美を競うのは、自分がより上位の暮らしや生活を手に入れるために必要だということでした。自分を高めるために、そうした技術が巧みになり、よりファッショナブルな水準にまで到達していました。これが、文化ということになりますが、文化がもたらしたというものは、人を便利に、より高い水準での暮らしを人々に提供したように思われましたが、同時に精神的には堕落と退廃を招くものでもありました。

マタ 23:27 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

ペテロは、こうした爛熟した古代ローマの文化に対して、その精神性について糾弾しているように思えてなりません。

かつて、超古代といってもおかしくない時代、人々は、何をもって自分を装っていたのかといいますと、『神に望みを置いた』ということです。

 自分を着飾る、美しく身を整える、自分を高める前に、『神に望みを置いた』ということです。すなわち、神の救いを確信し、喜んで、主が来られることを待ち望んでいたということです。つまり、救い主イエス・キリストの来臨を確信して待ち望んでいた。そのことが、旧約聖書時代の女性を飾る基礎化粧品だったということになります。

そうした、救い主イエス・キリストの救いをいただいてこそ、私たちの美は完成するのです。ペテロの時代、自分が第一、自分の欲望を丸出しにしていた人々は、美の追求を欲望の完成へと向かわせていました。ですから、妬みは生じる、人を蹴落としても当たり前、自分さえ良ければいいという思いにかられた結果、離婚も普通でありました。しかも「事実婚」が歓迎されていたのが古代ローマの時代でした。「事実婚』とは、「法律婚」に対する言葉で、婚姻届を提出せず、婚姻の意思を持って夫婦の実態を有する共同生活をしている状態のことをいいます。そうした状況は、かつての旧約聖書時代には見られなかったことでした。文化が成熟したということは、一方では良いもののように考えられますが、制度(宗教的・法的)が無視されるだけでなく、同時に精神的な荒廃をももたらされていたのです。

精神的な荒廃は、家庭を真っ先に崩壊に至らせます。家族制度が崩れ、伝統的な家庭というものが存立し得ない事態にまで陥ります。ペテロは、『夫に従ったのです。』と語っていますが、ペテロの時代、夫に従わない妻の存在が普通にあったのです。夫に従わず、奔放な女性がもてはやされていたのが、古代ローマの文化でした。男も奔放な妻を咎めることもなく、自由にさせていたのが、古代ローマのあり方でした。一見しますと、物分りの良い主人というように思ってしまうものですが、男性も奔放だったということです。良心に従わず、意のままに生きる。これがラテン気質のように思ってしまうものですが、古代ローマ時代の人々は、男も女も奔放に気ままに生きることが当然でした。

こうした奔放な生き方に対して、ペテロは強く信仰に立ち返ることを勧めます。あなたは、何を第一にして生きるのでしょうか?という問いです。常にそのことが問われている。特にこの現代、従うという言葉を聞くと嫌になってしまうものですが、あなたは、何を第一にするかを問われていることを感じてなりません。

Translation 聖書対訳

【KJV】For after this manner in the old time the holy women also, who trusted in God, adornedd themselves, being in subjection unto their own husbands:
昔、このようにして、神を信頼した聖なる女性たちも、自分たちの夫に服従し、自分たちを飾りました。

【NASB】For in this way in former times the holy women also, who hoped in God, used to adornd themselves, being submissive to their own husbands;
なぜなら、昔は、神を望んでいた聖なる女性たちも、自分たちの夫に服従し、自分たちを飾っていたからです。

Lexicon レキシコン

οὕτως οὕτω,d \{hoo'-to}
1)このように、したがって、

γάρ,c \{gar}
1) for

ποτέ,d \{pot-eh'}
1) 一度、元は、昔は、以前は、かつては、いつか

αἱ Case N Number P Gender F
ὁ,ra \{ho}
1) the 2) this, that, these, etc.

ἅγιαι Case N Number P Gender F
ἅγιος,a \{hag'-ee-os}
1)最も聖なるもの、聖人

γυναῖκες Case N Number P Gender F
γυνή,n \{goo-nay'}
1)処女、既婚、未亡人を問わず、あらゆる年齢の女性2)妻2a)婚約者の女性

ἐλπίζουσαι Tense P Voice A Mood P Case N Number P Gender F
ἐλπίζω,v \{el-pid'-zo}
1)希望する1a)宗教的な意味で、喜びと完全な自信を持って救いを待つ2)願わくば信頼する

ἐκόσμουν Person 3 Tense I Voice A Mood I Number P
κοσμέω,v \{kos-meh'-o}
1)整理するために、整える、準備をします、準備する2)装飾する、崇拝する3)比喩的に  名誉で飾るために、名誉を得る

ἑαυτάς Case A Number P Gender F
ἑαυτοῦ,rp \{heh-ow-too'}
1) himself, herself, itself, themselves

ὑποτασσόμεναι Tense P Voice P Mood P Case N Number P Gender F
ὑποτάσσω,v \{hoop-ot-as'-so}
1)下に配置する、部下に2)服従する、服従させる3)自分自身に服従する、従う4)自分のコントロールに服従する5)自分の忠告やアドバイスに屈する6)従う、服従する

τοῖς   Case D Number P Gender M
ὁ,ra \{ho}
1) the 2) this, that, these, etc.

ἰδίοις  Case D Number P Gender M
ἴδιος,a \{id'-ee-os}
1)自分自身に関すること、自分の、自分のもの

 ἀνδράσιν  Case D Number P Gender M
ἀνήρ,n \{an'-ayr}
1)性別を参照して1a)男性の1b)夫の1c)婚約者または将来の夫の2)年齢を参照して成人男性と男の子を区別する3)男性4)一般的に使用される 男性と女性の両方のグループ

 Bruno /GermanyによるPixabayからの画像