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ちょこっと奄美に住んでみた。~いきさつとArrival~

12/27~01/06 母の故郷・奄美大島で過ごしました。
とても面白かったのでその記録です。
一つの記事では書ききれないのでいくつかに分けてのんびり書きます✐

2023年って

とても忙しい一年だった。
2022年の夏に在宅介護の父が亡くなったと思いきや、その年末に母の乳がんが見つかった。
幸い切除できる時期だったので、翌2023年2月に切除、春から夏にかけては予防の抗がん剤治療の日々。
秋にはようやくホッとできたのと、体調も良くなってきた。

仕事面では、非常に手のかかる案件が頻発した。こんなに怒鳴られたり苦情が来たのは初めてだ。休みくらいどこか遠い場所へ行きたい。

9月の後半、仕事でむしゃくしゃしていた頭でJALのサイトを見ていた。
すると、クリスマス開けの数日は伊丹→奄美区間の往路が8000円台だった。復路を見ると1/6は12000円台。
正直もっと高いと思っていたので驚き、母に相談。

「年末は元気になっていると思うよ☺」

というわけで、年末年始は母の故郷・奄美大島へ帰省することを決めた✈

私にとっての奄美

これまでに2回行ったことのある奄美大島。

といっても1回目は3才。ビーチで両親兄と祖母と写真に写っている私はイチゴ🍓のビキニを着ている。まったく覚えていない。この写真のおかげで小学校までは「🍓ビキニ」といじられることとなった。言っておくがこの水着を着ているわい、超かわいいの😇

2回目は小6の夏休み。親戚のおばあちゃんのお見舞いで母に付いていく。動物に興味があったからだ。

が、初日、親戚の家で泣き始める。理由は「パパがいない😢」
なんと、ホームシックになってしまったのだ。来年は中学生になるのに。だ、ださい、ださすぎる。

しかし無理もない、自宅で父が仕事をしていた関係でこの頃は父との時間の方が長かったのだ。
そんな中、母は淡々と親戚に「この子はパパがいないとダメなんだわ」と言っていた。まったくご機嫌を取る気はなし。
人見知りマックスで親戚と積極的に話した記憶はなく、持ってきていた「CCさくら」の単行本4巻を読んでいた。親戚の家で「八時だJ」を観た。観光地は行かずにハイビスカスの咲いている病院と親戚の家を巡り、名瀬の商店街で綺麗な絵葉書を買った。(のちに金作原の写真とわかる)
今思えばもったいない過ごし方だが致し方ない、目的が親戚のお見舞いだったんだから。

大河ドラマ好きということもあり、あれから方言や郷土史、そして食べ物にも興味がわき、また行きたいと思うようになった。

母の話す昔の話もどこか戦前のような牧歌的な雰囲気でそのなかにいろんな食べ物の話がでてくる。
鶏を家の裏で絞めたり、飼ってるヤギをスープにしたり、担がれた豚を見に大勢で付いていったら上流で生きたまま🐖丸焼きにした話を聞いたときはさすがに驚いた。ワイルドすぎやしないか。

社会人になって金銭的にも余裕がでてきた。親戚と母が電話する度にまた行きたいな~と言っていたところにコロナ禍に突入。今回は本当に念願の奄美大島滞在なのだ。

到着!

12月27日(水)わいは奄美空港に降り立った。

アダンの木と奄美空港

空は快晴。少し寒いがダウンの下は綿のスエットのみ。とても過ごしやすい。
目に入る植物がすでに南国。写真のアダンの実🍍はおいしくないらしい。
とにかくホテルに向かい、それから親戚の家の名瀬へ行こう。

奄美大島の地図は以下の通り。丸い点が中心部の名瀬(なぜ)。
黄色の道路は国道58号🛣 この道路がまっすぐ南北に走っています。

yahooマップより

レンタカーで走る、走る。空港は北部・笠利にあるので、ひたすら海岸線に沿って南下するのだ。

海岸を走るので、きれいな海に驚く。着陸した時には海から白い波が見えた。母の推測によるとクジラではないか🐳とにかく綺麗。

14:00。あまりにもお腹がすいたので道中で鶏飯。
お店は空港から20分ほど走るとたどり着きました🚙


鶏飯 錦糸卵・シイタケ・鶏肉・ネギ・漬物はパパイヤ
『ひさ倉』で昼食 ここは自分でスープを入れて量を調整できる

この島の人たちは、パパイヤを漬物にしてご飯と一緒に食べたりお茶うけにしたりします🥭歯ごたえがよくくせがなくて、とてもおいしい😋

名瀬の市街地は空港からは40分ほどで到着。
ホテルは名瀬の港の近くのここ⚓

市街地のホテルや宿は、島のどの地域にも比較的アクセスしやすく、付近に飲食店やコンビニ、24時間空いているスーパーもあり、宿泊するのがとても便利。

とりあえず、この記事はここまで✐続きは食べ物や生活について書きます(予定


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